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デスゲーム・死亡確定ロマンス・死者との再会――ミステリーと中高生の読書|飯田一史・謎のリアリティ【第47回】

多様性の加速度を増すいっぽうの社会状況にさらされ、ミステリが直面する前面化した問題と潜在化した問題。重層化した「謎」を複数の視座から論ずることで、真の「リアリティ」に迫りたい

文=飯田一史

『マスカレード・ゲーム』
東野ひがしの圭吾けいご(集英社)

「学校図書館」二〇二一年十一月号(全国学校図書館協議会)


 全国学校図書館協議会が毎年実施している「学校読書調査」の二〇二一年調査では「シリーズはひとまとめに合算する」という集計方法の変更の影響もあろうが、人気シリーズの多いミステリー/探偵もの(謎解きメインではない、広義のミステリーを含む)が、従来以上に上位に目立つようになった。

 たとえば中高生に人気な作品としては『告白』「探偵ガリレオ」シリーズ『探偵はもう、死んでいる。』『美少年探偵団』『かがみの孤城』『謎解きはディナーのあとで』『スマホを落としただけなのに』『小説の神様』「ラプラスの魔女」シリーズ「マスカレード」シリーズ天久あめく鷹央たかおの推理カルテ』『薬屋のひとりごと』『仮面病棟』「シャーロック・ホームズ」シリーズ『都会のトム&ソーヤ』加賀かが恭一郎きょういちろう」シリーズ「古典部」シリーズ『ドグラ・マグラ』「階段島」シリーズ『崩れる脳を抱きしめて』江戸川えどがわ乱歩らんぽがある。

 別に過去にミステリーが「不人気ジャンル」と言える状態だったわけではないが、たとえば二〇一〇年代初頭ならば山田やまだ悠介ゆうすけ作品やライトノベルのほうが目立っていた。

 二〇一二年の同調査では、中高生に対する「いちばん好きな作家は?」の質問に中学生17・6%、高校生22・3%が山田悠介と答え、2位の東野圭吾の中7・3%、高12・1%に大差を付けていた。

 二〇一九年調査でもランクインした東野作品は『マスカレード・ホテル』のみだったが、二〇二一年は4シリーズが入り、一方で山田作品は1冊のみにまで減った。

 また、二〇一〇年代前半まで中高生に強かったラノベは、この十年で読者の平均年齢が大幅に上昇。学校読書調査上でのランクイン入り作品は半減し、十年選手の川原礫かわはられき『ソードアート・オンライン』西尾にしお維新いしん〈物語〉シリーズ、二十年選手の時雨沢しぐさわ恵一けいいち『キノの旅』を除けば近年始まった新作はなかなか入らなくなってしまった。

 むろん、とはいえミステリーならなんでも人気になるわけではない。また、中高生は「謎解き」が好きなわけではおそらくない。だがミステリーが、中高生の好む設定や展開――あまりに似通ったものを十代読者は好んでいる――を提供しやすい器であることも間違いない。

■中高生が支持する設定・展開のパターン

 中高生が好むものとは、どんなものか。
 一言でいえば「生死をかけた争いや死者との交流/回想を通じて、隠された自己犠牲や想いをエモく描く」ことだ。より具体的には、たとえば以下のような形式を取る。

1.デスゲーム
 二〇〇〇年代から山田悠介作品や金沢伸明かなざわのぶあき『王様ゲーム』のような先行作品があるが、二〇二一年調査でもたとえば、強盗犯が籠城し、病院に閉じ込められた医者と患者が脱出を試みながら犯人の意図と病院の秘密を探っていく知念ちねん実希人みきと『仮面病棟』が典型だが「閉鎖空間からの脱出をはかる」「生き残りをかける」作品が小中高生に人気だ。設定を見た瞬間、確実に誰かが死に、悲痛な感情の噴出が描かれることが読む前にわかる作品が好まれる。


2.死亡確定ロマンス/余命もの

 小坂こさか流加るか『余命10年』宇山うやま佳佑けいすけ『桜のような僕の恋人』佐野さの徹夜てつや『君は月夜に光り輝く』など、TikTok売れしたライト文芸によく見られる「男女どちらかが死ぬことが物語開始時点から確定している悲恋もの」が覇権ジャンル化している。

