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正油のだべり

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正油のエッセイを収録。作者の思うところとして、マンガよりこっちを読んでほしいとか欲しくないとか
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#コラム

20代がふと考えた「老学(おいがく)」

人生何度でもやり直しが効く、とよく耳にする。 その言葉の裏に、老いによって身体的理由から不可能になること、あるいは精神的モチベーションが上がらず出来なくなることは、考慮されているのだろうか。20代半ばの自分はふと疑問に思った。 というのも最近、アニメを視聴する機会が増え、登場キャラクターが死んでは生き返ることを何度も繰り返す(あるいは死にかけた段階でリセットする)作品にも、多く触れているからだ。 たとえば、「魔法少女まどか☆マギカ」や「ひぐらしのなく頃に」、「Re:ゼロ

勉強することとは

 アフター・コロナに思索が大いに巡らされる今だからこそ、考えておきたいことを記します。既存の仕組みや体制が否定され、あるものに取って代わられようとする場面がこれから多いはず。挨拶代わりに初投稿します。(以下、本文)  常に世に幅を利かせる一大勢力はいる。既にあった勢力が転覆させられても、それにとって代わって大きな力を持った勢力が現れる。そうした牛耳を執る勢力の絶えざる存在、それ自体は悪いことではない。危惧すべきは、それら勢力がそれ以外の集団の勢力を利用し、搾取したときである

緊急事態宣言 解除後の未来 前夜に語ろう

・コロナと暮らす社会を想像しよう 飲食店の自粛要請も緩和がすすんでいる。人の出が街に戻りつつある。とはいえ、日常生活を送るなかでの身体感覚は、コロナ社会以前のそれとはやっぱり、違うものになった気がしている。私のそうした変化や近ごろ得た所感から、今後の社会はこうなっていくんじゃないかというのを、牛のようにのんびりと語ってみよう。 ・近ごろの体験談 今日、私は久々に開館した図書館へ足を運んだ。館内に入るとすぐ、貸出カードの呈示を求められ、カードのバーコードを職員さんが読み取る。

「つながろう」の恐怖 – 自分のケータイ史を振りかえって豊かさを考える –

 「人とface to face で会えない今を乗りきろう」。とりわけ数週間前まで、こういったニュアンスのフレーズをテレビ番組などでけっこう見かけた。僕にはこの言葉が馴染まない。  「乗りきろう」なんていうのは、マイナスの出来事に立ち向かったときの人間が使う言葉だ。つまり、「face to face で会えない今」はマイナスの時期なんだろう。世の中の幸せの基準は、人と人とがその場で同じ時間を過ごすことにあるそうだ。果たしてそうだろうか?  僕はかえって、猫も杓子も人に会うこ

350°の感覚

 道を歩きながらスマホをいじっている人間は、いったいどういう料簡でいるのだろうか。第一、歩きながらだと手もとがブレて入力もままならず、立ち止まって打った方がかえって短時間で入力が済みそうだ。お情けでこのように心配してやったが、自分の本音は「危ないやろ! ア…(自粛)」である。自転車を漕ぎながらスマホを操作している輩に至っては、その手に持っている機械で「いのちの電話」に繋ぐことをお勧めする。  そんな彼らは夜道で増殖する。日中より交通量が減るためか、気が緩んで「ながら」をして

「気遣いが無い」と言うあなたは野暮かもしれない

デートでレストランに入ったとき、椅子とソファが併設されたテーブル席で男性はどちらに座るかという話を、朝の情報番組で扱っていた。 一般認識として、男性は女性をソファにエスコートしてから椅子に座るものだ、と紹介されていた。こうした不文律を意識していなかった男性が、周りのカップル客からクスクス笑われ、挙げ句の果てに彼女から、「ああいう時はソファに女性を座らせるものなんだよ」と窘められたエピソードがネタ元であった。 自分は、女性が同席するときはソファへ誘導する方だけれど、決してこ