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「石炭とブランデー」第11話

第10話

11・石炭とブランデー

 目が覚めるとすっかり明るくなっていた。
 恐る恐る身を起こす。昨日の服のままベッドに寝ていた。

「あれ……?」
 頭を抱える。私は夕べ、ブランデーを飲んで幼い頃の記憶を取り戻し、混乱したままユルゲンに電話をかけたはずだ。彼は『すぐ行く』と言って……。

「あの、ユルゲン来た? いつも来ていたクランプスよ」
 傍らでコロコロしているヤドリギたちに訊くと、三体ともポンポン跳ねたけれど、「来た!」なのか「来てない!」なのかは微妙なところだ。精霊はこちらの言葉をよく聞き取るけれど、こっちはそれほど感覚が鋭くない。

 どちらにせよ、夢の中に彼が登場したのは確かだった。最初は結婚を破棄してきたと爽やかに言うから思わず泣いたけれど、そのうちもうちょっと普通の感じになって、水を飲ませてくれたり、抱き上げてベッドに運んでくれたり、長いキ……

「わあああああ!!」

 すごいことを思い出してしまい、私はベッドから飛び降りてダッシュで階下へ向かった。井戸から引いている冷たい水を洗面台でバシャバシャと浴びる。

 何あれ何あれ、私が作ってる‶恋のブランデー〟って、あんな夢を見せるの!?

「どうしようヤドりん、夢の中であんな、もう恥ずかしくて会えない……!」

 タオルにひとしきり顔を押し付けてからふと鏡を見て、私は、自分の胸元に見慣れないネックレスが光っていることに気付いた。
 顔を近づけ、ペンダントトップを持ち上げて、まじまじと見てみる。
 細い銀の鎖に通された、六角形の小さな漆黒。
 石炭から生まれる宝石、黒玉ジェットだ。

「あ……!」
 彼はちゃんと来てくれたのだと、その瞬間に理解した。
 子供の私が受け取っていたような、邪霊除けの輝きが込められた石ではない。
 これは、町の宝飾品店でショーウィンドウの中に飾られているアクセサリー。

 ――普通の人間として会おう。
 そう言われている気がした。

「時間……わあ、お昼過ぎてる!」
 大慌てで支度をして、私は森の家を飛び出した。

 今日は十二月六日、聖ニコラウスの日。
 例の無料講座が開かれる最終日だ。

 もう連絡先を知っているのだから、いつでもどこでも会えるのかもしれない。
 でも私は、彼がいる場所へ、自分の足で走って行きたかった。

 古い森の周囲は針葉樹林の黒い森に取り巻かれている。それをどう越えるのかというと、協力してくれるのはキノコたち、というより菌類だ。
 菌類は地球の表面のことを全て知っていると言っても過言ではない。とても寡黙だけれど魔女の願いを聞いて、地脈の繋がりや気圧の変化、果てはアイスクリームスタンドの売り上げの増減までもを考慮に入れ、最短距離で目的地へ行くための、最も適切な人里との接点に転送してくれる。

 俗にフェアリーリングと呼ばれるキノコたちの丸い輪の中に入った途端、私は見知らぬ田舎町のバス停の前に躍り出ていた。
 ちょうどバスが来る。フランクフルト行き。本当にキノコたちは頼りになる。

 レーマー広場はクリスマスマーケットが始まり、大賑わいになっていた。観光客たちの合間をすり抜けて石畳の道を走り、ゲーテ大学の建物が見えてきた辺りで、私は前から走ってくるスーツ姿の男性に目を留め、ドキンと心臓を跳ねさせた。

「ユルゲン!」 
「エルナ、来てくれたのか」
 ほぼ同時にゲーテ大学の敷地に入り、彼は走るのを歩みに変えて息を整えながら、何故か私をちょっと睨んだ。

「昨日君が飲んでいたブランデー、まさか、魔女商品か」
「え? あ、そう、ですけど……」
 彼の言う「君」が距離のあるSieから親密なDuに変わっていると気付いて、私は思いっきり照れた。

「道理で夢に君が……お陰で大遅刻だ」
 飲んだの!? どんな夢だったんだろうと聞きたくなったけれど、そんな余裕はないらしい。腕時計を見せてもらうと、確かにもう講義が始まる時間。