 ライト文芸界隈では「余命もの」と呼ばれているが、必ずしも「余命○年」という形式を取るわけではないので筆者は「死亡確定ロマンス」と呼んでいる(「難病もの」と言わないのは、死や離別の原因が病気とは限らないことと、恋愛に焦点が当たっていることを強調するためである)。

 これらは必ずしもミステリーではないが、脳の病気をわずらった富豪患者と、担当になった金銭を渇望する医者とのラブストーリーである知念実希人『崩れる脳を抱きしめて』などミステリー系作品もある。


3.死者との再会

 死者とのこされた者の触れ合いを描いた村瀬むらせたけし『西由比ヶ浜駅の神様』辻村つじむら深月みづき『ツナグ』が典型だが、死者との再会・交流を切なく描く作品も人気が高い。

 生前には伝えきれなかった真情を吐露とろする場面が描かれるであろうことが、これも読む前から想像が付く。


4.どんでん返し×真情爆発×ナルシシズム

 論理的な手続きは重視しなくてもいいが、終盤に驚きの展開があり、その行動が主要な登場人物が伏せていた想いに基づくもので、最後に内面、情動をぶちまけて切なさを喚起し、人物同士の関係を深める作品が好まれる。住野すみのよる作品や西尾維新〈物語〉シリーズ太宰だざいおさむ『人間失格』、辻村深月『かがみの孤城』などがそうだ。

 西尾の〈物語〉シリーズでは、現代に生きる思春期の少年少女が抱える、家族をはじめとする周囲との人間関係の悩み、心の問題が、かにや狐といった怪異として表出し、たとえば誰にも言えなかった家族崩壊の問題について吐き出し、向き合うことでその人物は救済される。そこではシリアスな内面の問題があることと、「他の人とは違う」と自負する自己の特別視という思春期的な現象が一体化している。


5.子どもが知的に活躍し、大人を負かす

 思春期らしいナルシシズムや自意識という点では、(少なくとも見た目が)子どもである主人公が大人以上の知的能力を発揮して事件を解決し、出し抜き、大人の相対的な無能ぶりが描かれる作品にも人気がある。

 たとえば『名探偵コナン』の小説版や児童文庫の藤本ふじもとひとみ(原作)、住滝すみたきりょう(文)「探偵チームKZ事件ノート」シリーズは小中学生から熱い支持を得ている。また、高校生に人気の知念実希人『天久鷹央の推理カルテ』は病院内で起こる事件や診断困難な病気の謎を解明する童顔で高飛車な天久と、ワトソン役でいじられ役の同僚・小鳥遊たかなしのコンビによる医療ミステリーだが、天久の見た目は子どもで、病院経営をビジネスとして捉える父親と対立、ほかの大人が手を付けられない事件を解決する。

 子どもが(汚い)大人を打ち負かすことを求める点は、小学校高学年でも高校生でも変わらないのだろう。


 以上、5点挙げたが、これらの組み合わせで、中高生に人気の作品の特徴や理由はかなりの程度説明ができる。

 たとえば、二〇一〇年代後半以降にスタートしたラノベとしては例外的に人気である二語十にごじゅう『探偵はもう、死んでいる。』を例に挙げてみよう。この作品のTVアニメは二〇二一年7月期に放映されたが、学校読書調査は同年6月に行われており、アニメの影響で読まれたわけではない(なお、探偵は登場するがミステリー要素は強くない)。同作では探偵の助手である主人公・君彦きみひこはヒロインである名探偵シエスタをタイトル通り、すでに失っている。つまり「死亡確定ロマンス」だ。しかし夏凪なつなぎなぎさという少女にシエスタの心臓が移植されており、特殊な力によってシエスタの魂は渚や君彦との対話が少しだけ可能だ。つまり「死者との再会」ものでもある。さらに、『たんもし』の主人公はことあるごとにトラブルや事件に遭遇する「巻き込まれ体質」を特殊能力として持つ「世界の特異点」であり、渚は「何者でもない自分はいやだ」と思っている。思春期らしい「自分は特別だ」という感覚、あるいは今は何者でもないが何者かになれるはずだという根拠なき期待や自負が投影されており、「どんでん返し×真情爆発×ナルシシズム」の特徴も満たす。

