路地裏の少年〜1976年8月15日【短編小説】
2023年5月11日に投稿した『路地裏の少年〜1976年8月15日、夏の日の思い出』の書き直し。
あらすじ
夏休み中くすぶった生活を送っていた少年のところへ同じ年で違う中学校の少女が会いに来る。
少女は明日帯広から離れることになり少年に別れを言いに来た。
少女は少年を目にして、好きなことに気づき大胆な行動を起こす・・そして、ふたりは一夜を共にすることになる。
今年の帯広の夏は、7月の後半から気温が30℃以上の日が続いていたが8月に入り暑さも落ち着き30℃越えた日は2日くらいで盆を迎えた今は例年通り朝晩はかなり涼しくなっていた。
僕は、夏休みに入ってからというもの部活を休んでずうっと自分の部屋でひとり音楽を聴きながら本を読んで過ごしていた。
何故そうなったかと言うと夏休みに入る少し前に怪我をして休診日以外は毎日整骨院に通院していた。
怪我に関しては、自業自得と言ったところもある。
僕は、サッカー部に所属していて、他校に練習試合をしに行った時。
対戦相手の学校向かう途中で部室にシューズを忘れたことに気付き引き返して遅れてみんなと合流した。
すでに練習試合は始まっていて、ストレッチをおろそかにして、すぐに交代してフィールドに出た。
フィールドに出て、10分もしないで大腿部を肉離れさせて離脱することになり、すぐにいつも行く整骨院へ行った。
中体連で2回戦で敗退して3年が抜けて2年生の僕は少し気が抜けていたのかも知れない。それからというもの夏休みに入ってからもほぼ毎日整骨院へ通院していた。
遅くても、アイスホッケーのシーズンが始まるまでには完治させたいと思っていた。
身体をあまり動かすこともなくほとんど家の中で過ごしていたせいか自分自身くすぶった感じだった。
今日は8月15日。日曜日だし盆の期間で整骨院は休診。
朝から父、母、妹、そして僕の4人で、帯広市に隣接する音更町にあるお寺に行って来た。
盆なので、祖母の遺骨が納められているお寺へお参りに行ったというわけである。
祖母は、3年前に亡くなった。
僕が小学5年生の時だった。
お昼には、帯広に戻って来て昼食を取った。
その後、母さんの実家に両親と妹は行った。
今夜は、母さんの実家に3人は泊まって帰ってこない。
僕は、ひとりになって家の戸締まりをして出かけた。
駅前のサウンドコーナーに取り寄せの注文をしていたレコードが入荷したという連絡を昨日もらってたので行った。
レコードを受け取り、店を出たところで近所に住む2つ上の和男とばったり会い和男の行き付けの喫茶店へ行った。
この和男は、中学を卒業して大工の見習いとして働き出した。野外の仕事をしているので顔や腕は日焼けして黒くなっていた。それと着るものには無頓着で胸のところにローリング・ストーンズの大きなマークが入った黄色いTシャツに少し色褪せたベルボトムのジーンズ。そして足元は素足で雪駄を履いていた。
和男に連れられ、サウンドコーナーから1、2分程度の歩いたところの喫茶店に入った。店内に洋楽のレコードを中心に流して、たまに邦楽のレコードも流している。和男が邦楽で何かおすすめのものはないかマスターに言うと最近買ったという邦楽のレコードをかけてくれた。
和男とふたり喫茶店で他愛もない話しをして1時間ほど過ごした。
帰り際にマスターに先ほどまで聴いてたレコードが気になりレコードのジャケットを見せてもらい店を出て再びサウンドコーナーへ行きそのレコードを買った。
帰り道で家に近づいたところで、前から少しうつむき加減で歩いている女性が僕の目に入った。
すぐに雪だということに気付いた。
白い半袖オープンカラーのブラウスにバーバリークラシックチェックの巻きスカート、足元はベージュの無地のソックスに茶色のローファー。
髪は肩より少し下のところまで長さで栗毛色。肌は白く頬にほのかに赤みがり、唇は口紅をつけているかのように赤いので化粧をしているよう見える。
でも、僕は雪が化粧しないことを知っている。
背丈も165cmくらいで、168canの僕とでは身長差はなく。
バランスの問題なのかも知れないが雪の方が大きく見られることが多い。
そんな雪が僕の家の方から、歩いてくるのを見て、僕の家へ行き、誰もいないので引き返してきたところだということはわかった。
雪はうつむいたまま歩いていたので、僕が目の前まで来るまで僕に気付かなかったようだ。
「雪」と僕が声をかけると、雪はうつむき加減だった頭を少しだけ上げたところでやっと僕に気付いたようだ。
うつむき加減だったせいか顔の表情はわからなかったが僕と視線があった時、微か微笑んだように見えた。
「家に誰もいなかったから帰るところだった」と素っ気ない言い方で雪が言った。
雪は、見た目は大人ぽく、どちらかというと美人の部類に入ると思う。
ただ、黙っているとそうなんだが、話し出すと年相応にも感じる。
雪が小学6年の時帯広の小学校へ転校して、かなり同じクラスの男の子たちに喋り方や見た目で“田舎っぺ”とからかわれたこともあって、雪はあまり人と話さなくなっていた。
「ちょうど良かった。今、帰るところだった。用があったんだろう」と僕は雪の瞳を見つめて言って、僕は雪の左手を取り家の方へ歩き出した。
初めて会ったのは去年の10月にヤングセンターのリンク上でだった。
ヤングセンターとは、屋内で夏期はプール。冬期はスケートリンクに切り替わる公共施設。
そのとき、雪はクラスメートの女の子3人でヤングセンターに来ていた。
その雪と来ていた2人の友達は、僕と小学校に通っていたときのクラスメートで面識はあった。
それでその後に女の子3人と男の子3人で僕らがよく行っていた喫茶店に行った。その喫茶店は4人掛けと2人掛けの席しかないので、雪と僕以外の4人が同じ席について通路を隔てて雪と僕が同じ席ついた。
となりの席では、会話が弾んでいた。
雪以外は、同じ小学校に通っていて、今は僕たち男の子と女の子たちは別々中学校に通っていた。
僕と雪はこの数時間前に初めて会った者同士なのでお互い何を話していいかわからない。
この時、僕は注文はエビピラフとアイスティーでいいかなと思っていた。
そして、改めて見ても目の前に座っている女の子が素直に美人だと思った。
あまり話さないし、視線を落として僕と目を会わさないようにも感じた。
メニューを見ていてなかなか決まらない感じがして思わず「何にするか悩んいる?」と僕はやっと口を開いた。
そうするとやっと「初めてでよくわからないの。それと今あまりお金持ってないので」と雪がぼそっと小さな声で言った。
僕は、雪に小さな声で「お金のことは気にしなくていいよ。今日はおごる。ここのミートスパゲッティが美味しいから迷っているならそれがいい。それと飲み物は何がいい?」ととなりの席には聞き取れないくらいの声で言った。
小さな声で「いいの?」と言った。
ちょっとだけ今までより雪の表情が明るくなったように感じた。
僕は、軽くうなずいた。
それに同じ席で1人で食べて同席の相手が何も食べないところを他の人が見たら僕が何となく気まづいと感じると思った。
これが雪と初めて会ったときのことである。
それから、何度かヤングセンターで会うことがあり、リンク脇のベンチに座って話すようになっていた。
雪も次第に僕に慣れてきたのか、自ら自分自身のことも話すようなった。
雪が小学4年生の時、お父さんが農作業中トラクターの横転事故が原因で亡くり母子家庭となった。そして雪が小学6年生になる時にお母さんとふたりで帯広に引っ越して来た。
お母さんがホステスをしていること。
お母さんが夜仕事なので夕食は独り食べていること聞いて、僕の家で一緒に夕食を食べないかと誘った。
家は、夕食の時家族以外の人もいつもの何人かいて、1、2人増えたところで食べ物が足りなくなるということはなかった。
雪を家に連れて行くとすぐに妹の里華(さとか)が雪を“おねぇちゃん”と慕った。
それから、大人たちもすぐに受け入れてくれた。
初めは、遠慮していたが度々くるようになっていた。
そう言えば、5月のゴールデンウィークを過ぎあたりから、ぱったりと家に来なくなっていた。
ちょっと前に妹の里華が「おねぇちゃん、来ないね」と言っていた。
僕は、単に友だちの1人という認識しかなかったのか3ヶ月以上も会っていないのに最近家に来ないなというくらいにしか思っていなかった。
普段から中学生になってからは家に友達が来ることもなかったので特に気にしていなかった。
僕は雪の左手を握ったまま歩きながら特に会話らしい会話はしないまま歩いていた。
家の前を通過しようとしたとき「家過ぎたよ」と雪が家の方を見て僕に言った。
「今、自分の部屋はこの家でないところにあるんだ」と言った。
