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思いがけないところで、人は誰かに影響を与えている

日本を旅する外国人をみると、つい話かけたくなってしまう。

自分が海外で外国人として暮らしているものだから、同じ立場になっている人に妙なシンパシーが湧くのである。困っていたら助けてあげたいし、日本でどんな旅をして、なにを感じているのかも聞いてみたい。

一時帰国中のある日のこと。電車に乗っていたとき、ある若い白人女性が4人席の一席に豪快に座っていた。

バックパックが通路に半ば放り出されるように転がっていて、背が高いらしい彼女の組んだ足が、隣の席のスペースに半分くらいはみ出していた。

彼女の向かい側には年配女性が一人、こじんまりと座っていた。けれど、残る2席は空いていた。というより、誰も近寄ろうとしていなかった。そこ以外周りに空席はなく、立っている人もそこそこいる。本来なら誰かが座るだろうに、みんな黙って、その外国人女性を敬遠しているようにわたしには見えた。

そんなことにはお構いなしの我が子たちは、通路の障害物になっているバックパックをひょいひょいと跨いで通り抜け、空席一つ分にスペースを分け合って2人で座った。わたしは、一瞬どうしようかなと思ったけれど、子どもたちの前のもう一つの空席にあえて座った。外国人女性が、わたしをチラッと見てにこりと笑顔を向けた。

わたしも笑顔を返した。彼女は、座り方も豪快だったけれど、醸し出す雰囲気も負けずに豪快だった。顔の一つ一つのパーツが主役を競い合っていたし、長い髪は腰にまで届きそうで、細かいカールが毛先までしっかりとかかっていた。

「アナタどこから来たの?」

わたしは英語で聞いた。彼女はちょっと低めのハスキーな声で、

「ベルギーよ」

と答えた。

それから、彼女が日本にたどり着いた経緯を、かいつまんで話してくれた。6か月の長い休暇をとり、バックパック一つで一人旅をしていること、タイ、ラオス、インドネシアなど東南アジアを渡り歩いて、さっき日本に着いたばかりなこと。

「日本では、あまり英語が通じないのね」

この電車に乗るまでにも、どの電車に乗ればいいのか、切符はどうやって買うのか、お金はいくら払えばいいのかなど、わからないことだらけで、それを係の人と意思疎通するのに苦労したらしい。

インバウンドで外国人旅行客が増えているとはいえ、外国人にとって快適に旅行できる環境が整っているわけではなさそうだ。

日本ではどんな予定にしているのか尋ねると、大阪、広島、奈良、京都を回って、最後に東京へ行くという。いいじゃない、ダイジェストな旅になりそうだね。

でも、アジアの国を順々に旅してきて、最後の目的地である日本については、必ずしもしっかりと下調べをしてきたわけではなさそうだった。大阪での予定はまだ決まっていないという。「まず大阪城に行ったらいいよ」とわたしが言うと、あら、お城なんてあるの?という顔をした。

もう、しょうがないなあ。わたしはお節介心がわいてきて、頼まれもしないのに大阪の歩き方を指南し始めた。

大阪城や天保山、黒門市場など、お決まりの観光スポットを挙げ、お好み焼きや串焼き、うどんなど食べるべきものを解説してあげた。横から息子が、たこ焼きはゼッタイに食べた方がいいと強調し、水族館が楽しかったなどと彼の目線からコメントした。

彼女は、それらの固有名詞を英語表記でいちいち携帯にメモっていった。興味深かったのは、アルファベットの英語読みに時々混乱して、AといってもEと間違えたりしていたこと。英語でつまづくポイントが日本人と違うらしい。話すのは流暢なのにね。でも、てへっと笑ってごまかすところに愛嬌があった。

そうこうしているうちに、降りる駅が近づいてきた。彼女は、わたしたちと同じ駅で降りて、地下鉄に乗り換えるという。なになに線という英語表記を読むのもたどたどしい。わたしは、その駅で友達と待ち合わせていたのだけど、改札まで一緒に行って、どっちに行けばいいかわかるところで送って行くことにした。

荷物を背負って立ち上がった彼女は、とても背が高かった。190センチくらいあったんじゃないかな。歩きながら話すと、完全に見上げるような角度になった。彼女のバックパックには、ボロボロのスニーカーが靴紐で括り付けられてあって、歩くたびにぶらんぶらんと揺れた。この靴で、東南アジアの喧騒を歩いてきたのだろう。

一人で6か月も旅する生活ってどんな感じなんだろう。そもそも、なんで6か月も時間が取れたんだろう。そう思って、「あなたは学生なの?」と聞いたら、
「ううん、働いているんだけどね」

忙しすぎて調子が悪くなって、セラピストから、少し休んだほうがいいと診断された。上司に相談したら、暫く休んでいいことになったので旅に出てきたという。

「東京からベルギーに帰ったら、仕事に戻らなきゃいけないの」

旅の生活の終わりを惜しむような語感を残しつつ、仕事に戻る心の準備がもうできていることを感じさせる響きもあった。

改札に向かうエスカレーターで、わたしたちが右側に立つと、彼女は左側に立ってわたしたちと向き合う形になった。大阪では、右側が立つ人、左側が歩く人である。押し寄せる人々の流れが、彼女によって堰き止められて停滞していく。わたしは、彼女に右側に立つように促して、エスカレーターに乗るときのルールを説明した。彼女は、ああそうなんだ、と納得していた。

そんな決まりごとがあるなんて、知らないよね。さっき日本に着いたばかりだもんね。探せばどこかに書いてあるのかもしれないけど、そんな注意して隅々まで見ないよね。

わたしは、「日本ってたくさんルールがあるのよ」といった。

改札を出るとき、彼女が切符を入れたら機械がピコンピコンと鳴った。わたしはもう改札を出てしまっていたので、彼女に駅員さんのいる窓口に行って説明するように伝えた。駅員さんとの意思疎通にまた苦労しているらしい様子をもどかしい気持ちで外側から眺めていた。

やっと出てきた彼女の手元に握られていたのは、切符ではなくてクレジットカードのレシートだった。誤ってレシートの方を機械に入れたから通過できなかったらしい。

あれ、切符と同じ紙だからややこしいよね。変えてほしいね。

彼女が向かうべき方向を指差して、名前を聞いて、旅の前途を祝して、さよならをした。

最後に彼女が、

「日本にはルールがたくさんあるっていっていたけど、他に知っておくべきことはあるかな?」

と聞いた。わたしはそのとき咄嗟に思いつかなくて、「気にしなくていいよ、旅を楽しんで」とだけ答えた。でも、後になって、電車に乗るときは、荷物を棚に置いたほうがいいよと言ってあげたら良かったかもしれないと考えた。

遥か遠いベルギーからやってきた彼女と、こうして電車で隣り合わせになって、短い時間だけど言葉を交わす奇遇を思う。人生のたった10分くらいの出来事だけど、もしかしたらわたしと話したことが、彼女の胸になんらかの形で残るかもしれない。わたしはこうやって書き記しながら、外国人の目から見た日本について考えを巡らせている。

思いがけないところで、人は誰かに影響を与えているもんだ。


ここまで読んでくださり、ありがとうございます。

#66日ライラン

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