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桂冠詩人ペトラルカとの対話

ある朝、オリーブの木の下で私はペトラルカと会った。

「やあ、吟遊詩人君。健やかにやっているか」

──ペトラルカですか。栄誉ある桂冠詩人の。

「なにを悩んでいるのだ」

──不安が、いえ、恐怖が去らないのです。

「ふむ」

──ドイツ語で詩人は、"Dichter(ディヒター)"と言いますが、19世紀にはこの呼び名は大変、威厳があったと聞きます。詩人であることは。

──また、デンマーク語でも「詩人」は、digter(発音はたぶんディヒター)ですが、これも尊厳を持った呼称だったと聞きます。アンデルセンもdigterであろうとしました。

「なぜ、詩人に尊厳があったかわかるかね」

──詩が重んじられていたからでしょうか?

「どうだろう。私は19世紀のことは知らないが、詩人であることは知っている」

──それは?

「詩人とは勇気を持つ者だ。勇気が、詩にムーサイの息吹を吹き込む」

ムーサイは学芸の女神たちだ。

「もし、勉学をすることで、よい大学で学ぶことができ、なお栄達の道が約束されそうであれば、ひとは勉学するかね」

──余力があれば、すなわち境遇に恵まれれば、するでしょう。

「では、もし詩を詠むことによって、世間から胡乱うろんな目で見られ、貴族たちの社交では危ぶまれ、出世の道も閉ざされるかもしれないとしたら、あえて詩を詠むだろうか?」

──それが、自己の運命であれば、詠むでしょう。
それが、自己の真実に向かう道であり、
また世の幸せをいつか生み出す糧となるのであれば、私は詩を詠むでしょう。

「ならば、なにを迷うことがあるのかね」

ペトラルカは私の眼を見て、微笑んだ。

「詩人の道は茨の道だ。詩人は、その藪に分け入り、鬱蒼とした雑木林を抜け、暑い日差しに焦がされる」

──あなたは月桂樹の冠をいただく者ですね。茨を月桂樹の葉に変えるのでしょうか。

「君も被ってみるとよい」

ペトラルカはさも自然に月桂樹の冠を脱ぐと、私の頭に乗せた。

「どうだね、気分は?」

──月桂樹のよい香りがします。かぐわしく、アポロンの……。
しかし、お返しします。

──私には帽子の方が合っています。つばの広い帽子で、日をよけて風雪をしのいで旅をする方が。

「私もイタリアの諸都市を旅している。古来、詩人は旅をするものだ。

おまえの心はここにある。この時間のなかに。この大気のなかに。

古代ギリシア・ローマの昔から大いなるものに月桂冠は与えられてきた。私が今かぶっているものもその風習の名残りに過ぎない。

悠久の時の流れが、私たちを呼んでいる。それは風となって誘うのだ。

おまえもそれを言葉にするように、と……」

ペトラルカは彼方を見上げて、立ち去った。

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