三島弥生

三島弥生

最近の記事

意味

 何故、過去に拘束されるのか。  こう問うとき、きっと僕たちは忘れている。何故、過去に縋ることができようか、そう問うことを。    不思議な、四角。黒い四角。    ■  文脈について考えている。今、僕は何処にいるのか。そして、息をつく間もなく、次の疑問が首を擡げる。どうして自分の住所が、一定の語りの形式によってのみ知られ得るのか。僕は、語ることによってしか、自分の位置を特定できないのか。  人生に、世界に、意味を求める限り、語りに縋る他ない。その外側へと、一歩足を踏み出

    • 烏の城4.0

       僕は烏のことを忘れつつある。  先日、文藝賞に自作を一篇、提出した。大学時代、ブロン中毒だった経験を元に、構想した小説だった。そして、僕がブロンを飲み始めた経緯には、烏が関係している。詳しくは、前回書いたね。烏もブロン中毒で、僕は勝手に憧れて、勝手にブロンを飲んだ。  けれど、僕が書いた小説のなかに、烏は登場しない。実体験を元に書くことの難しさ、というか不可能性は、八月に提出した織田作の賞で、痛感した。それは、『烏の城』と銘打った作品で、こうして書いている一連のnoteも、

      • 烏の城3.0 過ち

         それを禁断の果実と呼ぶことも、智慧の実と看做すことも、気が進まない。あらゆる解釈の不在こそ、僕の直面した問題であったし、善悪は社会が決めるものだ。僕の直観が善としたなら、ある意味で、それは善。そして、社会が悪としたならば、ある意味で、それは悪。自分の過去を、息を付く間もなく社会の文法に還元する習慣は、生存をごく限られた圏域へと、閉じ込めてしまう。  しかし、始めに断っておく。  飽くまで社会的に考えて。間違いなく、あれは「悪」だった。  本来なら僕は、こうして当時を思い出す

        • 烏の城2.0 美しい音楽とは

           音楽が、美と認め得る要件とは。  それは、作品が「オブジェクト」となることである。僕はこれを、「オブジェ」と呼んでいる。「対象」としての性質、鑑賞対象である彫刻作品「オブジェ」の性質を、併せ持つ。  烏の楽曲を聴く。好きな曲もあれば、嫌いな曲もある。好きな曲の方が、断然少ない。ただ、好きな曲は、本当に好きだ。それが「好き」という言葉を、定義してしまうくらいに。  ただ、今回は烏というより、僕の芸術観について。  ラブ・ソングは苦手だ。特に、ねっとりした、バラードは。

          烏の城1.0

           以下に語られる内容は、すべて実話です。まあ多少の記憶違いは、あるかもしれないけど。とりま、烏に関する記憶を、供養させてくれ。 大学一年の冬、とかだったかな。僕はツイッターで、太宰治botを探していた。僕は太宰治好きだったから、bot見付けた後も、趣味が合う垢とかないかな~みたいなノリで、他の垢を漁ってた。そのなかに、「太宰治になりたいボーイ」という垢があった。いい感じ、と思って、フォローした。フォロワー数は、数千くらいの、準インフルエンサーくらいの規模。ツイートの内容は

          烏の城1.0