雪はちょっと不思議そうにして僕を見た。
「うちのじいさん、知っているよね。別居していて、食事の時だけ来ている」と雪に向かって言った。
「ええ」
「じいさん、お妾さんいて、ばあちゃんが亡くなって一周忌が過ぎてからお妾さんのところで寝泊まりするようになってさ、その家の2階が使われていなくて今年に入ってすぐに僕がその2階の部屋を使うようになったんだ」と言った。
雪はちょっと理解出来ていないように感じたが「そうなの」と呟いた。
「まあ、そんな感じでこのことを知っているのは家族だけだし、今じいさんとお妾さん旅行へ行って誰もいないんだ。そんな感じで初めて他人(ひと)を部屋に入れるんだぜ」と僕は言った。
そう、じいさんのお妾さんの家に間借りしているなんて友だちに言えないし、お妾さんも僕の友人と言うか他人が家に来ることは嫌なはずだ。
幸いして、今はお妾さんもじいさんもいないので、今ならいいかなと勝手に思った。
雪が僕に「今日は大人ぽい格好しているけど」と聞いてきた。
クルーカットにした前髪をチックで固めて、白の長袖ボタンダウンカラーのシャツ、シャツの胸ポケットにRay-Banのクラブマスターをさしていた。
それとチャコールグレーのスラックスにダークブラウンのダーティバックスのプレントゥシューズを履いていた。
僕も「雪こそ今日はいつもより大人っぽく感じる」と言った。
どちらかと言うと雪の方が話さないで黙っていると外見上僕よりも大人ぽい。
雪の話だと、小学6年生の時に帯広へ引っ越してからの1年半くらいの間で10cm以上伸びて、着ていた服がほとんど合わなくなった。そしてお母さんと身長がほとんど変わらなくなり、お母さんのものや新しく買うものは大人ぽいものになり外見上より大人ぽくなった。
そのときに雪は言わなかったが身長が伸びただけでなく体型も変わったのだと見て感じる。
僕は、帯広に来たばかりの姿は知らなく、その1年半に成長した雪の姿しか知らない。
「午前中に家族で音更のお寺へ行って来て、帯広に戻って着替えずにレコード屋に行って来た」と僕は答えた。
歩いていると雪の視線が僕の脇に抱えているサウンドコーナーの包みが気になるようで何度もそちらに向けられていた。
「“The free Electric Band(ザ・エレクトリック・バンド゙)”というアルバート・ハモンドのレコードともう1つはさっき知ったばかりの浜田省吾の“生まれたところを遠く離れて”」と僕は答えた。
僕は早く帰って、取り寄せて買ったアルバート・ハモンドのレコードより、浜田省吾のレコードを聴きたかった。
部屋には、音の良いステレオはなく、モノラルの小型のレコープレーヤーしかない。
部屋で音楽を聴くのは、レコードを聴くより、ラジカセでカセットテープをヘッドホンをして聴く方が多かった。
高額のステレオがなくてもこのように聴くことでそれなりにいい状態で音楽を楽しむことが出来た。
いつも買ったレコードは、中学校のクラスメートの中にオーディオマニアの奴がいて、そいつのところでカセットテープにダビングしてもらっていた。
このレコードも夏休みが終わってからそのクラスメートにカセットテープにダビングしてもらうつもりでいる。
小型のモノラルのレコードプレーヤーでは、音の迫力はないが今は仕方ない。
自宅から6、7分程度歩いたところの2階建ての一軒家の前まで来た。
「ここ」と言って、僕はポケットから鍵を取り出し、ドアを開けた。
ドアを開けると1畳ほどの玄関があり、上がってわずかスペースがありその正面のドアを開けると居間になっている。それと上がってすぐ左側にドアを開けるとキッチンである。そして右側に階段と浴室とトイレに通じる廊下がある。
玄関に入り、すぐに雪を連れて階段を登り2階へ上がった。
2階には6畳の2部屋あり、襖で仕切られている。手前の部屋は押し入れもない部屋でベッドとサイドテーブルだけをおいてある。奥の部屋には小学校に上がる時に買ってもらった机があり体の成長に合わせて高さの調整が出来るため今も使っている。その机の上に今読んでいる本や夏休み中に読もうと思っている本が置かれている。他にコミック本で大半を占めいる本棚、洋服タンス、ローチャストなどがところ狭しと置いてある。そして押し入れの中にはアイスホッケーの防具類やテントや寝袋、バック、靴の入った箱などを入れている。
とりあえず、椅子とかソファーとかいうものがないので雪にはベッドに腰掛けてもらうことにした。
他人をこの部屋に入れる想定はしていなかったので2階に上がったときすぐ寝らるようにと寝室を手前に設置したのだ。
僕自身この家にいる時間は短いので日によっては奥の部屋に入ることがなく、ただ手前の部屋で夜寝るだけのこともある。
ベッド脇のサイドテーブルの上に今日レコードを買ってくる予定があったから小型のレコードプレーヤーを置いていた。
「とりあえず、浜田省吾のレコード聴いてみる」と言って、レコードを入れていた袋から取り出し、レコードプレーヤーにレコードを乗せた。
レコードに針を落とすと1曲目の『路地裏の少年』が聴こえてきた。
最近は、歌詞の意味がわからないのに洋楽のレコードばかり買っていたので、このレコードは久しぶりに買った邦楽レコードだった。
僕は、この曲が終わるまで何も言わずに聴いて、この曲が終わったところで「さっき、喫茶店でこのレコードを聴いてさ。この1曲目で衝撃を受けて、このレコードが欲しくなったんだ。それで喫茶店のマスターが最近サウンドコーナーで買ったって聞いたから、すぐにサウンドコーナーへ行ったら、あったから買ってしまった」と僕が言った。今、2曲目の『青春の絆』が流れている。
雪は、目を閉じて、今流れている曲を聴き入っているようだ
雪にどうだったと聴くと「いいと思う」と雪が言った。
僕は、レコードをかけたまま「飲み物取ってくる」と言って、部屋から出て階段を降りた。
僕は、キッチンの冷蔵庫から缶コーラを2本取り出し部屋に戻った。
部屋のドアを開けると目に入ったのは、何も身に纏わないでうつむいて立っている雪の姿だった。
その姿は、もう少女という感じではなく、僕には大人の女性のように思えた。
少し震えたような声で小さく「抱いて」と雪が言った。
正直、本能のままに行動するなら、間違いなく、そのままベッドに押し倒して性行為をするだろうがあることが頭によぎり踏みとどまった。
「今は、出来ない」と僕は言った。
僕は、手にしていた缶コーラを床に置き、ベッドの上のタオルケットで雪を包み込みベッドに腰掛けさせた。
僕も雪のとなりに座った。
僕は、何を言えばいいかわからず何も言わないままでいると雪はそっと僕の右膝のあたりに左手を乗せてきた「もう、今日で最後だと思ったら」と少し声を震わせながら雪が言った。
僕は、雪の方を見ると雪は目に涙を溜めていた。
「最後って?」と僕が聞くと
「明日、函館へ行くの」と雪が答えた。
「函館のおばあちゃんのところに私だけ行って、2学期からは函館の中学校へ通うことに」と雪は僕の方を見ないでうつむいたまま言った。
「私だけって、お母さんは?」と聞くと「お母さんはそのまま帯広に」と答えた。
雪は、目に溜めていた涙があふれていた。
僕は右腕を雪の肩に回し自分の方へ引き寄せて、僕の右膝あたりにおいた雪の左手の甲の上にそっと僕の左手を乗せた。
「最後にケイと会いたかった。ケイと今日会ってケイのことがやっぱり好きだと思ったら抱いてもらいたいと思った」とうつむいたまま泣きながら雪が言った。
僕は雪がこんな行動に出たのはただ事ではないと思ったがお別れに来たなんて想像もしなかった
雪は話すことに自信を持っていないせいか言葉で自分の意思を伝えることが出来ないと思っているところがある。
だから、精一杯出来る行動で自分の気持ちを表したのかも知れないと僕は思った。
「雪、抱けないと言ったのは、さっきあることが頭に過ったっていたことを話す」と僕は去年、1年生の時、学校で起きたことを話すことにした。
学校中にうわさはすぐに広まった。
去年、1年生の時に夏休みが終わって間もなくして違うクラスの女の子が妊娠したといううわさは、本当にあっというと間に広まった。
そして、その相手が誰かということも一緒に広まった。
彼女は、元男子バレーボール部のマネージャー見習い。相手は、元男子バレーボール部の3年生のエース。
何で彼女が妊娠したと言うことがあっと言う間に広まったか不思議だったんだが、その彼女が妊娠したら相手はすぐにわかるようなものだった。
元々、彼女は女子に人気があった3年生のバレーボール部のエースに近づくためにマネージャー見習いとして男子バレーボール部に入部した。
そして、中体連で敗退して、3年生が引退したのと同時に彼女も退部した。
それからふたりが一緒にいるところよく見かけるようになった。
