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半フィクション⑤


周りの大人を穿った目で見て
値打ちをつけるようになったのは
いつ頃からだろう。

小学校高学年の頃には殆どの大人が大したことないって思ってた。

嫌な子どもだ。


そう、知識の量=人の価値に思えてた頃が
あった気がする。

知的好奇心が高くて、何でも知りたかった。
質問をして相手が答えを知らないとがっかりした。

私にとって大人は知識を与えてくれる存在で、
求める知識を持ち合わせない大人は皆、
怠け者か何かに見えていた。



高校に入って、今、私は自分が分からなくなっている。
自分程度はそこら中にいて、むしろ2歩も3歩も先を歩く人ばかり。
今までは私が教える立場だったのに、今はむしろ私がフォローを必要としている。

自分は「できる方だ」という自負が、ポロポロと崩れていった。

いわゆる、まさに、"井の中の蛙"だったと気づく。


"私"並みがたくさんいる中で、"私"にはいったい何の価値があるんだろう。
何が自慢できるんだろう。
今までは勉強だったけど、その武器はもう皆持ってる。必要ない。

あの人は絵が上手い。
あの人はバスケが上手い。
あの人はネイルが上手い。
あの人は本をたくさん知ってる。
あの人は自分に似合うファッションを知ってる。
あの人はとてつもなく可愛い。
あの人は…


皆何か確固たる自信の揺らがない「何か」を持っている気がするのに。

必死で勉強に全振りして他は何も持ち合わせていない自分が凄く惨めで仕方ない。







なんて。そんな悩み誰も分かってくれないよな。


できない自分が露呈するのが嫌で、下らない話をする時間が好きだった。

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