アメリカ一人旅初日、田舎でレンタカーがパンクした日
2019年4月26日は自分にとって人生で初めてのことを沢山経験した、忘れられない日である。このNoteを書いている2021年5月現在でも当時の記憶は鮮明に残っている。記録として書き留めておこうと思う。
元々キャンプ好きな僕はTRANSITの「カリフォルニア もうひとつのアメリカへ」を読んでから、アメリカでキャンプをしてみたいという思いがあった。
今まで海外には留学、一人旅など行っていたが、そのほとんどがアジア圏であり、北米には行った事がなかった。これは良いタイミング、久しぶりに一人旅に行こう、と思い立ち、2019年のGW 4/25〜5/5までの11日間で西海岸への旅行を計画した。事前に予約したのはロサンゼルス往復の航空券と到着翌日の4/26〜帰国日5/5までのレンタカー、到着日のハリウッドでの宿のみ。私はいつも計画性がなく、入国に必要ないわゆるビザ申請でアメリカ独特の手続き「ESTA」取得も出発当日の朝まで申請しておらず、というか申請が必要なことを知らず、慌てて申請してその日に承認が降りた、というような状態だった。
ロサンゼルスに着いたのは、現地時間で4/25の午前中だったと記憶している。入国審査にはこのような貼り紙があり、アメリカっぽいなぁと感じながら、最高の旅が始まるはずだと少しの緊張とワクワクする気持ちだった。
空港からハリウッド行き、8$ぐらいのバスに乗り、チェックイン時間前だったのでホテルに荷物を預けて街に出た。有名なハリウッドサインを眺めたり、露店のフルーツを食べたり、路上パフォーマンスで自分の上を人が飛び越えるショーに参加したり、SIMカードを買ったりした。
夜はせっかくなのでステーキショップに入り、オニオングラタンスープ、パン、ステーキを食べた。(何故かステーキの写真が残っていない...。)
翌朝早く、また同じバスに乗ってロサンゼルス空港に戻り、レンタカーショップに行った。長い行列だったがやっと自分の番が回って来たので、予約していた画面を提示した。アメリカでは初レンタカーなので店員の説明をかなり真面目に聞いた。すると、ネット予約時に事故保険はフルカバーにしていたが、これにはレッカー保証は含まれていないという。記憶が曖昧だが、追加するには1万円ぐらいと言われ、迷った末に追加してもらった。レンタルしたのは、トヨタのCamryで何となく安心感があった。
人生初の左ハンドルと右側走行に最初は四苦八苦しながら、大量の手汗をかきながらロサンゼルスの街中を抜けて、なんとかハイウェイまで行くと、その後はまっすぐな道をひたすら走るのみだった。この日のゴールはとりあえず、セドナの少し手前にあるキャンプ場としていた。ロサンゼルスからの距離は830kmぐらい、ハイウェイは130-140km/hで走れるし、まっすぐだし大丈夫だろうと最初は思っていた。でも今調べたら東京から広島市でおおよそ同じ距離、今考えると無謀な計画だった。レンタカーを借りたのが朝9時半ごろ、幸いに時差ぼけはなかったが、いくら走っても全然つかないじゃん、と4-5時間走って気づいた。ランチはバーガーキングでハンバーガーを食べ、どでかいカップとジュース飲み放題に驚いて、カップいっぱいにコーラをおかわりして、またひたすら走った。
夕方になってもまだまだゴールは遠かったのを覚えている。日も暮れてきたのでとりあえず、ウォールマート(スーパー)で一番安い寝袋、テント、クーラーボックス、調理器具などを調達して最悪はモーテルにでも泊まるかと楽観的に考えながら、また走った。
だが日が暮れてもまだ目的地にはつかず、とうとう真っ暗になってしまった。すでに20時を回っていたと思う。それから21時ぐらいに目的地のキャンプ場近くに着いたのだが、キャンプ場は道路を左折し、未舗装の道を進んだ先にあるようで、こんな暗くなってからはチェックインできないだろうとは思いながら、ひとまずキャンプ場方面に向かってみることにした。砂利道をしばらく走ったがそれらしきものは見当たらず、諦めてモーテルなどを探そうと思い、Uターンして先程の道路へ戻ろうとした。その時だった、砂利道を抜けて舗装路に戻ったのに車は何故かまだガタガタと揺れている。そのまま状況が掴めず、2-3秒してそれが「パンク」だと勘付いた。ひとまず路肩に車を停めて降り、タイヤを見ると右側の前後輪どちらもペチャンコになっていた。
この状態ではこれ以上動けない。周りには建物はなく、暗くてわからないがおそらく荒野が広がる中にポツンといる状況、車もほとんど通らない。おかげで星空が綺麗だったのを覚えている。
当時のスクショだが町と町の中間地点にいて、周りにはなにもない。まさか初日でレッカー保証を使うことになるとは思わなかった、レンタカーショップでもらった書類を確認し、サポートセンターへ電話しようと思ったが、この場所をどう説明すれば良いのか。道路は89Aとわかるが、正確な位置がどうにも説明できない。ここで、初めて英語で「緯度、経度」という単語を調べた。
これも当時のスクショ、この2つの単語は未だに忘れない。緯度と経度はGoogle mapで調べることができたのでサポートセンターへ電話し、レッカーを手配してもらったが、遠くから来るため、2時間以上掛かるようなことを言われた。車の中で翌日以降のプランを考えたりしながら、ひたすら待った。途中で車が一台止まり、現地のおばちゃんが心配して声を掛けてくれたが、レッカー手配したので大丈夫と伝え、御礼に日本から持ってきたお菓子を渡した。
レッカー車が来たのはもう夜中だった。アメリカ映画に出てくるようなゴツくてヒゲを生やしたワイルドはおじちゃんが、車にロープを付けて引っ張ってレッカー車に載せ、僕はレッカー車の助手席に座って一番近いフェニックス空港のレンタカーショップに向かった。おじちゃんはほとんど喋らないが、感じの悪い人ではなかった。僕は助手席でウトウトして寝てしまったと思う。2時間ぐらいで着いた気がする、レッカー車から車を下ろしてから空港のレンタカーショップで夜勤の雑なおばちゃんに代わりの車を貸してもらった。
これは帰国前の写真だが、新たにレンタルしたのはこの赤いダイムラー。行く宛もないし、ヘトヘトなので近くのウォールマートまで車を走らせ(疲れすぎて、また車もいないのでこの間に一度逆車線に入ってしまった、、)、そのまま車中泊をした。ウォールマートに着いた時はすでに深夜4時頃だった。この時のスクショも残っていた。
翌朝、駐車場清掃員の掃除機の爆音で7時ぐらいに目が覚めた。シャワーでも浴びたいところだが、さてと気分を切り替えてセドナを目指そう。セドナはもう射程圏内である。
つづく
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