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「石炭とブランデー」第1話(全11話)

【あらすじ】
魔女や精霊を実在するものとして受け入れるようになった現代。
ドイツでは魔女が職業として成り立っていた。
魔女のエルナは、子供の頃に自分を助けてくれたクランプスに恋をしている。クランプスとは、「悪い子に石炭をあげる」「袋に詰めて連れ去る」などの伝説で語られる、<黒いサンタクロース>の一種だ。
成長して会えなくなってしまった彼に会うため、手がかりを探していたエルナだったが、ある時、彼に関する衝撃的な事実を知ってしまう。
この恋は諦めるしかないのか。
思いつめたエルナは、彼と夢で逢うために魔法のブランデーを飲み、忘れていたあることを思い出す。

1・階段教室

 三つ揃えのスーツを着こなした初老の教授が手振りを交え、自分の声が届いているか聴衆に確認しながら、階段教室の底を行ったり来たりしている。
 ドイツの精霊文化を研究している高名な学者だそうだ。彼が市民向けの無料講座を開くと知って、私はフランクフルト・アム・マインのゲーテ大学を訪れていた。
 講義のテーマは「クリスマス」。

「ドイツ各地の古い森に、今でも魔女が住んでいることは、皆さんもご存知の通りだと思う。キリスト教伝播以前から存在した、精霊文化を受け継ぐ者たちだ」

 筆記具くらい持ってくるんだったと思いながら、私は周りの人たちの様子を見回した。ノートの代わりにタブレット端末を置いている人もいるけれど、大抵はシャープペンシルを手にしている。最初に配られたコピー用紙に、講義内容の感想を書かないといけないらしい。

「魔女に次いで有名な精霊文化の継承者といえば誰か、君、わかるかね?」
「ええと、クランプスでしょうか」
 学生らしき男性が答え、教授は満足げに頷いた。
「その通り。今日はクランプスを中心に話をしていこう」

 目の前のコピー用紙をどうしようか困っていた私は、それを聞いてガバと顔を上げた。まさか、いきなりその話題が出るなんて!

 あんまり勢いよく首を振り上げたので、大きめの黒縁メガネがずり落ちた。一瞬、髪の色が赤に、瞳の色が緑に戻っちゃったかもしれないけれど、すぐに直したから大丈夫よね。今の私は焦げ茶の髪と瞳の落ち着いた外見をしているはずだ。

 教授の言う通り、魔女や精霊の存在を、今のヨーロッパ人は大半が受け入れている。でも現実を認めることと、その現実が隣にいることを認めるのは別物だ。

 魔女に好意的な人もいるけれど、キリスト教が大きな権威を持っていた時代が長いせいで、未だに悪魔の手先だと思って石を投げてくる人もいる。
 誰がそういう考えを持っているかはわからないから、私たちは人に紛れて行動する時には、慎重にならなくてはいけない。
 鮮やかな赤い髪と緑の瞳が魔女の色と決まっているわけではないけれど、印象に残りやすいのは確かでしょう?

 教授はまず「クリスマス」の簡単な説明から話を始めた。
 ゲルマン民族やローマ民族の冬至の祭りが、キリスト教に取り入れられたもので、ドイツの子供たちはプレゼントをもらう機会が二回ある。
 十二月六日の聖ニコラウスの日の朝と、十二月二十五日の朝。

「伝統的に前者を祝うのはカトリック、後者は聖人信仰をしないプロテスタントが祝うとされてきたが、現代の子供にとっては宗派よりも、二回プレゼントをもらえることの方が大事だろう。それぞれ日付順にA、Bとする。大きな違いは、プレゼントをもたらす人物だ」

 教室前方の壁を覆う大きなスクリーンに、教授の話に沿った内容の資料が映し出された。
 A:聖ニコラウスと、従者の<黒いサンタクロース>
 B:クリストキント、又はサンタクロース

「今日取り上げるクランプスは、Aに登場する<黒いサンタクロース>の一種として知られている。
 サンタクロースのモデルとなった聖ニコラウスは、良い子に素敵なプレゼントをもたらすが、その従者である<黒いサンタクロース>は、悪い子を懲らしめる。
 たとえば灰袋で叩いたり、木の枝や石炭など嬉しくないものをくれたり、あまりに悪い子は袋に詰めて連れ去ったり。
 だが本来、クランプスやその類似の者たちは、冬の守り神だった。
 仮面と毛皮を纏って魔獣の姿に変身し、冬至が近づくにつれ力を増す邪霊どもから、人々を守る役目を負っていたのだ」

 クランプス。
 教授のちょっと掠れた低い声がそう言うたびに、私の胸はどきどき高鳴った。
 瞼の裏にちらつくのは金色の瞳。
 二本の角が生えた悪魔のような、すごく恐ろしい仮面を被っている。でも私は、その仮面の奥にある、とっても優しい本性を知っている。

「異教の神々であった彼らはキリスト教に取り込まれ、<黒いサンタクロース>として一括りのイメージを与えられたが、本物は今でもそれぞれの持ち場で、人知れず邪霊を追い払っている。
 聖ニコラウスの日の前夜、真夜中の空を見上げれば、邪霊を狩りながら月を横切る彼らの影を見ることができるかもしれない」

「では、聖ニコラウスの日に街中に現れる<黒いサンタクロース>は?」
 聴衆の一人が手を挙げて尋ねた。
「子供を脅して回る方です。あの中に本物が紛れていることはあるのですか?」
「まさか。あれは金欠気味のアルバイト学生だ。聖ニコラウスと同様にね。この講座の最終日がちょうど十二月六日だから、今いる学生も何人か消えるだろう」

