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「石炭とブランデー」第6話

第5話

6・追憶<反省文>

     ◆

 クランプスを怪我させた後、私は、すごく反省していた。
 もう二度と、あんな迷惑はかけないと心に決めていた。
 その気持ちを、どうにかして彼に伝えたい。
 そこで手紙を書いた。

 十三歳の誕生日、魔獣の姿が見えても家の中から飛び出したりせず、ノックされるのを待ってから、私はおずおずと扉を開けた。
 クランプスの折れた角がちゃんと治っていたので、ひとまず胸を撫でおろす。

 ……具合でも悪いのか。やけに大人しいな。

 いぶかしげなクランプスと黒玉ジェットを交換してから、私は一年かけてしたためた手紙を差し出した。

 何しろ時間がたくさんあったので、気が付いたら、その手紙は便箋百枚にも及ぶ大作になっていた。
 内容も、最初は反省の気持ちを綴っていたはずが、森の季節が移ろう様子や日常生活の細々とした報告まで入ってしまっていた。

 自分が見つけた宝物ランキング。
 今試している魔法のこと。
 オンラインで家庭教師から勉強を習っていて、特に国語の成績が悪いこと。
 最近習ったお料理のコーナー。

 話したいことが次から次へと浮かんできて、書く手が止まらなかったのだ。
 便箋百枚ともなると、もう二つ折りにしかできない。
 用意しておいた可愛い封筒は使えなかった。油紙に包んで麻紐で括り、せめてもの彩りに小さなドライフラワーの飾りを添えたそれは、控えめに言ってハンバーガーの包みだ。

 これは?
 反省文です……。
 反省文?
 はい。去年はごめんなさい。一年かけて書いたらこんなになっちゃって……。

 ずっしりと重いそれを、クランプスがおもむろに受け取る。
 ややあってから。
 頭上で、くくっと喉を鳴らす音が聞こえた。
 見上げると彼は私に半分背を向けたけれど、その肩はちょっと揺れている。

 ……反省しすぎだろ。

 押し殺したような呟きが聞こえた。堪えているけど、明らかに笑っている。

 私はびっくりした。
 わ……笑ってる……!!
 そう思った途端、体の奥底からぶわあっと、何かふわふわした温かいものが溢れ出すのを感じた。

 ずっと大好きだったけど、今までのそれは、自分を見守り、気にかけてくれる人へ寄せる信頼に過ぎなかった。それが、急に違う色に塗り替わった気がした。

 クランプスはたくさんのおきてに縛られている。正体を明かしてはいけないとか、必要以上に感情を見せてはいけないとか、用のない場所に行ってはいけないとか。
 仮面と毛皮がなければ変身できないよう、己の心を厳しく律し、それも冬至の季節にだけ使う。個ではなく全体の意思を優先して、群れとしての活動を重視する。
 そうでなければ、魔獣の姿に変身して空を飛び、獣を従える彼らと普通の人間たちとのバランスが、とても取り切れないからだ。
 彼らは自らの持つ獣性の危険さを知っている。だから厳しい掟で自分たちを雁字搦がんじがらめにし、それに誇りを持って従うことで、ようやく己の獣性を解放できる。
 もう少し後になってから読んだ精霊文化学の本には、そう書かれていた。

 だからそれまで、彼が私にクランプス以外の顔を見せることは、なかった。
 でも、笑ってくれた。普通の男の人みたいに。
 それを思うだけで、私は一年間、ずっとふわふわした気持ちでいられた。
 私が渡した手紙で、笑ってくれた……!

 十四歳。急に寝間着で会い続けていたのが恥ずかしくなって、私は服を着る。

 胸元の刺繍が綺麗な、袖口とスカートがふんわり膨らんでいる、蜂蜜色のワンピースだ。この格好に裸足じゃ変だからきちんとブーツも履いた。
 すっかり長くなった癖のある赤毛は二つに分けて緩く編み、耳の下あたりで、深緑のベルベットのリボンで結んだ。

 でも、急にこんな格好で出たら、変に思われるかな。
 だからといって、もう寝間着には戻れない。

 あんなに手紙を書いたら読む方も大変だと思い当たって、反省文はもう書かなかったけれど、何か渡したくて、クッキーを焼いた。
 魔獣の姿が窓から見えた。でも、今までのように無邪気には飛び出せない。どうしようどうしようと思っている間に扉が叩かれる。

 こ、こんばんは……。

 恐る恐る玄関を開けると、クランプスは誰か探すように明後日の方を見た。

 あの、私がエルナです。
 ああ。

 黒玉ジェットを交換してから、聖ニコラウスの日のプレゼントだと言い訳してクッキーを差し出すと、すぐには受け取ってもらえなかった。

 去年の手紙。
 はい。
 インパクトあり過ぎてつい受け取ったけど、本当は掟《おきて》破りだ。
 えっ。
 クランプスは見返りを求めてはいけない。
 み、見返りなんて。あれ反省文なのに!
 反……それでも。

 じゃあ、クッキーは受け取ってもらえないのか。
 しょんぼりして差し出した手を引っ込めると、開けてくれ、と言われた。

 ここで食べる。
 えっ。
 
 包みを開くと大きな手が伸びてきて、クッキーを二、三枚一気に掴んだ。
 どうするんだろうと思って目で追うと、彼は仮面を少しずらしてそれを口に放り込んだ。顎の線が僅かに見えてしまって、私は慌てて視線を逸らす。

 ごちそうさま。じゃあこれ。

 あっという間に食べ終えた彼に、何か茶色い封筒のようなものを渡された。やけに分厚くて持ち重りがする。
 自分の部屋に戻ってから開けてみたら、それは昨年渡した私の手紙のコピーだった。青や赤のインクで書き込みがしてある。

 えー! と思って最初から見てみると、綴り間違いが赤で、文法間違いが青で添削してあるのだった。たくさんあり過ぎて恥ずかしい。
 しかも、私のへたくそな字の隣に並ぶ彼の字は、印刷物みたいにきれいだった。
 罫線もないのに真っ直ぐ書かれていて、なんか、先生みたいだ。

 間違いのある個所だけがコピーしてあるのかと思いきや、全て完璧な便箋など一枚もなかったらしく、昨年送った手紙がきっちり丸々返ってきていた。
 最初は恥ずかしくて涙が出そうだったけれど、最後の一枚まで丁寧に書き込まれている彼の字を見ているうちに、全部しっかり読んでくれたんだということが伝わってきて、段々嬉しくなった。
 
 書き込みは添削だけだと思っていたら、一か所だけ違うメッセージを見つけた。
 オンラインで家庭教師から勉強を習っていて、特に国語の成績が悪いと悩みを綴ったところ。
 茶のインクで引かれた矢印の先に、「確かに」と一言。
 私は思わず吹き出して、その綴りを完璧に覚えてしまった。

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第7話


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