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Mr.Childrenが紡ぐ5分間の物語に、不登校時代をそっと支えてもらっていた話
「歌は3分間のドラマ」と、どこかで聞いたことがあります。
聞いたのは小学校低学年の頃。2000年代にテレビを賑わせていたJ-POPというと、1曲5分程度の長さがほとんどです。当時のわたしは「いや、3分って1曲分でも足りなくない?」と疑問に感じ、それがずっと頭の片隅に引っかかっていました。
わたしの両親は、わたしに自分たちが聴く音楽を聴かせる人たちではなかったので、幼い頃に聴いたポップスといえばテレビから流れてくるものがすべてでした。
全盛期のモーニング娘。を当然のように好きになったし、その頃の将来の夢は「モーニング娘。に入ること」でした。
小学校に上がると、モーニング娘。に入る夢はすっかり捨てて、今度はデビュー間もなかった大塚愛ちゃんを好きになりました。学校で流行っていたORANGE RANGEもよく聴いたし、その後mihimaru GTにめちゃくちゃハマったりもしていました。
当時のわたしにとって、音楽は「とにかく楽しい気分になるもの」。
5分もある曲は音楽番組でもせいぜいワンコーラスしか聴けないし、ましてやCMソングなんてサビの15秒しか流れません。そんな状態で聴いた曲ばかりを好きになっていたので、必然的にノリがいいサウンド、キャッチーなメロディの曲ばかりを好きになりました。
歌詞の意味なんて全然わからなかったし、わからなくて十分だと思っていました。
Mr.Childrenに出会ってしまうまでは。
誰しも人生でつらい時期、どうしようもなく不安な時期があると思いますが、Mr.Childrenは、わたしの不安な気持ちに飲み込まれそうだったときに、いつもそっと寄り添ってくれたバンドです。
あまり明るい話ではありませんが、よければお付き合いください。
小学生、本の虫になる
小学生になったわたしは、入学してしばらくたった1年生の2学期、はじめての挫折を経験します。人付き合いがしんどくてたまらなくなったのです。
通っていた幼稚園の子も、近所に住む同い年の子もみんな同じ小学校に入学していたし、友達がいなかったわけではありません。いじめを受けたわけでも決してありません。
しかし、幼稚園よりも3倍以上多くの同級生、さらにそれを5倍にした数以上の上級生、たくさんの先生たち。そこでの新しい人間関係についていけず、わたしはキャパオーバーを起こしてしまいました。
幼稚園の頃は、休み時間になるといつも外遊びをしていた「活発な子」でしたが、すっかり内向的になってしまったわたしは本に居場所を求めました。
物語のなかに入ってしまえば、現実で苦しい思いをしている自分を忘れることができたからです。
幼稚園の頃はすぐに誰とも仲良くできたのに、今はなぜか思うようにうまくできない。うまく言えないけれど、学校にいるとなんかしんどい。なぜ苦しいのかも幼い頭ではわからず、学校にはできるだけ行っていたけれど、ずっと心の底に暗い思いを抱えていました。
その反動のように、大塚愛やORANGE RANGEのようなポップな曲ばかりを好んで聴いていたのかもしれません。
静かで薄暗い図書室に何度も、何年も通い、目に止まった本は片っ端から読んでいました。図書室で新しい本を見つけることが、小学校に行く目的になっていました。
小学校も高学年になると、1冊ずつ読んでいた図書室の本もほとんど読破してしまいました。本をたくさん読んだおかげで(小学生の割に)ちょっと難しい漢字や言葉が分かったわたしは、児童書を卒業し、書店に並ぶ文庫本を読むことを次の目標に選びました。両親もわたしが本を読むことは喜んでくれて、欲しい本はたいてい買ってくれました。
ランドセルのほかに小さいトートを持って、その中に文庫本を4冊くらい入れて通学していました。小学校はずっと行くのがつらかったけれど、物語はいつでもわたしの心の避難所でいてくれました。
自分が生まれる前の音楽
小学校も、たまに足が向かないこともあったけれど、なんとか6年生になったある日。
家でいつものようにテレビを観ていると、局の歴史に残る名曲特集だとか、これまでのオリコンCD売上ランキングだとかそういうニュアンスの特集で、90年代のヒットチャートを彩った楽曲が流れてきました。
そこで聴いたのが「Tomorrow never knows」でした。
まさにこの、崖で歌う桜井さんを観ていました。
この曲のリリースは1994年。わたしはまだ生まれていません。
でも、この曲どこかで聴いたことあるわ。
こんな人が歌っていたのか…
同じ特集で「innocent world」も流れました。この曲も1994年リリースです。
えっ、わたしこの曲も知ってる。
