20代で老人のセリフを創作できること

青空文庫で芥川龍之介28歳の作品「素戔嗚尊」を読んだ。

作者20代なんだよなぁ。20代でよくこんな世界が描けるなぁ。

自分の20代の頃を思い出して比べては、そのあまりの稚さに恥ずかしい想いが噴き出す。

作中、思兼尊(おもいかねのみこと)という老人が登場する。本来は日本古来の神様だが、芥川龍之介の世界では、スサノオも含め人間として描かれている。

この思兼尊の言葉は、小説の中の人物にしゃべらせている言葉とはいえ、28歳の人が考えつきそうには思えない老成した言葉ばかり。

「魚は人間より幸福ですね。」
「人間が鉤かぎを恐れている内に、魚は遠慮なく鉤を呑んで、楽々と一思いに死んでしまう。私は魚が羨しいような気がしますよ。」
「わからない方が結構ですよ。さもないとあなたも私のように、何もする事が出来なくなります。」
「鉤かぎが呑めるのは魚だけです。しかし私も若い時には――」
「しかし私も若い時には、いろいろ夢を見た事がありましたよ。」

こうやって引用だけ並べても、その老成ぶりはあまり伝わってこないが、やはり28歳の人の頭の中で創作された言葉にしては、達観や悟りの境地のようなものを感じ、恐れ入ってしまう。

全然話は変わるが、さだまさしのアルバムに「夢供養」という名盤がある。これはさだまさし27歳のときの作品である。

これも20代にしては、「まほろば」「療養所」「春告鳥」「空蝉」といった老成した詩人が書いたような作が並んでいる。

20代にしては、という言葉で相変わらず驚いているが、単に自分の20代があまりに未熟で大人らしくなかったということでしかない。

そういえば、さだまさしには「検察側の証人」という歌がある。様々な立場の人の視点から見た一人の女性が描かれている。人によっては彼女を悪人と断じ、別の人はそれを否定する。

先日、青空文庫で芥川龍之介「藪の中」を読んだ。これも、ある特定の一人物を、様々な立場の人がそれぞれの始点からあれこれ語る話だった。

あれぇ、これさだまさしの歌ににてるなぁと思い、調べてみたら、芥川龍之介「藪の中」に影響されて、さだまさしが「検察側の証人」を書いたことが分かった。なるほど、だから詩の最後に「藪の中」という文言が入っているのだね…。

#芥川龍之介 #素戔嗚尊 #藪の中 #さだまさし #検察側の証人

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