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勉強することとは

 アフター・コロナに思索が大いに巡らされる今だからこそ、考えておきたいことを記します。既存の仕組みや体制が否定され、あるものに取って代わられようとする場面がこれから多いはず。挨拶代わりに初投稿します。(以下、本文)

 常に世に幅を利かせる一大勢力はいる。既にあった勢力が転覆させられても、それにとって代わって大きな力を持った勢力が現れる。そうした牛耳を執る勢力の絶えざる存在、それ自体は悪いことではない。危惧すべきは、それら勢力がそれ以外の集団の勢力を利用し、搾取したときである。
 一大勢力に反発するものは左巻きとして扱われ、揶揄されることもある。確かに、ずっと盲目的に反発し通すことは、社会全体で見つけた最適解から遠ざかるかもしれないし、社会秩序をときに混乱させることだって考えられる。何より、反発する本人のエネルギーの浪費にもなりかねない。
 だが、選択的に大勢の主張に反駁し、その主張から防御する姿勢・攻勢をとることは忘れてはならない。


 人は自身が良い立場になるよう、就くべき勢力を選ぶ生き物だ。現在の大勢力が衰えれば、新しい勢力をいち早く探してそこに乗っかる。新しい勢力ゆえ、その構造を理解しやすく、勢力のもつ社会的な影響を自らの都合の良いように操ることだって出来るかもしれない。そういうメリットがあるから、合理的な人ほどその傾向にあるだろう。
 しかし、自身が体制派に就こうと反体制派に就こうと、その所属勢力に反対する勢力にいる人たちから搾取する結末は、独善的であって、真に民主的なやり方であるとは言えない。
 ところが、人間を性悪説で捉えるならば、彼らはその搾取を相対する集団から行うだろうし、もっと酷いことに相手からは分からないようにそれを行う。


 したがって、この勢力時代、あるいは分断された社会(このシステムが解消されることは先にもないだろう)を生きるには、どの勢力に自分はいるかを常に確認しておく必要がある。そして、相対する勢力の手の内を探っておかなければならない。勉強というのはそのために欠かせないことなのだ。

自戒を込めて。

#エッセイ #コラム #新型コロナウイルス #生き方


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