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驚くべき戦国時代の闇

副島隆彦著 信長はイエズス会に爆殺され、家康は摩り替えられた PHP研究所から

加治さんの千利休にもあったのだけど、戦国時代は、キリシタンの大きな影響があったらしいので、ここで副島さんの本を紹介しておこう
副島さんは、八切止夫と言う方が戦国時代の闇について、詳しく書かれているとされている、まだ入手していないのでご容赦願いたい

実は、以前勤めていた学校の英国人の講師が、秀吉のキリシタン弾圧を調べていて、秀吉は、宣教師達が多くの日本人を奴隷として海外に送っていたことから、禁令、弾圧となったことなどを反論したくて、ちょっと拙い、iPhone経由の翻訳で話したのだけど、なかなか通じなかった、恥ずかしい限りだ

それ以降、しっかり調べなくてはならないと思ってたのだけど、転勤で行ってしまったのだ、その頃に手にした本だ

ポルトガルの鉄砲伝来から、堺などでのコピー鉄砲の製造、チリ硝石入手などは、学校教育で何とか習うのだけど、茶の湯の作法は、カソリックの礼拝などをコピペしたもので、当時、おっちょこちょいのご先祖様の間で流行しそうになったのだけど、信仰を知らないで死んでいった自分達のそのまたご先祖は、天国に行けないのかと問い詰めたら、宣教師は、論破出来なかったのでかろうじて食い止められたらしい

要するに、日本の根強いご先祖信仰の前に布教が進まなかったらしいのだ

当時、信長は、ポルトガルの宣教師達に戦争の仕方、武具、作法まで習い、取りいれ、安土城まで築いたのだ、海外との窓口となったのは、堺の商人達で、武器商人の傍ら、キリシタンとなったようで、そのひとりが千利休らしい

1580年にスペインのフリップ二世がポルトガルを併合、天正8年だ、この二年後に信長は、本能寺で殺されている、イエズス会によるとのことだ、詳しくは、この本を読んでもらうしかないけど

念のため触れておくと、ポルトガル・スペインは、トルデリシャス条約、サラゴサ条約があって、日本には、始めポルトガルが来たのだ、1557年にマカオには、ポルトガルの居留地がつくられている、そしてスペインによるポルトガル併合の後、2年後が、本能寺の変なのだ

信長・ポルトガルの後、秀吉は、スペインと対峙する事になる、スペインは、フリップ二世が国王であり、統治するフィリピンを根拠とする宣教師達を送り込み、植民地化を図っていた、当然日本も対象だ

フィリピンは、多くの日本人を奴隷として売買していたので、それを見た秀吉が、禁令、それでも止まないので、弾圧へと進んでいたのだ、そのころ日本は、鉄砲の数では、世界一の保有国であり、秀吉は、フィリピン、大明国への遠征も考えていたのだ

家康の時代になり、新教国のオランダがスペインからの独立戦争によって、スペインの覇権の一部に入り、東インド会社による、インドネシアの植民地化がすすめられたが、家康は、秀吉の政策を踏襲し、オランダとは、平戸に限定した、商業中心に限定出来たのだ、大航海時代以後で日本は、独立を保てたのだ

あのイギリス人は、何も知らなかったけれど、当時のiPhoneの翻訳と私の学習程度では、お恥ずかしくて何も言えない

今更、犬の遠吠えをしても詮無い話かも知れない、ああ残念

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