アイロンの音

2階から、母がかけるアイロンの音がする。
アイロン台にアイロンを押し付けるたびに床を伝わってゴンと鈍い音がする。

「別にあんたが居ても居なくていいんだけど、またお昼ご飯作って持って来てもいい?」
先週母が家にご飯を持ってきた来た際、そう言って帰っていった。居ても居なくてもいいのであれば、母の自由にしてもらってかまわない。お好きにどうぞだ。

僕は、母の「自慢の息子」だ。母親の命をとるか赤ちゃんの命をとるかという究極の選択に「両方」と答えた父のわがままのおかげで、母子ともに無事この世に生まれ落ちた。両親と5歳離れた優しい姉のおかげで、反抗期もなく素直にすくすくと普通の子に育った。

中3の三者面談の時、担任の先生が「人畜無害の子です」と言い放ったことは、今でも我が家で語り継がれている。中の上くらいの高校に進学し、中の上くらいの大学を出て、それなりの企業に就職した。そして、結婚もした。

僕の妻はまぎれもなく「いい嫁」だ。最近は、僕が知らない母親のことを妻が知っていたりする程、仲良くやっている。母が家に電話をかけてきた時、僕が電話をとると残念そうなリアクションをする気がする。このことを妻に言うと、絶対そんなことないと否定されるのだが。

季節ごとのイベントは、両家の家族が集まりみんなで食事をしながら過ごす。こんなアメリカンな習わしが我が家に取り入れられてているのは妻のおかげだ。妻が素晴らしければ素晴らしいほど、「いい嫁」を連れて来た!と、僕の息子としての評価が上がる。
「自慢の息子だから、体にきおつけてください」(原文ママ)
そういえば、先日、僕の誕生日に母から送られてきたメールにもそう書いてあった。

そんな自慢の息子が、突然、適応障害という病気になった。自慢の息子が、すがすがしい秋晴れの月曜日に、会社に行かず家でパソコンをいじっている。

僕が病気になって会社を休んでいることを母親に告げたのは妻で、僕はその場にはいなかった。妻によると、驚きはしたものの、想定内のリアクション(泣いたり取り乱したりすることはなかった)であったらしい。「あの子はそういうのにはならないと思っていたんだけどねー」と何度も何度も言っていたそうだ。

「あの子はそういうのにはならない」確かにそうだ。何事も真正面からは向き合わず、何かあったらサラリと身をかわせるような生き方をしてきた。社会人になって18年間ほど、サラリーマンとしてそれなりにやってきた。それなりに出世もして、それなりのマイホームも建てた。平凡ではあるが、平凡を好む母親にとって、僕は「自慢の息子」であったことは間違いない。

僕も母親にとって「いい息子」であろうとしていた。人生の大きな選択、決断をする際、母がどう思うだろうという視点は常に持っていた。もちろん、最終決断は、自分がどうしたいかで決めていたとはっきりと宣言しておきたい(マザコンではない)が、母が喜んでくれるかどうかという要素は、重要なポイントだった。

そんな母が、6年前、癌になった。仕事中に父から電話があり、母が緊急手術をすることになったと告げられ、あわてて病院に向かった。手術後、若くて精悍な顔立ちの女医の先生が写真を見せながら、「ここに腫瘍があります。今回は応急処置をしました」と言った。「精密検査をして、他に転移がなければ、臓器を摘出します。転移があれば手術はできないので、抗がん剤治療になります」ドラマや漫画の教えで、後者だとアウトだなと思った。

検査結果が出るまでの間、不安で仕事が手につかなかった。母ちゃんがいなくなる。初めて、母の死をリアルに意識した。僕は、今まで母になにかしてあげられただろうか。そんな後悔の念に駆られて、母が元気になったら一緒にやりたいことを「かあちゃんとやることリスト」にまとめた。神様に「片目ぐらいならなくなってもいいから母を殺さないでください」とお願いした。

結果としては、無事手術ができ、今は「あの頃(病気の頃)の体重に戻りたい」と不謹慎なことを言うまでに回復した。そういえば、僕の「かあちゃんとやることリスト」も何処かへ消えた。

元気になろう。
こんな秋晴れの日に昼間から母親のことを想いながら記事をかいている場合ではない。
かあちゃん、心配かけてごめんなさい。
自慢の息子は、少し休んだら復活するのでよろしく。
アイロン、ありがとう。

※2018/10/1の記事

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