 同様に、現在の中高生に例外的に人気のラノベである安里あさとアサト『86―エイティシックス―』は、人間扱いされていない被差別民たちが絶望的な戦いに駆り出されて次々死んでいく話だが、これはある種の「デスゲーム」であり、主人公は死者の声が聞こえる異能力の持ち主であることから「死者との再会」要素もある。一方で近年ラノベで流行しているテンプレは、こうした要素を欠いているがゆえに、今の中高生が読みたいものではなくなってしまったとも言える。


■「思春期の脳」から考える

 ところで、どうしてこのような特徴の作品が好まれるのか。時代背景から推察することもできようが、ここではこの年代の脳の特徴から考えてみたい。

 フランシス・ジェンセン、エイミー・エリス・ナット『10代の脳 反抗期と思春期の子どもにどう対処するか』などの神経科学の本によれば、思春期の人間は情動、衝動が激しい傾向にある。

 その理由は、脳の原始的な部分である大脳辺縁系に位置する扁桃体へんとうたい(情動を司る部分)の発達のほうが、脳の新しい部分である前頭前野(理性を司る部分)よりも早く訪れるからである。結果、若者の脳は本人の意思とは無関係に理性よりも感情優位になりがちであり、いわば情動のアクセルのほうが理性のブレーキよりも効きやすい状態にある。

 また、なんらかの行動から得られる報酬を損失よりも大きく見積もる傾向にもあり、これがしばしば若者を向こう見ずで反抗的な行動に向かわせてしまう。しかし、危険を顧みずに行動することは、大人からの自立を意味するのであり、大人から自立しなければ資源獲得へも繁殖行動へもつながらない。つまり人類生存のためには若者が勝手に行動することが必要だったし、理性のブレーキ発達が遅くやってくる必要があったと考えられる。

 これがどのようにフィクションに対する好みに反映されるのか。ここからは筆者の推論だが、単純化して言うと、感情の奔流の中を思春期の人間は生きており、情動を揺さぶる予感を与えるものに弱い状態にある。

 デスゲームにしても死亡確定ロマンスにしても死者との再会ものにしても、設定を見た瞬間、誰かが死に、悲痛な叫びや悲恋が描かれるとか、死に別れた親密な相手に想いを伝える泣ける話であることが一目瞭然いちもくりょうぜんでわかる。感情を動かすものに弱い思春期は、このようにパッと見で感情を揺さぶる可能性が高い「わかりやすい」「ベタな」作品に反応してしまうのだろう。

 複雑な機微、知的遊戯としての論理や文体、新奇性などは、多くの人間にとってはもっと前頭前野が発達して「大人の脳」になって以降に、より重視する要素になってくる。

 もし思春期に特に届けたいミステリーを作りたいのであれば、こうした発達上の傾向を知っておく必要があるだろう。

■東野作品を中高生はどう捉えているか

 一般文芸、ライト文芸、ラノベは読者層、装丁、キャラクター造形や文体が異なるとされる。

 しかし「中高生に人気」な作品という切り口で見ると、パッケージングの違いはたしかにあるにもかかわらず、共通した設定や展開が見いだせる。

 中高生に届く物語の「型」は、ある程度決まっている。

 ミステリーも基本的にはこの「型」に合致した作品が支持されていると見るべきだ(乱歩や『ドグラ・マグラ』はどうなんだ、と思うだろうが、それは太宰人気同様に朝霧あさぎりカフカのマンガ『文豪ストレイドッグス』とDMM GAMESのゲーム『文豪とアルケミスト』で太宰や乱歩、夢野ゆめの久作きゅうさくらが活躍することからの影響も大きい。加えて、挙げた5つの特徴を満たす要素もそれぞれある)。

 さて、こうした「十代が好む要素」と並べて東野圭吾作品を捉えてみよう。

 東野圭吾はあらゆる年代に人気だが、若い世代からはどのように東野作品が受容されているかを想像してみたい。

 むろん東野作品は頻繁ひんぱんに映像化されており、目に付きやすいから若い人も手に取っている面もある。しかし作品がほぼ必ず映像化される作家でも中高生に支持されていないケースはままある。とすれば、内容面にも東野支持の理由があるはずだ。