そんな感じだったから、彼女は同性の女の子たちからあまり評判はよくなかった。
それから、その相手の3年生に対してはまんまと1年生の女子に手玉に取られたとも囁かれた。
夏休みの終わりが近づいたころに妊娠していることがわかって、彼女本人は産みたかったが中絶することになった。
お互いの親たちがかなりもめたと言うことは少しして明るみになった。
彼女の親は、「娘を妊娠させてどう責任をとってくれる」って感じ。そして、相手の親「お宅の娘に誑かせれて付き合うようになって、受験や今後のことでも迷惑だった。むしろこちらが被害者」なんて言うこと言ったらしくて、責任の擦り合いをして、最終的には、中絶して、彼女に慰謝料を支払い。彼女は二度と近づけさせないと言うとになったらしい。
それからは、相手が本心か親に言わされかわからないが「汚点だ」なんてことを言ったものだから、彼女は彼を追い込むために自分自身でうわさを広めたということがあとでわかった。
その後、彼女は普通に学校へ来ていたが彼の方はさらに尾ひれのついたうわさが広がり登校しなくなり、さらに引きこもるようになった。
しばらくは、彼女に対しても腫れ物を扱うかのようだったがしばらくすると周りの生徒たちも何もなかったように振る舞うようになった。
彼の方はと言うと高校受験をせず、不登校のまま卒業して今も引きこもっている。
その相手の男子と言うのは近所に住む2つ年上の幼なじみ。
彼は独り子で、教育熱心の母親も期待をしていたのがこんな感じになってしまったことで息子も母親もおかしくなってしまった。
この家庭自体がおかしくなってしまった。
今、彼の母親も人目を避けるようになり、あまり外出しなくなった。
このことで僕は性交をしたら、妊娠する可能性があること。そして、責任を持って母子ともに養うことが出来ないといけないと思うようになった。
それと女性は対応の取り違えることでどんな報復を受けるかわからないとも思った。
こんな感じで雪に去年起きたこととその顛末を話した。
だから、性交してもし妊娠しても今の中学生の僕は責任を持って養うことが出来るかどうかわからないと正直に言った。
僕は、雪の方を見るとうつむいて僕の話しを聞いていた。
雪は理解してくれただろうか。
僕は、立ち上がり床に置いた缶コーラを取り上げて「冷えたの替えてくる、その間に服着て」と言って部屋を出た。
コーラは、そんなにぬるくなっていたわけではないが僕自身雪が服を着るところにいることが気恥ずかしかった。
僕は階段を降りてキッチンへ行き、冷蔵庫から缶コーラ2缶を取り出し、持ってきた缶コーラを冷蔵庫に戻した。
昨日、夕食の後に母さんが柳月で買ったシュークリームをみんなで食べたがいつものように数多く買って来て食べきれずに2コ残った。それをあとで食べなさいと部屋に帰る時に持たされて冷蔵庫に入れたことを思い出した。
また冷蔵庫のドアを開けて、紙の袋を取り出した。
そして、部屋に戻ることにした。
部屋に戻ると雪は服を着て、ベッドに腰掛けていた。
「シュークリームあったの思い出したから一緒に持って来た」と言って袋ごと雪に手渡した。
雪が袋を開けて、シュークリームを1つ取り出し僕に手渡した。
そしてもう1つ取り出し、袋は丸めてにベッド脇に置いているゴミ箱に捨てた。
「シュークリーム、初めて食べたの帯広に来てから」と雪がぼそっと言った。
「ケイには、前に話したと思うけど、帯広に来る前は別海に居て、家族で酪農をしていてね。ケーキなんて誕生日かクリスマスの時くらいしか食べたことなかった。それに家の近くにお店もなかったから」と雪が言った。
「お父さんが死んでから、牛を全部売って色々整理して、帯広にお母さんと来て、帯広の小学校に転校した時、別海の小学校と雰囲気が違って、どうなるんだろと思ってた。ひとりだけ頬っぺたが真っ赤で、話し方も田舎ぽいと言われ、自信がないから話す声がさらに小さくなって、何に言っているかわからないとか、クラスの男子から『田舎っぺ』『かっぺ』とか、おかっぱにしていたから『カッパ』とか、別海にいたころ家の手伝いで牛に餌をやったり、牛舎の掃除の手伝いをしたりしたこと言ったので『牛臭い』とか『臭い』とか言われて嫌だった。中学校に入学した時には、髪も少し伸びたし、真っ赤だった頬も落ち着いて、周りの女の子と見た目はあまり変わらなくなって、違う小学校からの人たちとも一緒になって、少しずつ友だちも出来て、帯広にもだんだん慣れて来たのに」と雪は淡々とだけど少したどたどしい感じもする話し方で話した。
そう、今の雪を見て想像するのが難しい。
少なくても、僕が初めてヤングセンターでみた時は周りにいる女の子の中でも見た目は美人に感じた。
僕は、引っ越して来てすぐの雪は知らないが、もし雪が話した通りだったとしても僕は馬鹿にしなかったと思う。
親戚に農家の人もいるし、男の子は女の子を守らないといけないと親やじいさんや死んだばあちゃんから言われていた。
それに僕は、単純に人を馬鹿にしたり見下すことが嫌いなだけ。
だって、格好悪い。
弱い者を助ける方が断然格好いいのに決まっていると思う。
僕らは、レコードを聴きいていた。
あまり会話らしい会話もせず1時間ちょっと過ぎたあたりで、「今日、広小路で盆踊りあるから行ってみる」と僕が言った。
雪はうなずいた。
「今日で最後だから、明日の朝まで一緒にいてくれる?」と雪が言い出した。
「いいよ。ただ家に帰らなくても大丈夫なの」と僕は言った。
「今日は、お母さんに仲良くしてくれた友だちのところにお別れを言ってくると言って出て来たの。それで友だちに最後だから泊まっていきなって言われたと言ってお母さんに電話する」と雪が言った。
僕は、さっきの雪の行動といいこのような発想が出来るなんて思いもよらなかった。
「それじゃ、下の居間に電話があるからそこからかけるといい」と言って僕は雪を連れて階段を降りて、居間のドアを開けた。
居間は8畳ほどで真ん中あたりに天板がガラスのローテーブルを囲むように3人掛けのソファーと1人掛けのソファーが2脚を置かれ、テレビとサイドボードと電話台とがあった。
閉まっている引戸の先の部屋は寝室になっている。
僕はこの居間に入るのは、電話を使う時だけで、電話も滅多なことで使わない。
「僕は、ソファーに座って待っているから電話しなよ」と 僕は言った。
雪は受話器を左手に持ち、ダイヤルを回した。
すぐにつながったようだ「お母さん、今夜は最後だから久美が泊まっていったらって言うから、遅くても明日の朝8時には駅に行くから」と言うと、雪のお母さんが何か言っているようだが、僕には聞こえないので何を言っているのかはわからない。
雪はしばらく、黙って聞いていて「夕食は、久美と盆踊りを見に行った時に食べるから、ただ夜久美の家に泊まってお話ししょうってことで、そんな久美の家でお世話になるわけでないから」と雪が言った。
また、雪が黙って受話器から聞こえてくる雪のお母さんの声を聞いて「とりあえず、持っていくものはマジソンバックにまとめてあるからそれを持って来てくれればいいから、それじゃお母さん明日改札口の前でね」と言って、雪は受話器を置いた。
「お母さん、私の友達と会ったことないけど、名前だけは知っているの。それでお母さんが知っている名前の女の子のところに泊まるって言ってたら、そちらの家の人に迷惑かけないようにって、言われた」と雪が言った。
「お母さんと話すときは、いつもと違うね。友だちたちと話すときはぎこちなさを感じるけどね」と言うと「お母さんには普通に話せるけど、他の人と話すとダメなんだよね。明日はお母さんと一緒に函館まで行くことになっている。お母さんだけ函館で1日か2日過ごして帯広に戻ることになっているの」と雪が言った。
雪のお母さんとは面識があるのはもしかしたら僕だけではないのかと思う。
以前「娘がお世話になっています」と言って、菓子折りを持って家に来たことがある。
それと僕のお父さんと面識があったようだ。
お父さんが仕事での接待に使うクラブに雪のお母さんが勤めていることで知っていたようだ。
雪のお母さんは、雪の髪色とは違う真っ黒で、身長はほぼ一緒。そして、美人である。
もしかして、雪の友だちの雪の中で雪のお母さんが知っているのは僕だけかも知れないと僕は思った。
サイドボードの上に置いてある置き時計を見るともう少しで5時になるところだった。
「それじゃ、街に出ようか」と僕が言った。
雪は僕が言ったことに同意したと言う感じでうなずいた。
確か盆踊りが始まるのは、6時半くらいだと思ったから、街の中が人出が多くなる前にごはんを食べようと思った。
居間から出て「雪、忘れものない?なければ先におもてに出てて、ちょっとお金を部屋から取ってくる」と僕は言って階段を上がった。
