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子どもの習い事|子どもがやめたいと言ったときに親はどうすればいいのか問題

これは、どの家庭でも一度は経験する問題ではないだろうか。

我が家には6歳の息子と5歳の娘がいるのだが、これまでに「やめたい」問題は既に何回も起こっている。こういうとき、親としてどうしたらいいのか、毎回悩む。

ズバリこうすればいい、という誰にとっても汎用性のある答えがないことはわかっている。ただ、いくつかの事例を経験して、なんとなく判断をくだすパターンができてきたような気がする。

以下に書くのは、あくまでも我が家の考え方なので、私はこう思う、という別の意見があれば、ぜひコメントに書き込んでもらえると嬉しいです。

我が家の事例

1 サッカークラスをやめたい(娘)

娘が4歳のとき、家から近いフィールドで開催しているサッカークラスに申し込んだ。週1回、60分の授業で、7回で完結するコース。

娘はサッカーをやるのは初めてだったが、スポーツは嫌いではない。サッカーのスキルの習得を期待するというよりは、単純に体を動かす機会になればいい、というのが親としての動機だった。

初回のクラスが始まるまでは、楽しそうにボールを蹴ったり走り回ったりしていたのに、クラス開始とともにコーチが子どもたちを集めるための笛を吹くと、急に表情を曇らせて、「やりたくない」と言い出した。

理由を聞くと、「ママがいないから。」としか言わない。でも、彼女はプリスクールではママがいなくても立派に日々を過ごしているのだ。きっと、やりたくない理由をうまく言葉にできていなかったのだろう。なんかいやだ、という気持ちを、「ママがいないから」と表現していたのだと思う。

「ママはここで見ているから大丈夫よ。」

などと声掛けしても、全然効果はなかった。子どもたちの輪の近くまで私がいって、至近距離で見ていると、クラスに参加できたことが何回かあった。

そのクラスがあった木曜日が近づいてくると、娘は不安になるのか、決まって私に曜日を尋ねた。そして、「サッカークラスにはもういきたくない」と沈んだ表情で言った。

私はおおいに迷った。娘が小さな胸を痛めているのを見るのはかわいそうに思えたし、心苦しかった。そして、やりたくない理由を確かめようと、何度も娘に尋ねた。「ママがいないから」ではない、本当の理由がわかれば、なんらかの対処法があるかもしれない。

話をするうちに、娘は、「サッカーは好きじゃない」とか、「クラスには知らない人ばかり」というようになった。実際には、クラスにはプリスクールのクラスメートが2人いたが、15人ほどのクラスの中で2人なので、大多数が知らない人だったのは確かだ。

なるほど。たぶん娘は、サッカーが思うようにうまくできないことと、ほとんどが知らない人のクラスの中にいる居心地の悪さをごちゃまぜにして、「やりたくない」と言っているのだろうと理解した。

2 日本語学校をやめたい(息子)

今年の4月から、息子は現地の日本語補習校に通い始めた(私たちはアメリカに住んでいる)。海外で育つ子どもに、日本語を習得させることは簡単ではない。親にとっても、子にとっても。

詳しくは別記事に書いたが、日本語学校に入学させるまでにもひと悶着があった。最初から息子が乗り気でないことは充分承知の上で、親である私の強い意向で、なんとか説得して入学させた経緯がある。

振り返ってみれば、授業が始まる以前、入学式の段階から既につまづいていた。シャツにネクタイを締めて、家を出るところまでは良かったのだが、入学式は、子どもにとっては「ずっと椅子に座って、大人の話を延々と聞く時間」。息子はあとで、学校初日のことを、「全然面白くなかった」と総括した。

翌週から授業が始まり、学校生活が本格始動した。毎週土曜、朝から夕方まで。2週目、3週目と回を重ねるにつれ、息子は学校へ行くことを嫌がるようになった。毎回なんとか宥めて連れて行っていたが、そのうち、土曜の朝が修羅場になってきた。息子は、諸悪の根源とみなした私を睨みつけながら、目に涙を溜めて「学校に行きたくない」「行かない」と強い意志を示すようになった。

理由を聞くと、「日本語なんてやりたくない」、「学校がつまらない」、「宿題が多くていやだ」などといろいろ出てくる。

最初は、日本語が難しくて、日本語で授業を受けるという状況がしんどいのだろうと理解した。でも、何度も話を重ねていくうちに、ひらがなの練習は嫌いではないことがわかった。本読みの宿題も、何とか頑張ろうとする姿勢が見られた。

