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シスコさんのこと

シスコさんの絵を見に行ってきた。
つまり、画家・塔本シスコの展覧会を観に行ったということなのだけれど、例えば「ゴッホ展に行ってきたんだけど」と言う時とはちょっと違う声色で言いたい。美術館に行った、というより、もっとずっと気取らない感じ。名前に「さん」をちゃんとつけて、「シスコさん」と呼びたい感じ。「作品」よりも、「絵」と表したい感じ。

91歳で亡くなるまで絵筆を握り続けたシスコさんが、本格的にキャンバスに向かいはじめたのは53歳の時。夫を亡くした悲しみと向かい合う中でのことだった。ある日、画家志望だった息子が使っていたキャンバスの、表面の絵具をそぎ落として絵を描き始めた。「私も大きな絵ば描きたかった」のだそう。シスコさんは、熊本県生まれ。養父がサンフランシスコ行きの夢を託して名付けた。だから、「シスコさん」。

「人生絵日記」と題されたこの展示は、まさに彼女の生きた日々を追体験するようだった。ふるさとの自然やまち、いきもの。家族。思い出の日々たち。シスコさんの絵は、体中の細胞がふつふつと反応しそうなほど、強烈に鮮やか。絵を見た多くの人が熱いエネルギーを感じるだろうし、「元気になった」とか、「心が躍った」とか、「スーパーおばあちゃん!」とか、そういった展示の感想をいくつも目にした。

ほんとのことを言うと、私はシスコさんの絵がタイプではなかった。この展示を見るまでは、そうだった。美術館で私はいつも、どちらかと言えば暗い絵を好んでみた。青っぽかったり、何か悩んでいそうだったり、緻密で繊細だったり、地味だけどその場から離れたくなくなるような絵。シスコさんの絵は正反対だった。たっぷりの絵具とたっぷりのパワーが詰め込まれていて、人や植物や虫が大きさも遠近もおかまいなしに描かれていて、心も体も付いていくのが大変なのだ。展示室に入るなり、その鮮烈な色使いに「すべてしっかり見切れるかしら」と私は思った。

「シスコさん、すごいねえ、素敵だねえ」。展示室にいたお客さんがそういうのが聞こえた。私はハッとする。胸が高鳴るのが分かった。みんな、「シスコさん」って呼ぶんだ、と思った。まるで友だちみたいに。彼女の絵の凄いところはそこなのだ。会ったこともないのに、シスコさんがそこにいる。それは「おかーさん、こんな絵描いたよ」って、ランドセルを背負ったまま、台所で、晩ごはんのサツマイモをつまみ食いしながら、見せてくれるみたいな絵。こんな色の花が本当にあるかは分からないし、人がなんでこんな変なとこにとんでいっちゃってるかも分からないけど、「私には、こがん見えるったい」って教えてくれる。
明るくて元気いっぱいな様子がシスコさんの魅力だけれど、そのふるまいはこちらの肩を組もうとはしてこない。「ほらほらほら元気を出して!」とは、言ってこない。私はこんな一日だったけど、あなたはどうだった?と、ただにこにこ語りかけてくれる。

絵につけられたタイトルは、こんな感じ。『私が愛する生物たち』『七五三のお祝い』『桜島 噴火する』『絵を描く私』『アロエの花は冬に咲きます』『あそびにくるネコ』『三匹のネコ』『ネコ』『NHKがやってきた』『帽子をかぶっているヒロコさん』など。シスコさんにはただ愛する人やものものがあって、それらを描き取っている。かかずにはいられない、まさに「シスコ・パラダイス」。楽園は、自分でつくれるのだ。

美術館を出ると、からだがホコホコするようだった。まだ残暑の厳しい夏のせいだけではなかった。シスコさん、私はシスコさんの世界の見え方がちょっとだけ羨ましいけれど、それを声には出そうとは思いません。シスコさんの言わんとすることが、分かるような気がするからです。私は私の人生を生きて、私のやり方で絵日記を書いていこうと思います。まずはここに書いたことが、そのひとつです。

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