アメリカLabor Day、夫の一言にじんときた話
アメリカでは、今日9月7日はLabor Dayで祝日。日本でいう勤労感謝の日といったところだ(Labor Dayは毎年9月の第一月曜日)。
この週末は苺のショートケーキを作ろうと数日前から考えていた。まあただケーキが食べたかっただけでもあるが、Labor Dayにちなんで、普段夫が家族のために仕事をしていることへの感謝の気持ちとして、子供たちと一緒にケーキを作ろうと考えたのだ。お誕生日をお祝いするような楽しい気持ちで、パパ、いつもありがとう、と。
「失敗しない」と銘打ったレシピを見ながら作ったのだが、スポンジがうまく膨らまず、半分に切った断面には混ざりきらなかった粉のダマがあちこちにあった。(念のために注書きしますが、記事冒頭の写真は借り物です…。)
昔、私の誕生日会で母の手作りケーキを食べた友達が、「おばちゃん、このケーキ硬いなあ。」と無邪気に言ったという話を思い出した。今度作るときはケーキミックスを使おうと思った。それでも、材料に間違いはないので、味は問題なし。むしろ、手作りらしい、甘さ控えめで卵の優しい味がするケーキになった。
夕食の後、さあみんなでケーキを食べようというときに、夫が、「そういえばどうして急にケーキを作る気になったの。」と尋ねた。私は、かくかくしかじかで、と説明し、子供たちにパパへの感謝の言葉を促そうと話し始めたとき。夫が手を横に振りながらノーノーと私を制止した。
「Laborというなら、君だって働いているだろ。外に働きに出て、お金をもらってくることだけが感謝の対象なんておかしいよ。」
夫の思いがけない一言に、一瞬思考が停止した。
私は、3月にそれまで勤めた会社を退職し、ウェブ・ライターとして僅かながら在宅での仕事を始めたものの、数カ月前から一時休止している。夫が私も「働いている」と言ったのは、2人の子供たちの育児のことである。
アメリカの私の住んでいる地域では、幼児2人を終日保育園に預ければ、ざっくり言って日本円で30万円くらいの保育費が必要になる。高くて驚くし、子供を保育園に預けて働くには、それに見合う給料がもらえないとペイしないことになる。私は今は子供たちを自宅保育しているので、私の月収は30万円だと夫に冗談をいうこともあった。
でも、夫の言葉を聞いて、実際のところ、私は仕事をしてお金を稼いでいない自分に引け目があったんだなと気付いた。
私が会社を辞めることにしたのは、夫ともよく話し合い、財政面も含めて家庭がうまく回り、家族がより幸せに暮らせるようにするための判断だった。実際、家庭はうまく回っているし、育児だって家庭における大切な仕事だ(仕事というのが適切な言葉かはわからないけれど)。
だが、そう思っている一方、我が家の財政事情を夫に任せっきりにしてしまっていることへの後ろめたさを感じるようになっていた。夫の労働に対する感謝の背景には、この後ろめたさがあった。
「君がクレイジーな部分(育児)を一手に引き受けてくれているから、僕が働けている。僕たちはチームなんだよ。」
チームという考え方はすごくいいなと思った。財政担当の夫と、クレイジー担当の私。どちらが欠けても家庭は回らない。一人一人の財政的貢献度がどうとかいう発想ではなく、今はチームとして成果が上がればいい。
コロナウイルスを気にせず生活できるようになり、子供たちがもう少し手を離れるようになったら、いずれしっかり仕事をして対価を得たいという気持ちに変わりはないのだけれど。
こうして、苺のショートケーキは用意されていた意味を失い、ただのママの(硬い)手作りケーキとして食べたわけだが、子供たちはそんなことには構わず、ぱくぱくとあっという間に平らげ、お皿に残った生クリームを指でなぞっては舐めていた。私はその様子を横目に、ケーキの卵の味のように優しい気持ちで満たされていた。今までとは少し違う意味で、夫に感謝しながら。
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