自分が生まれる前の音楽が、知らぬ間にわたしの耳に残っていたなんて。
ヒットチャートに入る最新の音楽しか知らない(と思っていた)そのときのわたしには、とても不思議なことに思えました。
思い返すとこの番組の前にも、CMソングだった「未来」「箒星」をはじめ、他にもミスチルの楽曲を何度も耳にする場面はあったはずです。しかし、わたしはこの感動のインパクトで、はじめてMr.Childrenの名前を認知しました。
「この曲知ってる」の連続
小学校では本を読むことが唯一の楽しみでしたが、休みの日は「父にTSUTAYAでCDをレンタルしてもらうこと」が楽しみで仕方ありませんでした。
ミスチルを知ったわたしは早速、これまでに作っていた[借りようと思うCDリスト]を全部無視して、これまで足を踏み入れたことのなかった旧作の棚に向かい、彼らのアルバムを1枚1枚手に取り、裏の曲目に知ったタイトルが多く載っているものから借りることにしました。なんというアナログ。
この方法なので、必然的に選ばれたのはベスト盤『Mr.Children 1992-1995』でした。
知ったタイトルはテレビで観た「innocent world」「Tomorrow never knows」、あとなぜか知っていた「シーソーゲーム ~勇敢な恋の歌~」くらいでしたが、聴いてみるとびっくり。なんか大体聴いたことあるぞ。
一緒に借りた『Mr.Children 1996-2000』、こちらは全く知らないタイトルばかりでしたが、シングル曲中心なのもあり、こちらも当たり前にキャッチーな名曲揃い。
圧倒的な満足感ッ…!
ベスト盤も充実の聴きごたえでしたが、2008年当時のミスチルはデビュー16年目のベテラン、オリジナルアルバムは(カップリング集『B-SIDE』を含み)すでに14枚リリース済。各作品が1枚程度しか置かれないような小さなTSUTAYAの旧作棚にも、結構なスペースをとって展開されていました。
まだまだミスチルの知らない曲をたくさん聴いていける…!
この瞬間、わたしはすっかりMr.Childrenのファンになりました。
小学生、小学生をやめる
ミスチルにすっかりハマってしまって、しばらく後。
12歳の誕生日を迎えた次の日から、わたしは小学校に通うことをやめてしまいました。
進級するたびに、しだいに学校へと足が向かなくなっていくわたしを見かねて、両親は「誕生日まで休まず学校に通えたら、誕生日プレゼントにiPodを買ってあげる」と約束してくれました。誕生日まで必死の思いで通い、約束通り誕生日にオレンジのiPod nanoを起動したあと、バッテリーが落ちたように学校に向かう気持ちが切れてしまったのです。
毎日家にいて、録画したバラエティ番組をとりあえず流しておいたり、参考書を使って自力で小学校の内容を勉強したりしていました。
小学校で感じていた、うまく表現できないつらさや息苦しさからは開放されました。しかし、それで気持ちが明るくなることはありませんでした。
両親はわたしがなぜ学校に行けないのか理解できず(わたしも理解できていませんでした)、いつもちょっとイライラしていました。わたし自身も、わたしのせいで家族に迷惑をかけているという思いはあったので、常にどこか「楽しいと思ってはいけない」と感じていたところがありました。
勉強はひとりでも問題なく進められていました。でも、お昼に母が作り置きしてくれたご飯を食べながら「笑っていいとも!」を観ていると、なんだか社会からはみ出してしまったような気持ちになって、自分はもうどうしようもない人間だと感じて、どん底に気持ちが沈みました。
ずっと心の拠り所にしていた、本を読む元気もなくしてしまいました。
でも、夕食から寝る前までぼんやりテレビを観て、流れてくる音楽を聞き流すうちに、なぜか、音楽だけは聴きたいと思えるようになりました。
父も変わらず、ほぼ毎週、TSUTAYAでCDをレンタルしてくれました。
学校で過ごしていた時間は、ほとんどが音楽を聴く時間に置き換わっていきました。
はじめて、音楽で泣く
静かな家の中でイヤホンをつけて、ひとりで音楽に耳をかたむけていると、これまで少しも気にしたことのなかった歌詞がするすると頭に入ってくるような感覚がありました。特に、Mr.Childrenの曲はそうでした。
音楽は「サウンドとノリを楽しむもの」と思っていたわたしはこれまで、たった5分のなかにこんなドラマが描かれていたなんて、全く知らずに聴いていました。
そして、アルバムをすべてレンタルし終わって順に聴いていたとき、その曲と出会います。アルバム『シフクノオト』4曲目、「くるみ」です。
この素晴らしいMVが無料で観られる時代…
抜粋するところも迷うほど素晴らしい詞なのですが、
誰かの優しさも皮肉に聞こえてしまうんだ
そんな時はどうしたらいい?
