烏の城4.0

 僕は烏のことを忘れつつある。
 先日、文藝賞に自作を一篇、提出した。大学時代、ブロン中毒だった経験を元に、構想した小説だった。そして、僕がブロンを飲み始めた経緯には、烏が関係している。詳しくは、前回書いたね。烏もブロン中毒で、僕は勝手に憧れて、勝手にブロンを飲んだ。
 けれど、僕が書いた小説のなかに、烏は登場しない。実体験を元に書くことの難しさ、というか不可能性は、八月に提出した織田作の賞で、痛感した。それは、『烏の城』と銘打った作品で、こうして書いている一連のnoteも、その作品を元に命名した。作品の結果は、二次選考落ち。自分でも、失敗した、という感覚があった。第一に、短編小説を普段から読まないせいで、終わりへの持って行き方というか、リズムの合わせ方が、上手く行かなかった。終わりは、ほとんどプロットの羅列のようになっていたし。また、実体験のノスタルジーに引き摺られ過ぎ、作品が作品として優れているか、正確に見定めながら書くことができなかった。その頃は、まだ烏に対する求心力が、それなりに残っていたんだ。
 こうして、『烏の城』は失敗作に終わった。ただ、後日談がある。同じ賞に、烏も応募していたという。彼の結果は、三次落ち。つまり、僕より一選考先に、進んだということだ。選考員のいったい誰が、二次落ち作品のモデルが、三次落ちの応募者と同一人物だなんて、想像できただろう。それを知ったときは、少し嬉しかった。彼の後に、ちゃんと付いていけている気がしたから。
 けれど、僕には、ある一つの自覚がある。その自覚が、その安堵を運んできたとさえ、思われて仕方ない。僕は、もう烏を忘れつつある。僕は、もう烏に付いて行くことを、願ってはない。付いて行きたいと願うこと自体を、願っている。それは願望に対する願望に過ぎず、血の通った願望ではない。僕は烏の元から、ようやく去りつつある。
 僕がブロンを止めたことに、明確な理由はない。けれど、僕がブロンを止める少し前、烏が薬を止めたと知った。それを意識はしていなかった。烏は烏、僕は僕。それが、僕の烏に対する尊敬の形であり、烏との一方的な関係における流儀だった。けれど、僕のなかでブロンを飲む正当性が、今や何もないことに、気づかずにはいられなかった。だから、僕は「飽きたから」と言って、ブロンを止めた。それが、烏が僕に与えた、最後の影響だった。
 僕は、烏に飽きつつある。美化するつもりはない。僕は終始、烏のことをコンテンツとして扱い、最後にはコンテンツとして飽きる。関係性と呼べるものはなかった。僕は僕自身の願望の変化を、嘆いているに過ぎない。そこに、烏の意志は、介在していない。僕は今更、孤独を感じるが、僕は本当のところ、初めから孤独だったのだ。
 烏とやり取りをしたことならある。彼のツイキャスで、彼は僕の創作論を、「成熟している」と言ってくれた。僕は永遠の未成年でいることを目指している人間なので、「成熟」と言われて嬉しかったのは、人生で、あの一度きりだった。ちなみに、僕の創作論とは、執筆に向かう最大の動機が、「放っておいたら、自分の作品が可哀想だから」というもの。何処が成熟した考えなのか、もうわからない。その後、烏の別垢の小規模垢から、フォローが来た。僕は、彼に仲間と認めてもらえたみたいで、嬉しかった。その垢で、時折いいねの応酬があった。
 烏の垢が消えてから、久しい。ただ、一度、復活したことがある。僕はその日を、待ちに待っていた。新垢を作ったという。満を持して、フォローした。数件の投稿を、いいねした。最大出力のラブ・コールを送ったつもりだった。けれど、フォロバは、返ってこなかった。
 もう書くこともなくなってきたので、このシリーズも、これで最後になるだろう。僕が烏について考えることも、めっきり減ることだろう。烏が僕に与えた影響のすべては、僕が勝手に受信した電波に過ぎず、飽くまで一人のインフルエンサーと、不特定多数のニワカ寄りのファンとの関係と思ってくれて、構わない。僕より熱心なファンはいただろうし、僕もずっと烏のことばかり考えていた訳じゃない。僕は、そんなに純粋な人間じゃなかった。ただ、ほんの少し、自分の飽きという形で訪れた別れが、名残惜しいだけ。烏がこの手記を読むことも、この手記が誰かの共感を呼ぶことも、多分ないだろう。僕は、自らを語るには、あまりに不純な人間だった。
 
以下、ぼくりり『ブラックバード』より引用
 
 Black bird,
 Black bird,
 良かったなお前には翼がある
 黒い空が晴れ渡る
 この天気なら、飛べるんじゃないの?
 もう誰も気にしなくていいだろう
 この広い空はお前の、
 お前だけのものだ

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