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「立ち入りを禁ず」に感じる喪失感の正体 上

時に、私達の暮らす地域の一部が立ち入り禁止になることがある。古くなって崩壊の危険性がある建物、冬のプール、閉店した店、空き家...。改めて考えてみると、身の回りに”入ってはいけない場所”というのは意外とたくさんある。また、東日本大震災のときに起こった原発事故によって、未だに町ごと立入禁止となっているような場所もある。

このような立入禁止の場所というのは、人が利用しないため、手が入らず、草は生え放題で、壊れたものや、どこかから落ちたものなどはそのままその場所に放置されている。電気も通っていないため、昼間でも薄暗い。

こういった場所を実際に見たり、それを写した写真や、映像を見たりすると、なんとも言えない寂しさが湧き上がってくる。もし、その場所を利用したことがあるのならそれは至極当然のことだと思うが、私達は時に、全く知らない場所についてもこのような寂しさを感じることがある。それはどうしてなのだろうか。

私が思うにそれは、”喪失感”が原因である。喪失感というと凡庸に聞こえるかもしれないが、ここで私が言いたいのは、”人間的なものが超人間的(自然的/宇宙的)なもの”になってしまう、ということからくる喪失感である。

私は昔、オーストラリアのエアーズロックを訪れたことがある。そのときにも、私はこの”超人間的なもの”を感じた。

砂漠の真ん中にそびえ立ち、地球のへそとも言われるその巨大な一枚岩の周りをぐるっと一周歩いてみると、その大きさに圧倒されつつも、それと同時に、あることに気がついた。

つづく。



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