烏の城3.0 過ち

 それを禁断の果実と呼ぶことも、智慧の実と看做すことも、気が進まない。あらゆる解釈の不在こそ、僕の直面した問題であったし、善悪は社会が決めるものだ。僕の直観が善としたなら、ある意味で、それは善。そして、社会が悪としたならば、ある意味で、それは悪。自分の過去を、息を付く間もなく社会の文法に還元する習慣は、生存をごく限られた圏域へと、閉じ込めてしまう。
 しかし、始めに断っておく。
 飽くまで社会的に考えて。間違いなく、あれは「悪」だった。
 本来なら僕は、こうして当時を思い出すたびに身悶えし、激しい慙愧の念に駆られなくては、ならない。道徳律は、両親の口を借りて、僕に訴える。まるで両親が道徳の悪魔に憑依され、くどくどと自分語りでも、始めたかのように。
 僕は弁明する。何度も、する。けれど、後悔を口にしたところで、猿芝居に映るばかりだろう。誰の眼にも。テーブル越しに、僕の表情や仕草を観察している誰か、――それは両親かもしれないし、僕が泣き付いた果てに、奇跡的にデートまで漕ぎつけた、バ先の年下の女の子かもしれない。腐れ縁の、むさ苦しい男友達かもしれない。あるいは、いっそのこと烏だったら面白いね、――彼には、手に取るようにわかることだろう。僕が心の底では、少しも後悔せず、また過去に後悔したことさえ、まるでないことが。そして、下手をすれば、僕をワルぶってイキり散らしているだけの、おもんない男と断ずるかもしれない。
 パレーシア。古代ギリシャの言葉である。正直に、真実を語ること。この場で、ひとつパレーシアをやってやろう、との魂胆。
 
 それはすべての時世の中で最もよい時世でもあれば、すべての時世の中で最も悪い時世でもあった。叡智の時代でもあれば、痴愚の時代でもあった。信仰の時期でもあれば、懐疑の時期でもあった。光明の時節でもあれば、暗黒の時節でもあった。希望の春でもあれば、絶望の冬でもあった。人々の前にはあらゆるものがあるのでもあれば、人々の前には何一つないのでもあった。人々は皆真直に天国へ行きつつあるのでもあれば、人々は皆真直にその反対の道を行きつつあるのでもあった。(ディケンズ『二都物語』冒頭より引用)
 
