#1 ラベルから解放する
アイデンティティ危機に直面して
サンサンへ
6月がやってきて、この頃になると暑さは避けられない。
先日、大学で読んだエスニックアイデンティティ関連のエッセイ『Maybe you only look white』が印象に残った。
(これに基づいて書いた『権力構造との対決:ジェンダー・差別を超えるために』もまとめて読んでくれると嬉しい)
ミネソタ州立大学モリス校で多文化文学を教えるBecca Gercken-Hawkins 先生の執筆。著者はチェロキー族とアイルランド系アメリカ人のハーフで、白人に似た容貌ゆえマイノリティーのルーツを疑われがちだった。教壇に立つ中、学生から専門性や学問的権威を疑われ、著者がそれに戸惑いを抱く。「種族と専門性が一致する教員」を優先する採用政策は大学の向上に資するのか?とも。
種族とままた別だけど、留学生としてラベルを貼られるのを嫌う。直接的コミュニケーションで私を認識してもらいたい。所属やラベルを通じてではなく。しかし「中国人」と見られるのは免れ得ないことに気づいた。辛い食べ物を取れずに驚かれるのはよくあるパターン。異文化を期待されるのがちょっと飽きてきた。
追記すると、この種交流そのものに嫌悪感はないが、最近「期待される異文化性」が自分の意思決定を拘束し始めたことに気づいた。例えば留学生としてのアイデンティティを表現する創作を始めたら、自分の求めているものと異なる展開へと向かうことに気づく。それこそが「他者の期待」を「自分の欲求」と誤認したか。
この衝撃が自分のアイデンティティに揺さぶりをかけたことに気づいた今、ステレオタイプな質問をされるたびに体が反発してしまうのも無理はないかもしれない。大袈裟に拒絶反応を示し、日常生活や人間関係に影響も与えてしまった。
しかし、この状況にどう向き合えばよいか分からない。自分を見てもらうためにはどうしたらよいか。それとも、ラベルではなく自分の中身を受け入れてもらえない以上は諦めを決意するしかないのかもしれない。
未来のサンサンは、これからどのように自分を語り、他者と関わっているのか。それをいつか教えてほしい。
初めてのデッサン
今週のデッサンクラスで初めて実物のモデルを描く機会があり、人体の美しさに大きな衝撃を受けた。3時間近く制作に時間を費やす中、意識的に観察した風景の細部をぼかしてエッジを和らげた。物理的媒体を用いて描く時こそ、画面や手描き板で描く時以上に気を集中させられると気づいた。そそれが今日までの間、絵画の練習ができなかった本当の理由なのかもしれない。
共感してもらえる作品の作り方
制作の授業で、先生に、すべての人間ではなく一部の観客にのみ共感を覚えてもらえる方法を尋ねたところ、「対象が多数派でなくとも、熱意と信念を作品へ込めれば自然とその意図を感じ取るだろう」との教えを受けた。過去、ときおり重要なことを見落としていたことを教授の言葉は思い知らしめた。作品へ最初に動かされるべく対象は常に自分自身であるということを。
今回の手紙はこれぐらいにしておこう。
それでは、また。
サンサン
2022年6月22日
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