階段を上がっる途中スラックスの右後ろポケットから黒い2つ折りの財布を取り出し、中を確認した。
まだ千円札は4枚入っていて、小銭が少し入っているようだったが、机の引き出しに3万円を封筒に入れておいたのでそこから1万円を持って行こうと思った。
2階の奥の部屋の机の引き出しから、お金が入った封筒を取り出し、1万円札を1枚抜いて、残りのお金は封筒ごと机の引き出しに戻した。
財布にお金を入れて階段を降りて僕も外に出た。
戸締まりをして、通りに出たところでタイミングよく空車のタクシーが近づいていたので止めた。
ふたりはタクシーに乗り「駅前まで」と僕は行き先を運転手に伝えた。
タクシーは駅前のロータリーに入り、タクシーの降車場に止まった。
タクシーから降りて、シャツの胸ポケットに入れていたクラブマスターをかけた。
「何か食べたいものある?」と僕は雪に聞いた。
「ケイが食べたいものでいいよ」と雪が言った。
「それじゃ、ぱんちょ、フジモリ、平和園、はげ天、吟寿司、どこがいい」と僕はひとりで行ったり、家族で行く店を駅から近い順に言った。
「はげ天」と雪が答えた。
雪がはげ天と言ったのは、なんとなくわかった。
単純に雪が天ぷら好きと言うことは知っていたので当然のことではげ天を選んだのだと思った。
僕は、雪の好きなものを食べてもらいたかったので、あえて色々なものから選択するようにみせて雪が食べたいものを選択しやすいように僕が誘導した。
仮に天ぷら以外のものだとして、この選択肢の中に食べたいものはあると思った。
僕は、帯広で過ごす最後の夜に雪に好きなものを食べてもらいたいと思った。
正直なところ、朝まで付き合うと約束したが朝までどうすればいいかわからなかった。
でも僕の中ではっきりしていることとして僕が雪にしてあげられることは出来る限りしようと思ったことだ。
とりあえず、帯広がよかったと思えるようにまずは雪が美味しいと思うものを一緒に食べれば少しはいい思い出を作れるかなと思った。
駅前からお店まで、会話もほとんどないまま5、6分程度歩いた。
午後5時を過ぎていたので夜の営業は始まっていた。
僕らは、店に入り奥側の空いてる席についた。
席着いて、かけていたクラブマスターを外してシャツの胸ポケットに入れた。
僕はお品書きを見ないで「上天丼でいい」と雪に聞いた。
「それでいいよ。もしかして、本当ははじめから天丼を食べようと思ってた?」と雪が言った。
「雪が天ぷら好きなことは知っているし、ただそれ以外ものを選ぶ選択肢をただ言ってみた。だけど、昼に豚丼を食べたからぱんちょは選らばないで欲しいと思ったけど」と答えた。
近くを通りかかた店員に「上天丼2つ」と言った。
まだ、店内は混んでいないので、すぐに上天丼が運ばれてきた。
食べ終えて、6時になろうしていたので会計を済ませ店から出た。
もう、この辺あたりも人通りが多くなってきていた。
店を出て、そのまま広小路の方へ歩き出した。
もう広小路の歩道のところはかなりの人混みになっていた。
盆踊りが始まるまで少しあるが踊る人たちは車道に集まっていた。
「露店の方に行ってみよう」と僕は雪の手を引いて人混みの中、西1条通りの方に向かった。
たくさんの露店が出ていて、毎年露店で色々なものを買って食べるのが楽しみだった。
美味しいものなら、他にたくさんあるのにこの時だけとか雰囲気で露店で売っているもの買ってしまう。
「何か食べる」と聞くと「今食べたばかりだから」という返事が返ってきた。
僕らは、ただ人混みの中露店を見ながら歩いた。
「ケイ、ちょっともう少し人混みでないところに行かない。出来れば少し座りたい」と雪が言った。
「それじゃ、どこか喫茶店に」と言って駅の方へ歩いた。
南10丁目を過ぎたあたりから人混みも少しやわらいだ感じがした。
たまに学校帰りにひとりで本を読んだりするのに利用している『蘭豆(らんず)』という喫茶店の近くにいることに気づいた。割りと落ち着いた静かな店内で高校生のカップルなどもよく見掛ける店だ。
店の前に来るとドアが開き、女性客2人が出てきた。
これで少なくても1席は空いてるだろうと思いドアを開けた。
店内を見渡すと入って左側のカウンターから遠い席が1つ空いていたのでそこに座った。
すぐに店員さんが水の入ったコップをテーブルに置いて「ご注文が決まりましたらお呼び下さい」と言って戻って行った。
僕は、アイスティーにしよう思っていたので、雪にメニューブックを渡して「どうぞ、何でも好きなものを」と言った。
「クリームソーダ」と雪はメニューブックを開かずに言った。
僕が手を上げて注文するものがきまったという合図するとすぐに店員はテーブルまで来てくれた。
「アイスティー、ミルクもシロップもレモンも要りません。それとクリームソーダ」と言った。
注文したものは、すぐにきた。
他の席のオーダーしたものすでに出ていたのかも知れない。
たまにこの店に来るが、ここに来る客は滞在時間が長く感じる。
それは出入りする客は、少ないのに在席している人が多く感じるからだ。
落ち着く雰囲気があるのでつい長居してしまう。
僕は、急にひとりだけ函館へ引っ越すことになったのかが気になっていた。
聞いていいものなのか、どうやって聞こうかって考えていたら。
「ねえ、さっきから思っていたけどなんか歩き方が変な感じかするんだけど」と唐突に聞いてきた。
しばらく雪と会っていなかったので、僕が夏休みに入る前に怪我をしたことを知らない。
僕は、簡単に怪我をした時のこと、それから今に至る状況を話した。
それで、このところ会っていなかったけどどうしていたか聞くと雪の方もクラスメートの女の子たちでヤングセンターに泳ぎに行ったり、駅前の柳月や六花亭へケーキやデザートを食べに行っていた話しなどを話してくれた。
僕は、雪の話しを聞いて、以前より同じ学校のクラスメートたちと遊ぶようになったんだなと思った。僕が雪と出会ったころは、ついでに遊びに誘われていたという感じがしていたが今はそうでもないのかなと思った。
雪も少しずつだが馴染んできたのに帯広から離れるのは嫌なのではないかと思ったが明日帯広から離れるのに『帯広にも馴染んできたね』と言ってしまうと後ろ髪を引くようにも思ったので言わなかた。
「僕たちも恋人同士に見えるかな」とふと口にしながらも気恥ずかしくなった。
「ケイとならそう見られるのはうれしいかも」と微笑みながら言ったように見えた。
「いや周りを見るとカップルばかりだからさ」と言い訳がましく付け加えるように言うと
「ケイは私と恋人同士に見られるのはいや」とうつむいて言った。
「別にいやではないけど、僕たち
恋人同士ではないよね。友達同士だろ」と僕と雪の関係はどうであれ、今の状況を見ると恋人同士に見られるのは必然だと思う。
僕は話の本題にはなかなか入れなかった。
この数時間前に雪に対しての意識が変化して、自分でもこうしてテーブル越しに向かい合って座っいると何か以前とは違うように感じていた。
いつもと違って、平然を装っている。雪の完全に大人の女性と言って裸の姿を見たことで、僕の中で雪を女性と認識してしまった。
雪はいつもと変わらないようにしているけど雪の内心はどうなんだろう。
僕は、雪に勘づかれないないようにと色々頭の回らせていると
「ケイ、ケイの部屋でレコード聴いたりして話さない。今夜は街の中が人でいっぱいで落ち着かないの」と雪が言った。
僕も特に盆踊りを見たいわけでもないし、同じ中学の奴らと会ったら、女の子とふたりでいることを冷やかされるだろうなと思った。
「じゃ、飲み終わったら帰ろうか」と言った。
そのあと、僕らは店を出て、駅の方へ歩いた。
駅まで来るとバス停に『自衛隊行き』のバスが止まっていたので
ふたりはそのバスに乗った。
時刻は、まだ午後8時前だった。
バスの中はすでに席は埋まっていて、ほとんど吊り輪にも人が掴まっていた。ふたりは乗車すると乗車口近くの手すりに掴まった。ドアが閉まりすぐに動き出した。車内では混んでいたので話さないまま立っていた。
駅前からバスが出て、3つ目の停留所の「西5条南12丁目」でふたりは降りた。
日曜日だし午後8時を過ぎていたので通りの多くの店はもう閉まっていた。
そこから5、6分くらい歩くと間借りしている家に着いた。
僕はポケットから鍵を取り出しドアを開けた。
すぐに2階に上がり、僕は奥の部屋の押し入れの中のプラスチックの衣装ケースからアディダスのグレーに黒の三本線が入ったジャージの上下を出して「服シワになるから、これに着替えて」と言って渡した。
体育の授業で使う学校指定のもの部活で使用しているもの部屋着としてのものなどジャージやスエットシャツ、スエットパンツをプラスチックの衣装ケース1つまとめて入れている。