 僕の人生史において、そんな風に両義的な、Bron遍歴時代について。
 
 大学三年だった。コロナ禍の前。外出の自粛はなかった。けれど僕の生活は、ツイッターに、すっかり腰を下ろしていた。自分が何者であるか。当時の僕が自問したなら、真っ先に思い浮かぶのは、学部の友人に囲まれた自分ではなく、ツイッターのアイコンだったに違いない。
 当然、交流があった垢は多数。むしろ、烏の占める比重は、微々たるものだった。だが、かといって、烏を他のフォロワーと同列に扱うのも、同じくらい不正確な見解である。烏は確かに、その後三年に渡り、僕の生活に、看過できない重大な遺産を残したのだ。
 机の上に、硝子の瓶がある。濃紺の紙のパッケージから、取り出したばかりである。価格は1000円くらいの、白い錠剤。咳薬である。しかし、喉を患っている訳ではなかった。成人男性の指定量は、一度に四錠とか、それくらいだったと思う。瓶の蓋を皿のようにして、そこに錠剤を、山積みにする。ざっと十数錠。それを水道水で流し込む。糖衣錠なので表面は甘い。何だか、気持ち悪くなるような甘さである。
 オーバー・ドーズ。市販薬を一度に大量摂取し、麻薬に似た効用を得る。烏のいる世界、彼があの不思議な曲を作った場所、彼の生きる日常。そこには、まぎれもなく、薬の効用があった。彼は大量の市販薬を常用し、曲を作ったり、小説を書いたり、絵を描いたりして、暮らしていた。僕は、それを真似る。僕の創作は、小説だけだが、烏と同じことをしている自覚と、充足感があった。何も、彼の気を惹きたかった訳じゃない。烏のようになりたかった、というのも、今思えば違う。ただ、個人的な興味として、知りたかったのだ。彼には、どんな風に世界が見えているのか。
 念頭にあったのは、サイコビッチという曲。彼の世界、彼の眼に映る景色、彼の内部を流れる気分、……好奇心、と呼べば軽い気がするけど、愛ゆえの狂気、と呼ぶつもりもない。いうなれば、それは憧憬だった。ただし、その絵にかいた遠い景色を、指を咥えて眺めるだけではなく、実際にこの手で触れ、その場所まで歩いていくための通路が用意されている、そんな憧憬だった。僕の眼には、そう映った。そして僕は、その通路を、実際に歩いたのだ。
 言うまでもないことだが、忽ち中毒になった。最初は週に一瓶。数日に一瓶。そして、毎日飲むようになった。短い断薬期間はあったが、大学を卒業した後も、飲み続けた。執筆は捗った。アルコールは、執筆に向いていない。カフェインは少し、向いている。そして、Bronは、非常に向いていた。後からわかったことには、作品の質は薬の効用で著しく下がっていたらしい。が、上手く書けている感は、常時の数十倍にも膨れ上がり、僕を満足させた。しまいには、烏とは無関係に、ただBronを愛するようになっていた。
 時折、考える。僕が中毒になったのは、果たして、烏の影響だったのか。あるいは、烏の存在を欠いても、早晩、似た過ちを犯したのか。烏を、責任を帰すための藁人形として、見たことはない。原因に烏の存在を置いた日には、僕は決まって、その社会的には失態と呼ぶほかない行為さえ、心から悲観することができないのだ。
 Bronから学んだことは、多い。効用は、豊かな感情を齎す。感動ポルノみたいな、あからさまな演出でも泣ける。電子音楽を聴いた時の高揚も、段違い。薬中のヒッピーが反戦を訴えたのも頷ける。薬の効用が続いている限り、僕は理想的な人情家になっていた。すると、こんな利点がある。映画や小説、アニメなどのコンテンツを、シラフより強い共感を以って、鑑賞できるのだ。そして事実、Bronを止めた今でも、そのとき感覚的に理解した鑑賞法が記憶され、実践されている。Bronは作品への接し方を、豊かなものにした。また、創作についても、無機物と観念を強調した美学は、Bronによって自覚され、現実の方法論として進展した。今の僕は、あくまでもBron遍歴時代の、延長線上にある。
 喩えるなら、智慧の実である。けれど、ふたたびBronを飲もうとは、思わない。自らのうちに宿る、その意志を確認する度ごとに、僕はそうして烏とは無関係に発散していったBronの意味が、実は最も深い根底の部分で、常に烏の存在によって支えられていたことを再確認する。Bronに派生する意味の連鎖は、元を辿れば、すべて烏という強力なカリスマに繋がり、逆にそのカリスマが消失することによって、連鎖は順を追って壊死し、僕がBronを飲む動機をも、なし崩しにする。
 僕が大学を卒業して一年弱。烏は薬を止めた。
 
🐤烏のこぼれ話
 大学三年の冬、僕はTLで烏のツイートを見掛けた。「成人式に行く」という旨。スーツを着た彼の自撮りの動画が、添えられていた。
 
 ん?
 
 おかしい。わざわざ指を折って数えた。僕が成人式に行ったのは、去年。つまり、僕は去年20歳になった。そして、烏は今年、成人式に行くと言っている。留年? いや成人式に、留年も浪人も、関係ない。つまり、烏は今年20歳になったことになる。
 
 まじか。
 
 二年か、三年。あるいは、少なくとも一年くらいは、彼が年上だと思っていた。
 だが。
 彼はなんと、後輩だったのだ。衝撃である。あのカリスマ性が、自分より若い人間から発せられていたなんて。僕は烏より、一年先輩。烏は僕より、一年後輩。通う大学は、違うものの。
 なんか、キモくないか?
 後輩の女の子に片思いしてて~、みたいなのなら、まだアリそうである。また、何も年下を敬って、悪いことはない。ただ、僕が烏に向けていた感情は、この「年下に」という接頭辞が付くことによって、いっそう気色悪く、不健康な印象を益す類であった。
 まあ、相も変わらず、その後もネトスト生活は続いたのだが。割と衝撃を受けた事件。

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