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特に研究したいことがない文学部生へ贈る卒論の乗り切り方

全国の大学生の皆さん、日々お疲れ様です。
おそらく、どこの大学も今は絶賛卒論執筆期間中かつ提出期限に追われている頃ではないでしょうか。

私は現在、文学部でイギリス文学を専攻する現役文学徒です。そして提出期限に間に合うかどうかの瀬戸際攻防戦真っ只中です。じゃあ早く書きなよと。いいんです、電車の中なので。

僭越ながら、そんなギリギリでいつも生きるReal Face系(KAT-TUN)学生の私から、今後文学で卒論を書く全国の学生に向けて遺書に近い助言を贈らせていただきます。

私の卒論へのスタンス

これは本が好きで文学部に進学した人なら分かると思うのですが、本が好きで文学の授業も好きなことと、文学の研究がスムーズに進むことは全く関係ないんですよね。むしろ趣味として読書が好きな人ほど、研究テーマを決めろと言われても困る気がします。

ということで、私は読書好きで絶対に文学がやりたい!という気持ちで文学部に入った、“文学部ガチ勢組”の方ですが、卒論のテーマ決めには苦戦しました。3つくらい案を出して先生に「絶対にやめてください」と言われながら、5月にやっと決まりました。

私の中で卒論は「出せればいいや」というのではなく、「大学生活の集大成」として位置付けているので、適当に出せないタイプです。
質の良い卒論が出したいのに書けない!という類の学生なので、この記事は早くそれなりのやつを出せればOKタイプの学生さんよりは、前者の学生さんに読んでいただきたいです。

文献慣れ

私の大学は4年の春までに卒論テーマを提出して書き始めることになっていました。そこで、ゼミの課題として春休みに沢山文献に当たり、テーマを絞っていくよう指示されました。

私のゼミは、19世紀のイギリス文学をメインに扱っているのですが、私は1人の作家に絞って、その人の作品はもちろん、その人自身に関する文献に20ほどあたりました。

論文は小難しくて、ものによっては読んでも「……で?」となることが多々あります。そのために早く慣れておく必要があったなと思います。
そしてテーマが決まっていない人ほど、とにかく読んだ方がいいと思います。「この作品ってそんな読み方できるんだ?」「この作品のそこだけでも研究対象になるんだ!?」という驚きに満ち溢れています。先行研究論文を読んでから、分析する作品を読み直すと、全く違って読めます。

私はそこで読んだ文献とは全く関係のないことをテーマにしていますが、引き出しが増えたので無駄ではなかったなと思います。

ノートの活用

私は卒論を書きながら、文学作品の分析は「点と点をつなぐ作業」だなと思ったんです。

一見関係のない、物語の中に散らばっている登場人物のちょっとした言動や景色の描写などを、大きなテーマと関連づけていく。ちょこちょこちまちま拾い上げていく作業。

そういう読み方をしていると、小さいところに集中しすぎて、物語の全体像を見失ったり、大きなテーマを忘れたりしがち。そして、頭の中もぐわんぐわんして大荒れ。

そんなときに必要なのがノート。罫線のないまっさらなのがおすすめです。
誰に見せるわけでもないので、ブレストするときみたいに何でも書き出す。後で線を引っ張ったり囲ったりします。
こうすると、小さいパーツ同士の関連が見えてきたり、論の筋道が立てられたりします。

いざ、本文を書いていこうというときにかなり役立ちました。

それから、このノート、後で見返すとすごくいい思い出の品になります(笑)
自分の思考の履歴が見られて面白いんです。内容がどんどん具体的になっていて、自分の成長も感じられます。
私はこのノートを絶対棺桶に入れてもらいます。