 教授の肩のすくめ方がおかしくて、私も他の人と一緒になってクスクス笑った。
 次いで話は、彼らの人間としての実態に移った。

「魔女やクランプスになる人間は、精霊と馴染みの良い血を持って生まれる。魔女の力を発揮するのは圧倒的に女児だが、稀に男児もいる。
 対して、クランプスになれるのは男性だけだ。
 彼らは自分の特性を受け入れるかどうかを、成長してから自分の意思で決めることができる。クランプスになる才能を保有したまま、一生ならない者もいる」

 へえ、そうだったのか。魔女とは違うのね。
 その心の声が聞こえたかのように、教授は魔女のことにも触れてくれる。

「ちなみに、魔女は自分の意思に関係なく、幼い頃からその特性を発揮する。精霊と話をしたり、邪霊に命を狙われたりして、時に周囲の人間をも危険に曝してしまうことがあるが、本人のせいではない。
 しかし、普通の人間の暮らしをさせるのは難しい面がある。
 魔女の可能性がある子が生まれた場合、役所に相談すれば適切な支援が受けられるので、今日ここにお集まりの方々には、ぜひ覚えて帰っていただきたい」

 スクリーンには精霊文化支援センターの電話番号と住所が映し出された。
 周りの人たちがメモを取ったりキーボードを叩いたりする中で、私はただ熱心に教授の話を聞いて、時折うんうんと頷いていた。本当にその通りだ。

 精霊文化が自然環境の保護に役立つとわかってきて、ヨーロッパ中の政府が掌を返したように支援策に走っているけれど、魔女が生まれるのを恥とか罪とか考える人も世の中にはまだまだ多くって、私たちが安心して暮らせる社会は程遠い。
 魔女に関する知識が両親に乏しいと、怖がって世話をしなくなったり、暴力に走ったりする。ただでさえ邪霊に狙われやすい魔女の卵たちは、そういう環境の中で幻のように消えていくのだ。下手をすれば私もその一人だった。
 
 十二年前の十二月五日、聖ニコラウスの日の前夜クランプスナハト
 町の広場に飾られたモミの木の根元で、幼い私はプレゼントのディスプレイに紛れて、凍死寸前の状態で眠っていたらしい。
 見つけてくれたのは、魔獣の姿で夜空を駆けていた、とあるクランプスだった。
 私はひどく痩せていて、垢塗れで、ろくに言葉も喋れなかったそうだ。
 虐待を受けている小さな魔女だと気付いた彼は、すぐに私を保護して役所と連携を取り、師匠となる魔女の元へ連れ去ってくれた。
 推定年齢六歳。発見された十二月五日が誕生日ということになり、名前はエルナとお師様が決めてくれた。

 魔女は弟子入りする際、それ以前の記憶を成人年齢の十八歳まで封じられるから、私自身は何も覚えていない。当時のことは全て、後から聞いた話だ。

 助けてくれたクランプスは、聖ニコラウスの日の前夜になると、邪霊除けのお守りを届けに来てくれるようになった。
 私はすぐに彼のことが大好きになって、毎年その日を楽しみにしていたのだけれど、それは子供の魔女だけに与えられる、特別な時間。
 魔女として一人前になる十六歳を過ぎると、クランプスは訪れなくなるのだ。

 来年からもう来ないと告げられた十六歳の誕生日、私は彼に聞いた。
 どうしたらまた会えますか?
 すると彼はしばらく黙り込んでから、言葉少なに答えた。
 ――君が俺を見つけたら。

 閉講を知らせるチャイムが鳴った。
 教授は腕時計にちらと目を走らせ、「では、続きはまた来月」と話を終える。この無料講座は十月から十二月までの第一水曜、全三回での開講予定なのだ。

 実を言うと私は、この瞬間を待っていた。
 急いで席を立ち、教授の後を追う。

「すみません、質問があります!」

 手を挙げて階段を駆け下りると、一本に編んだ髪がロープみたいに背中で跳ねた。教授は足を止めてこちらを振り向き、最後の数段を一気に飛び降りた私が口を開く前に、片方の掌を見せる。

「申し訳ないが、急いでいてね。質問なら助手にしていただきたい。彼で答えられないことなら、来月に私から回答しよう」

 そう言って大急ぎで教室を出てしまったから、私は仕方なく背後を振り返った。
 助手というのは、最前列の席でパソコンを操作し、スクリーンに資料を映し出していた人のことだろう。ダークブロンドの髪をきちんと整えてスーツを着ているから、ひと目でお仕事中とわかる。

 私と教授のやり取りを見ていたらしく、その人は自分の荷物を纏める手を休め、できれば紙に書いていただけませんか? と言ってきた。

「最初に渡した感想用のコピー用紙で構いませんので」

 私は自分の座っていた席に戻って、置き去りにしたコピー用紙を手にしたのだけれど、白紙のままのそれは、いつの間にかくちゃくちゃになっていた。
 助手さんのところに戻ってペンを貸してほしいと頼むと、立ったまま身を屈めて何か書類に記入していた彼は、私の顔をちらと見てから、自分のペンを差し出してくれた。紺色の軸にJ・Eとイニシャルが彫ってある。

 しわくちゃの紙を手で伸ばして、あまり上手いとは言えない字で、私は大きく質問を書き込んだ。

<本物のクランプスに会う方法はありますか?>

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