息子にとって耐え難かったのは、授業が日本語でなされることではなかった。土曜まで学校にいかなければならないこと、ほとんどの時間ずっと座って先生の話を聞いたり勉強するというスタイルが苦痛でしかたないこと。これが本当のやめたい理由だった。

親としてとった対応

結論からいうと、娘のサッカークラスはやめさせなかったが、息子の日本語学校はやめさせることにした

なぜかというと。

娘は、サッカーや初対面の人たちとの関係構築という苦手なことに居心地の悪さを感じていた。苦手なことにどう対応するかというのは、生涯を通して求められるスキルだと私は思う。だから、あえてやめさせず、子どもに挑戦させて、それを応援する方がいいと思った。7回で完結するクラスだったので、そこまではやってみようということにした。

逆に息子の場合は、日本語学校のスケジュールや授業スタイルに引っ掛かっており、それは私や息子の努力では変えられないことだった。それに、嫌がる学校へ無理やり通わせることは、日本語を学ばせるという目的に逆行すると思ったので、今の学校はやめて、もっと息子に合った別の場所で日本語を学ばせることにした。

結論を出すまでのステップ

この結論に至るまでには、いくつかのステップがあった。

まず、大事だと思ったのは、なぜやめたいのかという理由を子どもからしっかり聞くことである。子どもの「やめたい」にも程度があって、気分的なものもあるし、ほかの子との間に問題が生じたというような深刻な場合もある。

また、子どもの年齢や性格によって、心に思っていることをどれだけ言語化できるかも違ってくる。そもそも、子ども自身にもなぜ嫌なのかがはっきりわかっていない場合もある。だからこそ、何度も話をしながら、子どもの心を一緒に紐解いていく作業が必要になる。

次に、やめたいと思わせている障害を取り除くことができるか、あるいは克服する手助けができるか考えた。例えば、先生やコーチが苦手なのであれば、違う先生に変えてもらったり、教室を変えることも選択肢になる。障害を取り除くことができない場合は、あっさりやめてしまっていいと私は思う。

一方、うまくできなくてフラストレーションを抱えているような場合は、クラス以外のところで親子で自主的に練習するなど、克服する手助けが考えられる。

上述した娘のサッカークラスについていうと、うまくいったかはともかく、私なりに娘の苦手を克服する手助けを試みた。娘をクラスに無理やり放り込むことはしないで、クラスから少し離れたところで、みんながやっているのと同じ練習メニューを私と娘だけで練習した。娘は、知らない人の中に入っていくのに人一倍勇気がいる。最初は私がそばについて、少しずつ慣れていけばいいと思った。サッカーについても、最初はうまくできなくても、練習すれば少しずつ上達することを体験してほしかった。

あともう一つ、これは上記のような経緯を踏まえて学んだことだが、習い事を始めるにあたって、本人の意思を踏まえて決めることがとても重要だということである。娘のサッカークラスも、息子の日本語学校も、幼かった頃からの延長で、親が勝手に決めてしまっていた。結果として子どもが楽しめればそれでいいのだが、壁にぶち当たったときに、自分で決めたかどうかは、問題を乗り越えるモチベーションに影響する。

娘も息子も、「ママが勝手に決めたのであって、僕(私)はやりたいなんて言ってない」という苦情をよく口にした。親が勝手に決めたということが、恰好の口実になってしまうのである。

だから、ある程度の年齢になると(私の感覚だと4~5歳)、子ども自身に決めさせることが大事だと思う。

ざっとこんな感じである。

私自身、子どもの頃にピアノを習っていたのだが、やめたいと言ってもやめさせてもらえなかった。一度始めたことは途中でやめてはならない、というのが母の方針で、結局大学受験で忙しくなる直前まで続けた。今となっては、ピアノが弾けることを楽しめるようになり、あの時やめなくて良かったと思えるが、当時は日々の練習が苦痛だったし、半ば諦めた気持ちでピアノを弾いていた。

親となって振り返ってみると、「やめたらダメ」という一点張りではなく、しっかり話を聞いてもらえたら良かったなと思う。そうすれば、ピアノ教室を変えてみるとか、クラシック以外の曲をレッスンで習うことにするとか、状況を改善する選択肢がいろいろあったような気がする。

習い事ひとつをとっても、親の悩みは尽きないものである。願わくば、子どもたちには、いろんな感情や課題と向き合いながら学び続け、全体としてハッピーな状態で成長していってほしい。あまり期待をかけすぎず、それでいて必要なときに必要な手助けができるような親になりたい(難易度高)。


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