そして「ちょっと肌寒くなってきたから、温かい飲み物を持ってくるから」と言って僕は部屋を出て下のキッチンへ行った。
冷蔵庫から牛乳を取り出し、片手鍋に注ぎ火にかけた。
牛乳が沸騰する前に火を止めて、インスタントコーヒーと砂糖を加えて混ぜた。
2つのマグカップに均等に注いで
僕はそのマグカップを両手の1つづつ持って部屋に戻った。
雪はジャージに着替えてベッドに腰掛けていた。
「サイドテーブルの上のプレイヤー下に下ろしてくれる」と言うと雪は下に下ろしてくれた。
僕は、サイドテーブルの上が空いたところへ2つの温かいミルクコーヒーが入ったマグカップを置いた。
「自分も着替える」と言って、さっき雪に貸したジャージが入っていた衣装ケースから雪に貸したジャージと色違いのジャージを出した。上はオレンジに黒の三本線、下は黒にオレンジの三本線が入っているジャージ。サッカー部の全員で揃えて買ったものだ。
部によって異なるが決まったジャージやウインドブレーカーと言うものはない。いくつの部は部員たちでお揃いのものまとめてスポーツ店に注文して多少の値引きしてもらって買っていた。もちろん部の公式のジャージではないので、学校名や所属の部の名称などは入れていない。
ただ、色を合わせているだけなのだ。
だから、部によってはジャージはバラバラなものを着用しているところもあった。
雪が着ているジャージは普段、僕が部屋着として使っているものだ。
僕は、下に置いたレコードプレイヤーを奥の部屋へ持って行き、代わりにラジカセを持って来て床に置いた。
カセットデッキの再生ボタンを押すとカセットデッキの中には1ヶ月前くらいに買ったボズ・スキャッグスのシルク・ディグリーズをダビングしたカセットテープが入って、“リド・シャッフル”という曲がスピーカーから流れて、すぐに次の“ウィアー・オール・アローン”のイントロが聴こえて来た。
「この曲、ラジオで聴いたことある。歌詞はわからないけどいい曲よね」と雪が言った。
「僕も英語は得意でないから歌詞はよくわからないけど、“We're all alone”って英和辞典で自分なりに訳すと“私たちはみんな一人ぼっち”」と僕が言うと「歌詞はわからないで聴いたけど胸に何か感じってたの。この曲終わったら、もう一度巻き返して、聴いていい」と雪が言った。
「いいよ」と言って、曲が終わるとテープを巻き返して、再生ボタンを押した。
僕たちは、今度はただラジカセのスピーカーから流れる曲に聴きいっていた。
「帯広に来たとき、何でここに来たのって思っていたの。お父さんのお母さんや兄弟は函館の空襲で亡くなって、お父さんは戦死して戦争孤児となって農家の親戚のところで中学を卒業するまでいたと聞いている。その親戚も付き合いはないみたいだけど函館の近くって言ってたし、お母さんも兄弟がいなく唯一の身内のお母さん、私にとってのおばあちゃんだって函館にいるのに函館でなく帯広に来たのは、別海にいた頃に先に離農して帯広に移り住んだ人がいいところだと言っていたので帯広に引っ越すことに決めたとお母さんが言っていた。引っ越してすぐのころは、“田舎者“って感じでからかわれるし、本当に孤独を感じていた」と雪が話し始めた。
「でも、今は帯広から離れたくないという気持ちもあって」と雪が付け加えるように言って、そのあと口を噤(つぐ)んだ。
「どうして」と僕の口から出た。
「私、函館で生まれけど2歳くらいの時に家族3人で別海へ行って酪農を始めたので、函館の記憶なんてないし、今まで函館のおばあちゃんとは私が記憶している中で会ったのは、お父さんの葬式の時だけで、お母さんがその時”唯一血の繋がりがある人“と言っていたの。だから、函館の居た記憶もないし、唯一の身内のいる函館だってどんなところかわからない」と雪が答えた。
雪を見ると少しうつ向いている姿が寂しそうに感じた。
僕は帯広で生まれて帯広で育って、他の街のことをよく知っているわけではないけど“いい街”だと思うし好きだ。
雪は、まだ帯広に来て2年ちょっとしかいないのに帯広のことを好きになろうとしているのに何で雪だけが函館に行くことになったんだろうと僕の頭の中にそんなことが過った。
「何で急に引っ越すことに」と僕が言うと雪はうつ向いたまま黙っていた。
僕は、今これ以上のことを聞いても雪が答えたくないのだと思ってそれ以上聞くのをやめた。
「ケイみたく、レコード何枚も持っていないけど、私もちょっと前にレコード買ったの。荒井由実の“ユーミン・ブランド”っていうの、このところずうっと聴いていて、その中で“あの日にかえりたい”、“やさしさに包まれたなら”そして“翳りゆく部屋”が特に好き」と少し暗かった表情から楽しそうな表情になり語りだした。
ちょっと前までの少し重たい空気が軽くなったように感じた。
僕も歌詞もわからないのに最近は洋楽ばっかり聴いていて、気に入った曲をカセットテープに入れて聴いていることを話すと雪が「聴くのは邦楽ばかりだけど、こうして歌詞がわからなくても洋楽もいいね」と言った。
僕は、最近買ったキューブ型のレコードケースから数枚のレコードを出した。
ボズ・スキャグス、ドゥービー・ブラザーズ、マーヴィン・ゲイ、ジャクソン・ブラウン、アルバート・ハモンド、サンタナ、ダイアナ・ロス、キャロル・キングなどがあり、雪にどれか聴いてみたいのをあるか尋ねると指差したのは、キャロル・キングの“つづれおり”だった。
僕はこのキャロル・キングのアルバムを友達のところでステレオからカセットテープにダビングしたものよく聴いている。
モノラルのレコードプレーヤーで聴くよりもラジカセでステレオ再生して聴く方が音もいいので、カセットテープを入れているケースから“つづれおり”をダビングしたテープをラジカセにセットして「レコードプレーヤーでレコード聴くより、ラジカセでダビングしたテープの方が音がいいから、こっちで聴こう」と言った。
雪はベッドに腰掛け、僕は床に座っている。
僕は、今こうして雪とふたりきりで部屋にいて、以前とは違い雪を強く女性と認識している。
数時間前に何も身に纏わない姿を見て、雪は外見上はもう“大人の女性”になっていることを知ってしまった。
僕が雪にジャージを着させたのは少しでも“女性”として感じないようというところもあった。
はっきり言って、雪のこと女性として認識して、狭い空間でふたりきりでいることは心穏やかではない。
さっきから頭の中でこんなことばかり浮かんでいるが外見上では必死に冷静を装っている。
こんなことを思う自体僕はまだ“子ども”?ってさ。
大人なら、女性の裸を見ただけで動揺なんてしないのだろう。
雪は、そんな僕のことどう思っているのだろう。
「帯広に来てすぐの頃にお母さんが話してくれたことだけど、小5の時に亡くなったお父さんだけでなく、もうひとりお父さんがいたことを話してくれたの」と唐突に話し始めた。
「お父さんが事故で死んで、お母さんが“本当に男運ないな”って呟いたときにね、これであなたお父さんふたり亡くなったのよって言ったの」と雪がうつ向いて僕から視線を外すように床の方を見たまま言った。
僕は、ただ黙って雪の話しの続きを聞いた。
「私もこのとき初めて知ったこと
だけど、私の1人目お父さんも事故で死んでいるの。まだ、私がお母さんのお腹の中にいたときでさ、お母さんの話しだと、その男の人と結婚してすぐに亡くなってしまった。その男の人は、ロシア人で大学で研究員として働いていた人で海洋研究者だったんだって、その亡くなった時はまだ24歳だったらしいの。お母さんから詳しく聞いたけど、掻い摘んで話すとその男の人は、お母さんが高校になってからたまにおばあちゃんのパブの手伝いしているに一目惚れして、色々あったみたいだけど付き合いようになって、16歳になってすぐに結婚したけど、1年もしないで死んだらしい。研究のために海に出た船から転落して行方不明になり見つからず、捜索活動も打ち切られ死亡扱いになったと」雪は部屋の天井を見てさらに話し続けた。
「私の髪や瞳が黒でないのはロシア人の血が入っていたからだったの。私が唯一お父さんと思っていた人とは私が2歳の時にお母さんと結婚して、家族3人で別海に入植して酪農を始めたと教えてもらった」と言いながら雪は僕の方を見た。
「そうだったんだ」と僕は言ったが続く言葉が思い浮かばない。
だっていきなり、お父さんがふたりいて、そのふたりのお父さんはふたりとも事故で死んで、薄々は髪や瞳の色から、日本人以外の血が混じっているのではと連想していたがおじいさんかおばあさんまたそれより遡ったところと思っていたが“お父さん”だったと思っていなかったので僕はどう反応すればいいのか、それに対し何か言わなければいけないのかとか思うと何の言葉も出て来ない。