 まず、ここまで挙げてこなかったことから言うが、圧倒的に読みやすい点も重要だ。児童文学評論家の赤木あかぎかん『子どもに本を買ってあげる前に読む本』で指摘していたように、小中高生によく読まれる小説は、本を読み慣れていなくても理解しやすい、出来事と会話が中心で進む文体で書かれており、描写や比喩は少ない。戦後長らく圧倒的な人気を誇っていた乱歩の少年探偵団シリーズも、東野の文体もこれだ。

 物語の内容に関してはどうか。

 中高生に支持されている東野作品は、デスゲームでも死亡確定ロマンスでも死者との再会ものでもないし、思春期特有の自意識・ナルシシズムに訴えかける要素も薄い。

 一見すると、これまでの論と東野作品の設定は合致しないように思えるかもしれない。しかし、これらの設定や展開は、あくまで中高生(とくに高校生)に見られるニーズを効率よく満たすためのハコにすぎない。別のかたち、別のやり方で満たせるのであれば、それでもかまわないわけだ。

 中高生は謎解き自体よりも、殺人や死という重大で取り返しのつかない行為/現象を通じて登場人物たちの悲哀を爆発させる場面を好む。

 加賀恭一郎やガリレオシリーズでは、作品終盤に犯人サイドの過去から犯行に至るまでの人生の悲哀が語り起こされ、誰か(多くは家族)をかばい、罪をかぶる、罪を隠す、という自己犠牲が描かれ、読者を泣かせにかかる。

 最新作『マスカレード・ゲーム』でも東野が得意とする、犯人側に切実な事情があった上で犯行に及んだとする動機設定がある。また、その動機を知らない関係者との悲痛なすれ違いを描き、あるいはかつて過ちを犯した者が実は悔恨していることを知らない被害者を描く。各々がそれぞれにしんどい背景を背負い、罪悪感を背負いながら行動するが、互いの心内を知らないことで悲劇が起こる。互いが互いの事情を知らなかったことを描くことで、驚きの展開を作る。

 東野作品は、被害者と殺人犯にある種「どっちもどっち」的な構図を作りながら、しかし最終的には「殺したことはやはり間違いだった」と思わせる着地をする。これは、道義的・社会的な「正しさ」を求める昨今の風潮、若い人の感覚とも合致している。

 このどんでん返しを伴ったエモさ、悲痛さは『桜のような僕の恋人』のような死亡確定ロマンスや住野よる作品などに通じるものがある。

 中高生にとって東野作品は、死や人生が懸かった設定を用いて想い人や家族に強い想いを吐露する/たくす物語として、おそらくは受容されている。

 そういうものなら別にミステリーでなくても描けるではないか、と思うかもしれない。しかし、ミステリーの形式を使ったほうが、中高生が求めるものを満たしやすい部分もある。だからこそ最近の山田悠介やラノベよりもミステリーのほうが学校読書調査上で目立つものになってきたのだ。


■十代にミステリーを届けたいなら……

 中高生が読んでいる作品にこうした共通の特徴があり、なぜそれに反応してしまうのかということは(デスゲームを除けば)まだそれほどミステリー業界の作家や編集者に知られていないように思われる。

「中高生にミステリーが人気ジャンル」というのは間違いないことだが、しかしこの世代のマジョリティが小説に求めるものは、大人のミステリーファン――と一口に言っても多様ではあるが――が気にする部分、評価軸とは大きく隔たりがある。どころか、YA(ヤング・アダルト)向けのレーベルから刊行されているミステリーにおいて書き手が重視している部分とも、かけ離れているように筆者は感じる。

 そうした思想と十代のニーズを両立させた作品づくりは容易ではないだろうが、とはいえ本論で書いてきたことをまったく無視したものでは、おそらくなかなか十代には届かない。

 将来のミステリー読者人口開拓を見据えるならば、あるいは今の若い読者に作品を届けたいのであれば、意図的にこれらのフォーマットを活用したミステリーを作る、あるいは東野圭吾のように、テンプレは用いないものの訴求ポイントは押さえた作劇をする――といったことを検討するのもアリかもしれない。

《ジャーロ No.83 2022 JULY 掲載》



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