Aメロの詞を聴いたときに、まるで今のわたしの気持ちを歌われているみたいで、胸がぎゅうっと締め付けられました。
希望の数だけ失望は増える
それでも明日に胸は震える
「どんな事が起こるんだろう?」
想像してみるんだよ
そして、サビのこの詞を聴いたとたん、涙が溢れて止まりませんでした。
音楽を聴いて、感動で涙が流れたのははじめてでした。
学校にいる時間、わたしの逃げ場になってくれた本のなかの物語と同じように、家で行き場のない気持ちを持て余しているこのときのわたしのそばには、Mr.Childrenの音楽のなかの物語がありました。
どうしようもない孤独のなかで、味方を見つけたような気がしました。
その安心感で、またわたしは涙が止まらなくなりました。
社会復帰、そして
小学校には結局あの後も通えませんでしたが、わたしは中学校に進学したことをきっかけに、普通の子供の社会へと復帰することができました。
小学生生活が終わる数ヶ月のあの苦しかった期間に、Mr.Childrenは確かにわたしの味方でいてくれました。だからこそ、しんどかったときのことを思い出してしまうから、中学生になったわたしはミスチルが聴けませんでした。
実際、アルバム『SUPERMARKET FANTASY』をリリース後、彼らはしばらく新譜のリリースがありませんでした。
その後のアルバム『SENSE』はリリース後ずいぶん経って高校生になったあと、レンタルして何度か聴きました。その次回作『[(an imitation)blood orange]』は懐かしさから購入しましたが、楽曲の記憶がほとんどありません。
高校生になっても、特にバラード曲は相変わらず気持ちが溢れて泣きそうになってしまうので、気軽に聴くことができませんでした。
次第にそのままフェードアウトするように、わたしはMr.Childrenを聴くことがなくなってしまいました。
12年後のわたしも
これまで2回のnoteで「自分の好きな音楽と半生」についてエッセイ的な文章にして整理しているうちに、これまで出来るだけ思い出さないようにしていた不登校のことと、Mr.Childrenの音楽(特にバラード)がまるであぶり出したように思い出されてきました。
数ヶ月ものあいだ小学校に行けなかったことは、その後のわたしの人生にとってあまりにも大切な経験でした。音楽、テレビドラマ、インターネット、家族との関係、そして自分と向き合う時間を通して、学校では教わらない「人の気持ち」についてたくさん知り、悩み、考えることができました。
あのとき家で、ひとりで必死に考えたことが、いまのわたしの人間性の根幹になっていると感じるのです。
そしてその中心には、確かにMr.Childrenがいました。
久しぶりに、ずっと聴きづらかったバラード曲も含め、ミスチルの昔の曲をたくさん聴きました。ちゃんと歌詞を見ながら聴きました。
なかでも「名もなき詩」。1996年、わたしが生まれた年にリリースされた曲。もちろん何度も聴いている大好きな曲です。
あるがままの心で生きようと願うから
人はまた傷ついていく
知らぬ間に築いていた自分らしさの檻の中で
もがいているなら誰だってそう
僕だってそうなんだ
何度も聴いているはずなのに、ラストサビのこのフレーズが、転職活動に迷い悩んでいる今のわたしには光って見えました。勝手に涙が出てきました。
あのときから12年経った今でも、Mr.Childrenの音楽はわたしの張り裂けそうな気持ちに寄り添ってくれたのです。
いまこの瞬間も、Mr.Childrenの音楽で救われている人がいることでしょう。
このnoteも、そのきっかけの小さなひとつになることを願って。
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