さらに「こんなこと話すのはケイだけ」と雪が付け加えて言った。
「雪は、ロシア人のお父さんのことどう思うの?」と僕の口から出た。
「正直、あったこともないし、“お父さん”は3年前に亡くなったお父さんだけだと思っていたので、お母さんにもう一人お父さんがいたと言われても想像がつかない」と雪は僕を見て答えた。
そうか、雪はハーフだけど髪の色と瞳の色を除くと顔立ちはお母さんに似ているからまったくハーフなんて思わなかった。
雪のお母さんも美人で若い。雪を17歳で産んだと言っていたから、今31歳か、雪も大人ぽっくなったから親子というより姉妹と言っても知らない人はそう思ってしまうだろう。
雪と知り合ってから、まだ1年も経っていないので、雪のことを知らないのは当然のことだが、今さらに雪自身が最近になって知ったことまで話したのなら、今なら急に引っ越すことになった理由を聞いたら答えてくれるかも知れないと思った。
「ずうっと、帯広にいて、この先もケイと友達としていて、大人になって、車の免許を取ったらドライブに連れて行ってもらいたかった」と雪が言い出した。
雪は、やっぱり帯広にいたいと思っているのだと思った。
「雪、ドライブへ行くのに行きたいと思う場所はある」
「海、前にラジオでの劇で、海までドライブして、波打ち際を歩くとことろがあって、波の音がしてさ、その時、私もこんな感じでドライブしたいなって思った」と雪が話しながら、わくわくした感じが伝わって来た。
「それなら、大人にならなくても今出来る」と僕が言った。
僕は、また帯広から離れる理由を聞きそびれたけど、帯広から離れる前に大人になってからしたいと思っていること叶えることが出来ると思った。
僕は、中学生になってから、たまに牧場で仕事の手伝いをしていた。
そのときに牧草地で作業するときトラックを動かすこともあるからということで車の運転を教えてもらい。度々、牧草地や山の中などトラックを運転することがあった。
それとここに来てからは、じいさんが泊まりがけで出掛けることが多く、その時、車をおいていくので、夜中に運転をしていた。
つい3日くらい前に独りで海までドライブしたばかりだった。
じいさんの車は、トヨタのクラウン。ずうっと、歴代のクラウンに乗っていて去年買ったので5台目だと聞いているがここ最近は近場でしか運転してなくて、遠出するとき自分で運転することがなく、誰かに運転してもらうか、車を使わず鉄道を利用することが多くなっていた。
今、じいさんは旅行に出ていない。
車はおいたままで、3日前に運転した時にガソリンを入れて満タンになっている。
今ちょっと前に僕が「それなら、大人にならなくても今出来る」と言ったことに雪はきょとんとした表情をした。
雪としては、ドライブ出来るの早くても18歳になってからだと思っている。
確かに雪の思うことは正しい。
法的には、今の僕は車を運転出来ないのだから雪がきょとんとした表情になったのも当たり前ことだ。
「車の免許はないけど運転することは出来る。それと車もある」と僕が言った。
「車を運転しても交通違反や検問しているとき以外はまず警察を止められることもない。違法だということはわかっているけど、ドライブして、海まで連れ行ってあげられる」とさらに付け加えた。
実はじいさんも僕が車を夜中に運転していることを知っているようだが知らないふりをしているようにも思える。
「豊頃町の長節湖キャンプ場まで3日前に独りでドライブして来たんだ。長節湖と海と間隔があまりないところで車も止めるところもあるし海岸線を歩くことも出来る。1時間ちょっとくらいで行けるけど、行ってみる?」と言うと雪はうなずいた。
僕は雪に「着替えおいてと、砂浜を靴で歩いたら砂まみれになるから家からビーサン取ってくるから」と部屋を出ようとしたとき「どれくらいで戻るの?」と聞いて来たので「自転車で行ってくるから15分くらいで戻れはず」と言って、階段を降りて玄関から出て玄関脇に置いてあった自転車に乗り自宅に向かった。
僕は15分もかからず戻って来た。
戻って来たときには雪は自分の服に着替えていた。
「ただいま」と言って、そのまま奥の部屋行き、ローチェストからベージュの薄手のシェットランドセーターを取り出し「ちょっと肌寒いと思うから、これを着て」と言って渡した。
それから洋服タンスからマックレガーのベージュのドリズラーも取って「風が吹いていたらセーターだけだと風を通して寒いからこれも」と言ってそれも手渡した。
雪はすぐにセーターを着た。
身長はあまり変わらないけど、メンズのセーターなのでちょっと大きいようだ。
でも、雪の着ているものに合っていた。
僕もジャージを脱いで、椅子の上に置いていたリーバイスの501を履いて、チャンピオンのグレーのスエットパーカーを着た。
まだ、午後10時前だった。
僕の頭の中で雪と朝まで過ごすスケジュールが浮かんできた。
これから、ここを出て長節湖に着くのは、仮に午後11時半として、2時間いやそんなはいないと思うが長くみてもそのくらい。午前1時半に出て帯広に戻るのは午前3時には帰ることが出来るはずだ。
雪に車の中でも寝てもらい。
家に着いてすぐに寝てもらうと6時半まで寝たとして3時間半くらいは寝られるはず。
雪のお母さんは午前8時に駅の改札口前に来るとして、7時にハイヤーが来てもらうことにして駅まではどんなに途中渋滞があっても余裕で8時前には着くはずだ。
そんな感じで頭の中で時間の余裕持ったスケジュールを1つ1つ確認した。
とにかく明日の午前8時までに駅の改札口前まで雪を届けないといけない。
僕は、これなら無理のないスケジュールだと思った。
そうだあと何か少し食べるものを用意しようと思い、この時間なら店はもうどこも閉まっいるから、駅へ行こうと思った。
駅構内のキヨスクならまだ開いているかもしれないから、ガムや飲み物、何かサンドイッチとか食べるものを買うことが出来るかも知れない。
雪に「先に外に出てて、何本かカセットテープ持っていくから」と言って隣の部屋にあるカセットテープを入れているケースからカセットテープを3本取り出し、スエットパーカーのお腹のポケットに入れた。
それと今日履いていたスラックスの後ろポケットから財布を取り出し履いているジーンズの後ろポケットに入れた。
階段を降りて、居間に入り電話台に付いている引き出しから車のキーケースを取り出した。
そして、玄関に自宅から持って来たビーサンが入っている袋を手にして外に出て戸締まりをした。
車は、家の裏側に駐車している。
僕らは車のところに行き、車に乗り込んだ。雪が手にしていたドリズラーと僕が手にしていたビーサンの入っている袋を後部座席に置いた。
そしてスエットパーカーのポケットから3本のカセットテープを取り出し雪に手渡した。
『これとりあえず、ダッシュボードに入れておいて』と言った。
僕は車のエンジンをかけて、車を動かした。
「まずこれから駅に行く。駅のキヨスクでちょっと買い物してから長節湖へ向かう」と僕は言った。
車は、東の方へ少し走らせると西5条通りに差し掛かり、左折して北へ進む、地下道を出たところを右折するのだが交差点に差し掛かるとき信号機が右折のランプに切り替わり、スムーズにこの交差点を通過することが出来た。
朝の通勤時間や夕方の車の交通量増える時間帯は右折するのに2回くらい信号待ちをするよくあることだ。
次は、西2条通りに差し掛かかったら右折して南に向かうと帯広駅に着く。
赤信号で止まることもなく、駅前のロータリーに入ることが出来た。
僕は、車を停めて「ちょっと買って来る」と言って車から降りた。
そして、すぐに車に戻って来た。
「もう、閉まっていた。飲み物だけなら途中の自販機で買えるから」と言って車を動かした。
僕はすぐに駅前のロータリーから出て西2条通りを北に進んだ。
駅を出るとき、駅の時計は22:15だった。
車に乗ってから、雪は僕の言うことに「うん」と返事するくらいだったが駅から出てようやく話し出した「ケイ、運転上手。なんか乗ってすぐは運転が不安だったけど、家を出てから駅まで運転でこれなら大丈夫だと思った」と言った。
あとは国道38号に差し掛かったら右折して、そのまましばらくは道なりに東へ進むだけだ。
国道38号は、滝川市から釧路市至る国道。
浦幌町に入り、国道336号に合流したところを今度は国道336号を西に少し行ったところに長節湖がある。
国道336号は、浦河郡浦河町から十勝郡浦幌町を経て、釧路市に至る国道でこのまま進むと大樹町、広尾町につながる。
3日前に行ったし、ほぼ道なりに進むだけだから道に迷うことないし、ガソリンは満タンだしガス欠の心配もない。とにかく安全運転をして、交通事故に気をつけてれば問題ないだろうと思った。