「でも、そこまで遅刻じゃなさそう」
「助手は事前準備があるんだよ」
 そう言いながら、もう走る気はないみたいで、彼はさりげなく私の手を取った。
 手、繋ぐんだ。首から上に血が集まる。
 早足で歩きながら私の方を見て、ジャケットと荷物を一緒くたに腕に抱えた方の手で、彼が自分の喉元を指差す。

「似合ってる」
「あ……ありがとう……!」
 ネックレスのことだ。人間の彼はこんなに流暢に喋る人だったのかとびっくりして、私は段々顔が上げられなくなってくる。

「本当は掟破りでも十六歳の誕生日の時にあげようと思ったんだけど、やめた」
「え……」
 十六歳といえば、クランプスの彼と会った最後の日。あの時確かに、何か渡そうとするそぶりを見せた。

「どうして……?」
「渡せば君は俺を忘れないだろう。大人のすることじゃないと思ったから」
「……えーと」
「俺との関係が一度切れて、君の世界が広がって、それでも俺のところに戻って来るならいいけれど、最初から縛り付けるのは違うと思って」

 そうだったんだ……と思って、私はじんわり感動した。
 すごくそっけない別れだったけど、本当はそんなことを考えてくれていたなんて、全然思ってもみなかった。

「ところで、一つわからない。二回目の講座の時、君はなぜあんなに号泣して、クランプスにファンレターを送ることをやめたんだ」
「あ、あれは」

 今にして思えば恥ずかしい勘違いだったのだけれど、顛末を説明するとユルゲンはぼそりと呟いた。
「なるほど、それで結婚破棄の夢」
「なんで知ってるの!?」
「お陰で性急なメモを渡す羽目になったけど、まあ、結果的には良かったかな」

 その言葉を聞いて、私は一つ重要なことに気付く。
「つまり、私がエルナだって、あなたは知ってたってことよね。いつから?」
 ユルゲンは私を見下ろして、なんとなく人の悪い笑みを浮かべた。

「ほとんど最初から」
「えっ?」
「目と髪の色を変えたって顔は変わらないし、あんな質問をする女性が他にいるとは思えない。町に出る時は変装していると聞いていたから、会話で確信した」
「じゃあ、なんで早く教えてくれなかったの?」
「それは、君がまだ成人していなかったから、距離があった方がいいと思って。未成年と付き合うわけにいかないからな」

 はーっと長い溜息をつかれて、私は、それ以上の質問を控えることにした。

「でも、偶然に会えて良かった。私がたまたま無料講座に……」
「偶然?」
 やけに優しく語尾を上げるのを聞いて、それ以外に何かあるのかと目を瞠ると、彼は涼しい顔でこんなことを言い出した。

「君はどこでその無料講座を知った」
「あ、魔女商品を置いてもらっている薬局で……」
「精霊文化支援センターの後援で、魔女さんにもお勧めですって?」

 まさか。

「あなたが薬局の人に、そう宣伝するよう、頼んだ?」
「助手の仕事は手広い。教授に代わってこういう催しのセッティングもする」
「で……でも、私が都合よくあの薬局に行くかどうか、わからないじゃない」
「確率の問題かな。最後に会った時、カマをかけたら君、よく行く都市名を洗いざらい喋ってくれたから」
 フランクフルトは最初に出てきた都市名だった、とユルゲンは付け足す。

「あれ、カマだったの!?」
「幻滅した?」
 なんと答えたらいいかわからずにいるうちに、教室に着いてしまった。
 
「遅れてすみません」
 そう言ってユルゲンは堂々と教室に入っていく。私と手を繋いだままだ。
 教授が振り返り、「遅かったな」と彼と私を見た。

「金欠学生に交じってクランプスでもやっているのかと思ったぞ」
「ええ、帰りにやる予定なので、教授は聖ニコラウスをどうぞ」
 二人のやりとりに聴衆がクスクス笑う。
 手を引かれたままなので、私は最前列の彼の隣に座ることになった。

 こんな場所にいていいのかな。
 そわそわ落ち着かずに教授の話を聞いていると、パソコンに機材を繋ぎ終えたユルゲンが戻ってきて隣に座る。
「……そういうことなので」
 他の人に聞こえないよう、私に顔を寄せて、小さな声で彼が言った。

「袋に詰めて連れ帰っていい? 人をブランデーで遅刻させた、悪い魔女さん」

 私は真っ赤になって俯いた。
 石炭のプレゼントが胸元で揺れていた。

<了>


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