アメリカで手土産にみたらし団子を持って行ったら・・・
今日は学校が休みで、息子のクラスメートのお家にお呼ばれをすることになっていた。手土産は、途中でお店に寄って、マフィンかクッキーを買っていこうと思っていたのだが、息子が、
「みたらし団子を作って持っていこうよ!」
と、目を輝かせて提案した。漫画だったら、頭の斜め上に電気のついた電球が描かれているような、いいことを思いついて思わず笑顔になったという表情をしていた。
みたらし団子は、息子の大好物のおやつ。仲良しのお友達が知らないであろうこの日本のおやつを、紹介してあげたいというのだ。
ふむ。息子よ、いいアイデアじゃないか。よし、作って持っていこう!(近くにみたらし団子を売っているお店がないので、作るしかない。)
実は、息子のこの提案を聞いたときに、私にはピンとくることがあった。
アメリカ生まれ、アメリカ育ちで、日本人という自覚はまだあまりない息子だが、学校が始まってから、自分がほかの子供たちと違うところがあることに、息子は少しずつ気が付いている。例えば、お弁当の中身。日本語が話せること。息子は、そういう自分の特性を、先生やほかの子どもたちに説明することを通して、自分が日本と特別な関係を持っていることを意識してか無意識かに感じているように思う。
そういう流れの中で、自分の好きな日本のおやつを、お友達に紹介したいという息子の気持ちを、私は大切にしたいと思ったのだ。
息子と娘にも、お団子を手のひらでころころ転がして丸める工程を手伝ってもらって、みたらし団子をお皿いっぱいに作った。みたらし団子は、たまに親子で手作りするおやつなので、親も子も一連の作業には慣れっこである。
ちなみに、お団子は串には刺さない。なぜなら面倒くさいから(笑)。
手土産として持っていくまで待ちきれない息子と娘は、できたてのお団子をそれぞれいくつかずつお皿に盛ってもらって、味見と称して食べた。ご丁寧に、お皿に残ったたれをべろりと舌で舐めて、一滴も残さない。わかるよ。醤油と砂糖の組み合わせって最高やもんな。行儀の悪い行いにも目をつぶる私。
さて、お友達の家で、お昼にみんなでピザを食べて、さあ、おやつの時間にしようということになった。
ママ友が、彼女の子どものジャック(仮)を呼んで、みたらし団子を見せながら言った。
「〇〇(息子)のママが、日本のおやつを作ってきてくれたんだって。」
息子が、「これは本当に美味しいぞ」とか、「僕はたれが大好きなんだ」などとやんややんやと横で騒いでいるのをよそに、ジャックの顔からは、完全に笑みが消えている。
頭の中で、「コレナニ?」という猜疑心に満ちた問いがぐるぐる回っているのが、目に見えるようだった。
「お願いだから、ボクにこれを食べろなんて言わないで。」
という彼の心の声が、私には大音量で届いていたのだが、ママ友は私の手前言わざるを得ないと思ったのか、
「食べてみる?」
とジャックに優しく尋ねた。ジャックは、普段の元気溌剌とした様子からは想像できないくらいか細い声で、
「ノー。」
と一言答え、その場を離れてしまった。
ママ友は、バツが悪そうにしながら、
「ごめんね、食べ慣れないものには口をつけないのよ。」
と言った。私は、こちらこそ気まずくさせてごめんという感じだったのだが、日本では誰もが大好きな(?)みたらし団子がこのような扱いを受けることをあまり想定していなかったので、正直意外だった。後で思ったけれど、ジャックのようにお団子に馴染みのない子どもには、三色団子のようなカラフルなものの方が、見た目として受け入れられやすいのかもしれない。
一方、ママ友は、モチモチした食感が好きらしく、みたらし団子を気に入ってたくさん食べてくれた。旦那さんにも後で味見させたいということで、残りは置いて帰ってきた。ちなみに、彼女はモチつながりでアメリカ版雪見大福が好きだといって、冷凍庫に入っているのを見せてくれた。
アメリカには、いろんなバックグラウンドを持つ人がいるし、食への興味も人によって違うから、今回の一件でなんら確定的なことは言えないけれど、少なくとも、息子が友達に日本の食べ物を紹介したいという初期の目的は達したので、良しとする。(息子は、友達の反応には興味がなかったらしく、自分がみたらし団子を食べられたことで満足してる様子だった。)
それに、ジャックにとっても、自分の見たことのない、しかも魅力的に見えないおやつを喜んで食べる友達がいるという不可解な事実から、この世界の多様性を知る一端となったかもしれない(むりやり笑)。
自分の子どもが喜ぶものを、アメリカの子どもたちが喜ぶとは限らないという、言葉にしてみたら当たり前のこと。でも、どんなものだったら喜ばれるんだろうという興味がある。今回に懲りず、またいろいろ試してみようと思う。
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