午後10時を過ぎていたので、交通量は少なかった。
「ラジオを聴く?持ってきたカセットにする?」と僕が聞くと「カセットテープ」と雪が答えた。
雪は、やはり僕の運転は不安なのだろか、なんか緊張しているようにも見える。
「カセット出して」と僕が言うと雪がダッシュボードからカセットテープを取り出した。
「適当に持ってきたけど、何がある?」と聞くと、雪はカセットに僕が書いた手書きのタイトルを読み出した「“ホワッツ・ゴーイン・オン”と“トゥールーズ・ストリート”と“レイト・フォー・ザ・スカイ”」と言った。
「“レイト・フォー・ザ・スカイ”と書いてあるカセット、デッキに入れて」と僕が言った。
しばらくの間、ほとんど会話のないまま、スピーカーから流れる音楽を聴いていた。
札内川を渡りるとさらに交通量が減り、対向車も時折ある程度でバックミラーに映る後続車もない。
お盆のせいかいつもの夜と比べて国道に出ると乗用車よりもトラックの方が多いのだが、国道38線を走行し始めてから、トラックとすれ違ったのは2回だけだった。
深夜だから、すれ違う車は少なく、それにお盆なのでいつもよりトラックが少ない。
街灯も少ないので、少しでも明るいところがあると目立つ。
少し先に明るいところが目に入った。
近づくとドライブインの店内の照明が外にもれていた。
駐車場には、トラックが1台駐車しているだけだった。
車をドライブインの駐車場に入れて停めた。
「缶コーヒーでも飲む?」と僕が言うと「うん」と言って、二人は車から降りて、ドライブインの中に入った。
ドライブインと言っても無人で飲み物、タバコ、ガム、そばの自動販売機が設置されて、テーブルとパイプの丸イスが置かれいるだけだった。
店内には誰も居なかった。
自動販売機のコーヒーは冷たいものだけだった。
それとクールミントのガムを1つ買って車に戻った。
「深夜にドライブって、大人になった感じ」と雪が言った。
「そうだね。でも、パトカーとか見ると違反とかしない限り止められないとわかっていてもドキドキするし、無免許で運転していることもこんな時間に出歩く本当はいけないことだと知ってやっているからね。本当に大人だったら、免許も持って堂々と昼間の明るい時間にもドライブする。だって、今は真っ暗で周りの景色は見えない。だから本当に早く大人になりたいと思う」と僕が言った。
「大人になって、帯広に戻っ来たら、ドライブに連れていてくれる」
「いいよ。その時は明るい時間に海へ行こう」
と二人は車のエンジンを止めたままの車内で他愛のない話をした。
話しをしているとトラックが1台駐車場に入って来た。
「もう出よう」と言って、エンジンをかけて、駐車場から出て、また海へ向けて走り出した。
信号機もほとんどなく、幕別町の市街地付近を通過してからは信号機のある交差点もなく、また信号機があっても点滅していて途中で停車することもなく豊頃町に入り、そのあと浦幌町に入って、また豊頃町に入る感じで長節湖キャンプ場の駐車場に着いた。
駐車場に着いた時、駐車場に設置してある自販機のところに2人いた。
車は、駐車場に入ってすぐのところに駐車した。
車に付いていた時計の針は午後11時48分を指していた。
「雪、後ろからビーサンの入った袋を取って」と僕が言った。
雪は後部座席に置いてある袋を取った。
「砂浜を歩くときに足元が砂だらけになるから履き替えよう」と僕が言うと雪は袋に入っていたビーサンを2足取り出した。
「同じものだからどちらでも」と言うと雪も僕も素足になりビーサンを履いた。
ふたりが車から降りると車と車の間から犬の頭が見えて、僕たちの側を通って道路を横切り茂みの中に消えて行った。
野良犬かと思ったが僕たちの側を通過するとき、尻尾を見て、野良犬ではなく、銀狐だということを知った。
「犬かと思ったら狐だった。こんな近くで狐を見るの初めて」と雪が言った。
「そうだね。野良犬だと僕も思って見てたら、狐だもんね。それに僕も銀狐を近く見るの初めてだよ」と僕も言った。
「少し風があるようだから、もう1枚羽織った方がいい」と言って、後部座席のドアを開けて、ドリズラーを手渡した。
そして、トランクからレジャーシートを取り出し、すべてのドアがロックされていることを確認して、雪の手を引いて、砂浜の方に歩き出した。
月が出ていたので、お互いの顔も周りも月明かりで見えていたので照明は必要なかった。
自販機のところに見えていた人影も消えて、周りに人の気配はなかった。
僕らは砂浜の入り、波打ち際には近づかず、レジャーシートを敷いて座った。
砂浜にはふたりだけだった。
腕時計を付けていないので、正確な時刻はわからないが午前0時は過ぎていると思う。
キャンプ場のテントを張った群れのあるところからは少し離れた場所だし、この時間に近くには誰も来ないと思う。
僕らはしばらく会話をしないまま海を見て波の音を聴いていた。
「不思議な感じ。夜の海を見ながら砂浜に座っているなんて、本当にここまで来る間ドキドキしていたの。何か悪いことしている感じがして、でも波の音を聴いているとドキドキしていたのが落ち着いてきた」と雪の方から話し出した。
雪の方を見ると僕の方を見ずにずうっと海の方を見ながら話していた。
「帯広には親戚もいなくて、知り合いは別海から先に離農して帯広に引っ越した家族だけで、その家族の人がたまに家に来ていたの。そこのおじさんとおばさんが数ヶ月前から頻繁に深夜電話してくるようになって、初めは何で急に電話がかかるようになったのかわからなかったけど、おかあさんに愚痴を聞いてもらうために電話をかけてきたみたいで、おじさんの方はおばさんが浮気しているみたいだとか、おばさんの方はおじさんがギャンブルにのめり込んでいるとか、おかあさんが仕事を終えて帰宅したの見測るように頻繁に電話をかけてくるものだからおかあさんも嫌気がさしていたの。1ヶ月くらい前にそのおじさんが酔っ払って来て、おかあさんがまだ帰って来る前で家に入れたら、急に『雪ちゃんも随分大人ぽくなって』と言って襲われそうになり、外に逃げたところにおかあさんがタクシーに乗って帰って来て、タクシーの運転手の人がおじさんを取り押さえてくれた。そのあとで警官が来てそのおじさんは連れて行かれて。そんなことがあって、おかあさんが私が夜遅くまでひとりでいるのは危ないから、しばらくおばあちゃんと暮らすことになったの」と雪が帯広から離れる理由を話してくれた。
それから、雪はその夫婦が2週間くらい前に離婚して、小学生の2人の子供はおばさんの方が引き取り、元々おばさんは帯広出身でひとり暮らしをしていたおばさんのおかあさんと一緒を暮らすことになったことやその後でおかあさんと函館のおばあちゃんと話して、しばらくはおばあちゃんと暮らす方がいいと言うことになって、2学期から函館の中学校へ通うため手続きや引越すための準備をしていたとか雪はここ最近までことを話してくれた。
ふたりは砂浜に座って1時間くらい話していただろうか。
夜の海からの風に当たっていたせいか、身体も冷えてきていた。
「寒くない?」と僕が言うと「少し」と雪が答えた。
「それじゃ、帰ろうか」と僕が言って、立ち上がり、敷いていたレジャーシートの砂を払い畳んだ。
僕は、雪の手を引いて車まで戻った。
トランクを開けてレジャーシートを入れて、タオルを取り出した。
助手席側のドアを開け、雪を腰掛けさせて、ビーサンを脱がし、タオルで足に付いた砂を払った。雪は靴下を履いて靴を履いた。
雪の履いてビーサンを袋に入れ、僕は運転席側のドアに回り、ドアを開けて中からスニーカーと靴下を取って、足に付いた砂を払って靴下とスニーカーに履き替えた。
履いていたビーサンはさっき雪が履いていたビーサンを入れた同じ袋に入れてトランクに入れてトランクを締めた。
僕も車に乗りドア締めたとき車内の時計を見ると午前1時5分を指していた。
ここに着いてから、1時間ちょっと過ぎていた。
でも、午前1時半にここを出る予定でいたから、ここまではほぼ予定通りと思いながら、エンジンをかけて、駐車場を出た。
前から1台の車が近づきすれ違った。
すれ違った車はパトカーだった。
もう少し、遅く駐車場にいたら職質を受けたかも知らないと思ったら、なんて運がいいのだろうと思った。
雪もすれ違った車がパトカーだと気付いて「パトカーとすれ違ったとき、ドキドキした」と言った。
バックミラーで確認するとパトカーは駐車場の中に入っていった。
そのあと、バックミラーを何度か見たがしばらく後続車の姿が映ることはなかった。
そのあと、何事もなく帯広に向かって車を走らせていた。
僕は、法定速度を守って走行していたので、途中何台かの車が追い越していった。
対向車を走る車も少なく数台すれ違うくらいだった。
