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#7 自分のために書くこと:本当の自分と向き合うための内的対話

サンサンへ

私はこの3ヶ月間、手紙を書けずにいた。

いいえ、書けなかった。どうやって言葉を絞り出そうとしても怖くて何もできなかった。

前の手紙が送信された後何が起きたのか、半年前のあなたは多分想像もつけないだろう。『貧乏性』について書いた手紙を受け取って、傷が言語化されて初めて自分がどれだけ傷ついたことを知り、しかもその手紙で書いた理由以上に、私のたくさんの側面と関わっていることにゆくゆくと知った。

そこが私のヒーリングの原点だったと言っても過言ではない。ヒーリングの過程を語ると長くなるから割愛しよう。どうして手紙を書けなかった、そしてなぜ再び書くことにしたのか、ゆっくり語らせてもらおう。


本当は他人のために書いてたよね?

あなたは、一年前ぐらいの最初の手紙で、「私にとっては、ありのままの自分まだ書けないかもしれない。しかしこれを契機として、他人の前で本当に自分を晒すことを恐れないようになりたいを願っている。」と書いた。今でもその気持ちは変わらないと伝えよう。

しかし、それが一番根源的な気持ちなのか?他人の前で自分を晒す練習はあくまでも手段で、目的でも、目的を支える原動力になる気持ちでも、何でもない。

最初の気持ちを思い出そう。

あなたは、とても寂しかったよね。

自分の書いてきたもの、多分誰にも読まれないだろうと分かった上でも、諦めず、誰かに届けたい、誰かに共感してもらいたい。

でも、読めば分かる。周りくどい文章ばかりだっだ。

あなたの、論点をアウトライン化し、自分のすべての心象を論理的に分析しなければ気が済まないという性格は、アカデミックの場で長くいたからか、そう書かないとみんな共感してもらえないと心配していたのか、おおよそわかる気がする。

他人がどう受け取るなんて本当にわからないから、自分の心象をちょっとでも理解させるために、自分でさえ使い慣れていない言葉と理論を駆使し、感情を正当化させようとしたのね。

しかし、他人の言葉の受け取り方は、あなたの想定していることと全く違う場合が多い。そういう経験をこの半年間経験してきた。『貧乏性』について書いた手紙が最悪な例だった。

思い出すと、その手紙を過程が今までの中で一番しんどかった。なぜかというと、自分が読んでも辛い手紙をわざわざ絞り出して、しかも最後「自分の問題まだ解決されていないけど、向き合える方法がもう分かったから、もう大丈夫」のような達観した言葉で焦って締め括った。

本当は、全然大丈夫ではなかったよね。

でも、なぜそれでも書いたかというと、その手紙は、私向けではなく、母のために書いたものだったよね。気づいた?

自分の金銭観念を一番重く承知し、かつ罪悪感を抱いているのであろう母を、安心させたかった。だから回りくどい書き方を取った。

しかし、その結果どうなったのか分かる?母がとてもショックを受けたのよ。そして母の想定外なショックに逆にダメージを受けた私が、手紙を書くことが怖くなった。

誰にどう言われ、どう評価されようと平気な私だったが、一番親密な存在である母を悲しい思いさせることだけが、どうしても受け入れられなかった。

その後、私は一旦手紙書くのをやめ、ポッドキャストドキュメンタリー制作などに専念していた。



愛を全て伝えようと懸命した挙句、自分が空っぽになった

今年の2月、尊敬しているカウンセラーさんと話すチャンスをいただいた。その時、私が辿々しく自分の歪んだ金銭観念について語ったが、衝撃的なことに、その表象である貧乏性の表面の下で隠れている私の傷を、カウンセラーさんが鋭く気づかせてくれた。

「あなたが、ずっと恐る恐る生きていることを、強く感じた。」

「あなたが自分の一番信頼できるお母さんを含む全ての人間から、愛を受け取ることができないだろう。お金をあげて幸せに暮らしてほしいこともお母さんの愛の形だけど、そのお金を使うのが怖かった。」

「他人がサンサンが好きであることが必ず理由があり、例えば元気もらえるとか、癒されるとか、新しい考え方が得られるとか、あなたがそう信じているのだろう。だから、人の前では笑顔でいなきゃ、元気出さなきゃ、感情を共感させようとしたら論理的に説明しなきゃ、そう強張って行動してきた。愛してもらえて当たり前の母でさえ、あなたは愛を返そうと、元気づけようと、母の気持ちを最優先にしてきた。」

「Sunshine(サンサン)という名前、どなたが付けたのかわからないが、本当に君そのままだと思う。でも、あまりにも懸命に元気なエネルギーを伝えようと、受け取った愛と感情を全て、あるいはそれ以上に他人に渡そうとした結果、自分に栄養が十分にもらえなかった。」

「サンサン、他人からの愛を安心に受け取ってもいいよ。」

「これからは、もう恐れずに、堂々と胸を張って、この大地を歩もう」

そう、カンセラーさんが嗚咽ている私を優しく見守りながら、話してくださった。


真摯の人間関係は、本当の自分を愛することから始まる

その言葉を受け取った私が、ここ最近、いろいろな挑戦をした。

まず、『アイデンティティ危機』という手紙でも読み取れたけど、あなたがずっと無意識的に他者を配慮し、自分の気持ちに、他人が聞きたいことを自分でも気づけないほど自然に重ねてきたね。だからこそ違う他者に対して適切なラベルで表せる自分を半自動的に表現し、しかしそれに違和感を覚えてきた。まさにHSPならではの悩みを抱いていたね。

結局全ての人間関係が怖くなり、自分一人で全てを抱えこもうと、本当に寂しかったのに、ぼっちの方が傷つけずに済むから楽だと強がって、自分に嘘をついてきたね。

でも、今の私はそれをやめられたよ。

今まで自分が蔑ろにした、心と身体から出した信号に耳を傾け、疲れた時は素直に休み、泣きたい自分を叱咤しないように意図的に練習してきた。

そうしたら、今まで他人の受け取り方を心配して怖がってきたが、意外なことに、優しく接してくれた方がほとんどだった。素のままの私を受け止め、勇気を誉めてくれた。

そして、今まで日本の方に文章を読まれるのが怖くて、ずっと日本語で発信できなかったが、本当の自分を見せても温もりで接してくれた日本の方々と出会ったことで、今や憂いと心配が一切なくなった。


これから堂々と生きるために

今の私だからこそ、半年前のサンサンに感謝な気持ちを伝えたい。

拙かったにもかかわらず勇気を持って手紙を書いてくれてありがとう。恐かったにもかかわらずと頑張って他人に接しようとしてくれてありがとう。そうしないと、今の私がないし、このような返信が書けなかったに違いない。

だから、約束して、これからは誰かのためではなくて、自分のために文章を書こうよ。

小難しい論述で自分を武装するんじゃなくて、裸の感情を私に見せよう。

そうすることで、本当の自分と向き合うことができるのだ。

サンサン

2023年3月31日


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