見出し画像

1974年ヒット曲50位→41位

1974年(昭和49年)ヒット曲ランキング [年間レコード売上] 50位→41位

1974年(昭和49年)は、記憶に残るような出来事ことといえば・・
3月10日 ルバング島で小野田寛郎元少尉を発見。
4月8日 米国アトランタ・ブレーブスのハンク・アーロン選手がプロ入り通算715本目のホームランを打ち、それまでの記録保持者だったベーブ・ルースのホームラン世界記録を塗り替えた。
4月11日 東京・両国の日大講堂で行われたプロボクシング・WBC世界ライト級タイトルマッチで、挑戦者・ガッツ石松が王者・ロドルフォ・ゴンザレス(メキシコ)を8回KOで破り3度目の世界挑戦で王座獲得。
5月1日 フォルクスワーゲンがビートルの後継車のゴルフ発売開始。
6月13日 1974 FIFAワールドカップが西ドイツで開催( - 7月7日)。決勝では西ドイツが、ヨハン・クライフを擁するオランダを下して優勝。
7月24日 ウォーターゲート事件: アメリカ最高裁がニクソン大統領と首席補佐官が事件対策を話しあう様子がおさめられた録音テープの引渡しを大統領側に命じる判決を出す。

そんな年の年間レコード売上の50位→41位。

50位 グッド・バイ・マイ・ラブ/アン・ルイス

・B面 暗くなるまで待って
・リリース 1974年4月5日
・レーベル ビクターレコード
・作詞/作曲
なかにし礼(作詞)
/平尾昌晃(作曲)
・チャート最高順位
14位(オリコン)


49位 闇夜の国から/井上陽水

・B面 いつもと違った春
・リリース 1974年4月1日
・レーベル ポリドール・レコード
・作詞/作曲 井上陽水
・プロデュース 多賀英典
・チャート最高順位
11位(オリコン)


48位 白いギター/チェリッシュ

・B面落葉の散歩道
・リリース1973年9月25日
・レーベルビクターレコード
・作詞/作曲
林春生(作詞)
/馬飼野俊一(作曲)
*第15回日本レコード大賞・歌唱賞
・チャート最高順位
週間5位(オリコン)
1973年度年間87位(オリコン)
1974年度年間48位(オリコン)


47位 イエスタディ・ワンス・モア/カーペンターズ

・B面 明日への旅路
・リリース
米国 1973年5月16日
日本 1973年7月10日
・レーベル A&Mレコード
・作詞/作曲
リチャード・カーペンター、ジョン・ベティス
・プロデュース
リチャード・カーペンター、カレン・カーペンター
・チャート最高順位
2位(アメリカ)
2位(イギリス)
5位(日本・オリコン総合シングルチャート)


46位 しのび恋/八代亜紀

・B面 みれん雨
・リリース 1974年1月25日
・レーベル テイチク
・作詞/作曲
悠木圭子(作詞)
鈴木淳(作曲)
伊藤雪彦(編曲)
・チャート最高順位
週間13位(オリコン)
1974年度年間46位(オリコン)


45位 愛ふたたび/野口五郎

・B面 愛のきらめき
・リリース 1974年7月21日
・レーベル ポリドール
・作詞/作曲
山上路夫(作詞)
佐藤寛(作曲)
馬飼野俊一(編曲)
・チャート最高順位
5位(オリコン)
1974年度年間45位(オリコン)


44位 恋は邪魔もの/沢田研二

・B面遠い旅
・リリース 1974年3月21日
・レーベル ポリドール
・作詞/作曲
安井かずみ(作詞)
/加瀬邦彦(作曲)
・プロデュース 佐々木幸男
・チャート最高順位
4位(オリコン)
1974年度年間44位(オリコン)


43位 恋のアメリカン・フットボール/フィンガー5

・B面 おませなデート
・リリース 1974年6月25日
・レーベル フィリップス・レコード/日本フォノグラム
・作詞/作曲
阿久悠(作詞)
/都倉俊一(作曲)
・チャート最高順位
4位(オリコン)


42位 母に捧げるバラード/海援隊

・B面 さすらいの譜
・リリース 1973年12月10日
・レーベル エレックレコード
・作詞/作曲
武田鉄矢(作詞)
/海援隊(作曲)
・プロデュース 海援隊
・チャート最高順位
10位(オリコン)
1974年度年間42位(オリコン)


41位 神田川/かぐや姫

・B面 もういいじゃないか
・リリース 1973年9月20日
・レーベル 日本クラウン
・作詞/作曲
喜多条忠(作詞)
/南こうせつ(作曲)
・チャート最高順位
週間1位(オリコン)
1973年度年間6位(オリコン)
1974年度年間41位(オリコン)


この記事が気に入ったらサポートをしてみませんか?