長節湖から離れて、すぐにカセットテープをマーヴィン・ゲイの“ホワッツ・ゴーイン・オン”に入れ替えていた。
雪がうとうとし始めたので「寝ていいよ」と言って、カーステレオのボリュームを下げた。
薄暗い中で、初めて雪の寝顔を見た。
僕は、知らない土地に来て、夜独りでいた時不安だったんだろうと想像した。
雪は、僕のことを好きだと言ったが僕は今まで特に感情を持つことなく付き合っていた。
などと今まで思ってもいなかったこと思いながら雪の寝顔を見ると何か雪にしてあげられたことはなかったのだろか思った。
車が札内川を渡って、帯広に入った時午前2時を回っていた。
市内に入り、何度か赤信号で停車したがスムーズに家の裏の駐車場に着いた。
「雪、家に着いた。起きて」と僕は雪の肩を揺すって言った。
雪は目を覚まし「着いたの」と少し寝ぼけ感じで言った。
「そうだ。2ヶ月前に洗濯機を入れ替えてさ。電気屋が最新式の全自動洗濯機と家庭用衣類乾燥機を設置していったんだ。下着とか靴下だけでも洗うといいよ。とりあえず、シャワーを浴びているときに洗濯機に入れてさ。寝るときだけ、いやかも知れないけど、僕のトランクとTシャツとジャージを着るといい」と僕が言った。
ふたりは車から降りて家に入った。
僕は、浴室に入り、ガス給水給湯機を使えるようにして「シャワーもう使えるから使っていいよ。下着と靴下は浴室のドア脇の洗濯機に入れて、着替えは用意してドア前に置いておく」と言って僕は2階へ行った。
僕は、ローチェストからグリーンのペイズリー柄のトランクと白の無地のTシャツを取り出した。そして、ドライブに行く前に雪が着ていたジャージも一緒に持って下に降りた。
雪は浴室でシャワーを浴びていた姿が曇りガラス越しに見えた。
「着替えとバスタオルドアの前に置いておくね」と声をかけた。
ドア越しに「ありがとう」と言う声がシャワーの音とともに聞こえた。
僕は洗濯機に洗剤を入れてスイッチを入れた。
そして、車のところに行きビーサンやレジャーシート、カセットテープ、室内のゴミなどを取りに行った。
車のキーを電話台の引き出しに戻し、2階に上がった。
車から持ってきたカセットテープをカセットテープに入れているケースに戻し、ケースの中から“Ballads”と書かれたカセットテープを取り出した。
そして、ラジカセに入っていたカセットテープと入れ替えて、再生ボタンを押した。
ジョン・コルトレーンの『バラード』は、ジャズのレコードで僕が初めて買ったものだ。
落ち着いた気持ちになり、リラックス出来る。
目覚まし時計を見ると2時40分くらいだった。
アラームの鳴る時刻を6時30分にセットした。
ドライヤーとブラシを用意してベッドの上に置いた。
それから数分後にジャージに着替えた雪がブラウスとスカートを持って2階に上がってきた。
「ドライヤー用意したからこれで髪を乾かせて、僕もシャワー浴びてくる。それとブラウスとスカートはハンガーに掛けとくいいよ洋服タンスの中に使っていないハンガーがあるから使って」と言って、僕はジャージと白と紺の縦のストライプのトランクと白の無地のTシャツを持って下に降りた。
僕がシャワーを浴びて浴室から出て来たときには、脱水まで終わって洗濯機のスイッチが切れていた。
僕は、洗濯機から雪の靴下とパンティとブラジャーを乾燥機に入れて、タイマーを5分に合わせて、着替えて2階に戻った。
2階に戻り、「洗濯終わっていたから乾燥機にかけている」と言いながら、僕は何も考えずに雪の下着に触れたことを思うと何か急に女性の下着を勝手に触れてよかったのか思いながら雪を見るといつもと変わらない表情で「ありがとう」と言ったので少し安心した。
雪の髪もドライヤーで乾かすのも終わったようなので「雪はベッドで寝て、僕は寝袋で寝るから」と言って隣の部屋の押入れから寝袋を持って来て、ベッドの脇に広げた。
ラジカセのボリュームはさほど大きくなかったがさらにボリュームを下げた。
「それじゃ、寝ようか」と言って僕は寝袋に入った。
雪もベッドで横になって、何か僕に話しかけているようだったが僕はすぐに寝てしまった。
アラームの音で目が覚めて、アラームを止めた。
雪は、まだ目を覚ましていないようだ。
僕は、キャンプに行ったときに使うために買ってまだ使っていない歯みがきセットがあるのを思い出し、キャンプの時に使う小道具をまとめて入れているダンボール箱の中を探した。
歯みがきセットはすぐに見つかり、それを持って下に降りて洗濯機の上に置いて棚からタオルを取ってそれも一緒に置いた。
僕は歯を磨き顔を洗い、2階に戻り、雪を起こした。
「洗濯機の上に使っていない歯みがきセットとタオルを用意してあるから、それと靴下とか乾燥機に入ったままだから」と言うと雪はまだちょっと寝ぼけた感じで「ありがとう」と言って起き上がった。
「それと着ていたTシャツとトランクとジャージは洗濯機の脇に置いている籠に入れて置いて」と言うと雪はハンガーに掛けてあるブラウスとスカートを持って下に降りて行った。
雪が下に降りて、僕はジャージを脱ぎ、白のオックスフォード地のボタンダウンシャツを着てチャコールグレーのスラックスを履いた。そしてローチェストからグレーのソックスを取って履いた。
ジーンズのポケットから財布を取って、スラックスの後ろのポケットに入れた。
僕は下に降り、居間にある電話からハイヤー会社にかけて、ハイヤーを手配した。10分程度でくると言ってたので居間にある置き時計を見ると6時50分くらいなので7時過ぎくらいに来ると思った。
僕が2階に戻ると雪は着替えて戻って髪をブラシでとかしていた。
「10分くらいでハイヤー来るから髪とかして終わったら出ようか」と僕が言うと「もう終わる」と雪が言った。
雪が髪をとかし終えて、「じゃ、先におもてに出てて」と言って、僕は忘れものがないか確認してシャツのポケットにクラブマスターを入れた。
雪が先に玄関から外に出て、僕は再度ガスの元栓が閉まっているか確認して、雪が使った歯ブラシセットを持ち、玄関から出るとき下駄箱の上にドライブインで買ったガムが置いてあったのでスラックスのポケットに入れて、外に出て鍵を締めた。
ふたりが外に出て、すぐにハイヤーが来た。
電話して10分も経っていなかったと思う。
ふたりはハイヤーに乗り、行き先を告げるとすぐに動き出した。
まだ、道路は混んでいなかったので15分くらいで駅のロータリーの降車場所に着いた。
駅には早く着き過ぎたくらいだ。
駅の構内に入り、改札口付近を見て、まだ雪のおかあさんは着ていなかった。
時計を見るとまだ7時16分だった。
雪と僕は少しの間待合室で座っていようと言って待合室の方向かった。
待合室の入口付近にあるキヨスクでサンドウィッチと牛乳を買って待合室に入った。
待合室にはまばらに人がいる程度でふたりは奥の方へ行った座った。
サンドウィッチを食べながら、昨日から今朝までのことを振り返りながら、また会えるよねなんて言う話しをしていた。
僕は、話しをしながら、もうこれでしばらく会うとこは出来ないという実感が湧いてきて何となく寂しくなってきた。
雪を見ると目に涙を浮かべている。
「また会えるよね」と雪が言った。
僕も「今度、会うときはふたりとも大人になっている」と僕はこのあとの言葉を飲み込むようにしてやめた。
「そのときは、ドライブに連れていてね」と雪が言った。
時計を見ると7時50分になっていた。
「もう、おかあさん来ているかも知れないよ。もう改札口へ行った方がいい。朝から僕と一緒だと何か変に思われるかも知れないから、ここで別れよう。またきっと会えるよ」と僕が言った。
雪の目に浮かんでいた涙がこぼれ「うん」とだけ言ってうなずいた。
あとこれと言って、歯ブラシセットとクールミントのガムを手渡した。
雪はそれをスカートのポケットに入れて待合室から出て行った。
僕は雪が待合室を出てすぐに立ち上がりシャツのポケットに入れていたクラブマスターをかけて雪から少し離れたところから後を追った。
改札口付近に雪のおかあさんは来ていた。
ふたりは次の改札の列の後ろに列んだ。
僕は、その姿を見てその場から離れ駅の構内を出た。
ふと待合室で言い掛けて飲み込んだ言葉を呟いた。
「今度、会うときはふたりとも大人になっている。そのとき、雪はまだ僕のことを好きかな。僕はどうなんだろう」
僕は、今も大人に憧れて背伸びをしていてもまだまだ子どもだし、何年かして大人になれるのかな。大人になって変わるのかな。“憧れて”、“待ち続けて”、“行き止まり”を感じて『路地裏の少年』のように大人になるのかなと思いながら空を見上げた。
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