就活との両立

長い実験のある理系の人からは「ふざけるな」と言われると思いますが、ガチ勢なら文学部とて大変です。
答えがあるわけではないですが、明確な根拠は必要です。しかし、フィールドワークがあるわけでもなく、実験で数値として出るわけでもないので、1人悶々と考え、淡々と読み、黙々と書き続けなければいけません。理系の皆さんが実験続きで、「疲労」「疲れる」(お疲れ様です)なら、こちらは「苦痛」「苦しい」がすごい。心労!!!!です。

そんな中、就活と両立することは、思いの外きついです。心が弱って、全然関係ないことまで悩み出します。
せめてどちらかが順調にいけば良いですが、そうともいかないのが人生。

だからこそ、卒論は早めに取りかかっておいた方が良いです。

いくら素晴らしい卒論を書きたいと思っていても、大学院に行く人は別ですが、正直卒論より就職の方が人生への影響は大きいので、就活を蔑ろにするわけにはいきませんよね。

卒論の方がいくらでも早くからやることはあるので、早くやりましょう(語彙力)

毎日書き続ける

「1日何もしなかった自分に対する自己嫌悪で病む」ってありませんか?

これ卒論執筆でも起きます。
もちろん自分がやればいいだけの問題なのですが、どうしてもその気にならないときもありますよね。

1段落書くだけでもいいし、文献を読むだけでもいい。とにかく卒論に関する何かを少しでもする。
「私は今日、本は読んだしなぁ」と思えるだけで「まだマシ!」と思える。
これはメンタル面にとって大切だなと思います。

そして、執筆の間隔が空くと、「自分何書きたかったんだっけ?」となります。
文章を書くときって“ゾーン”みたいなのありませんか?ノリに乗るとクオリティはどうであれめっちゃ書ける!!!というフィーバータイム。
あの熱が、時間を空けると再燃しにくくなるんですよね、、、(経験談)
そういう面でも、卒論は毎日書くのが大切だなと思います。

明日の自分を信じない

「もう24時か……眠いし明日起きて/バイト終わってからやるか……」

無理です。

そんな精神力のある人は卒論で詰みません。
明日の自分にやる気がある保証はないのです。信じてはいけません。
「なんか今日書けるわ〜」というときに一気に書いてしまった方がいい。
明日の自分は普通に裏切ってきます。

場所を変える

このご時世で、基本的に卒論を書くのは家の自分の部屋でした。
思考や執筆の手が止まったら、気分転換に場所を変えると、新しい考えが浮かぶこともありますよ。
私はちょっと離れたところにある海外の図書館のようなアカデミックな雰囲気のある図書館に、わざわざ足を運んだこともあります。
部屋で書いたり、食卓で書いたり、縁側で書いたり、、、自分の家の中でも場所を変えるのは効果的でした。

雰囲気大事。

YouTubeで「library ambience」など、ambienceシリーズを流すと本当にambienceです(笑)
ハリポタシリーズなんかも、ものすごく雰囲気ができるので、そういうちょっとファンタジーな世界観で生きている方は思いの外やる気が出ると思われます。

努力をバッサリ切り捨てる勇気

これが結構重要でした、、、。

「絶対これでいける!」と思って書き始めたものの、(ん、、、辻褄合わなくない、、、?え、、、)となることが、必ずと言っていいほどあります。教授でもよくあるそうなので。

そんなとき、気づいてないフリはダメです。先生にバレますし、自分も続きを書けません。

沢山文献を読んで頑張って書いたから残したい。

めっっっっっっっっちゃくちゃ分かります。でもダメなんです。ここでその頑張った日々を、キー一つでゼロにする勇気が大事なんです。
辻褄の合わない部分を残したまま書こうとする努力の方が、かえって後から収集がつかなくなります。
さっさと思い切りましょう。そして心で合掌して御供養しましょう。

嗚呼、でも本当に悲しいんですよね、あの瞬間、、、。


私から言い残せることは思いつく限りで書きました。あとは頑張ってください。
きっとこの時間が後の人生で価値を発揮しますからね、乗り切りましょう。いいの書きましょう。自分が満足できるものを書きましょう。応援してます。(応援してください)



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