祈るような気持ちで別れる瞬間

アメリカからの一時帰国も終盤に差しかかり、今日の午後、実家を後にして東京へ出てきました。

本当はもう一泊するつもりだったので、朝はゆっくりしていました。でも、10時ごろ、東京に住む兄家族とビデオ通話をしたときに、急遽今夜は兄家族の家へ泊めてもらう話になりました。

兄家族とは、今回の滞在中に一度会っているのですが、年下のいとこと再会したがっていた子どもたちは、この展開を飛び上がって喜びました。離れて暮らしている分、いとこ同士で過ごせる時間はとても限られています。会えるチャンスは積極的に作ってやりたくて、急いでパッキングして出発することにしたのです。

パッキングは1時間でできるかなと踏んだのですが、結局2時間近くかかりました。荷物をまとめ、忘れものがないか、家の中をチェックしてまわりました。

それが済むと、最後に両親と一緒に写真を撮りました。

いつも、この時間が死ぬほど切ないんです。年老いていく親を残して、遠い道のりを帰っていく過程が。今度会うときも、こうしてまた笑って写真に収まることができるだろうか。考えたくなくても、そんな思いが脳裏をかすめます。

荷物が多いので、駅まで車で送ってもらいました。駅のロータリーで荷物を下ろすと、車を動かさないといけない父とはここでお別れです。子どもたちを促して、おじいちゃんに何度も手を振りました。体に気をつけて。祈るような気持ちでわたしも手を振りました。

母は車を降りて、改札まで送ってくれました。切符を買い終えて、さよならを告げる瞬間。いろいろ言いたいことはあるはずなのに、今回もお世話になってありがとうとか、またアメリカに遊びに来て、なんてありきたりなことしか言えませんでした。

母が、その律儀さと辛抱強さゆえに抱え込んでしまうわだかまりやしがらみを、思い切ってボンとすべて投げ打って、いまこそ心穏やかに生きてほしいとわたしは願っていました。でも、きっと母は、これから先もその重荷を担いで生きていくんだろうなという気もしていました。

改札を抜けて、エスカレーターを下りながら、母の姿が見えなくなるまで、何度も振り返って手を振りました。母もその度に顔いっぱいの笑顔で手を振り返してくれました。最後には、両手いっぱいにぶんぶんと振ってくれて、その揺れる手が、まるで花火大会のフィナーレみたいでした。

私はこうやって何度も何度も、この駅から母に見送られて旅立ってきました。そして今日もまた。

わたしは祈るような気持ちで、いつもこの時間を過ごすんです。




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