見出し画像

道民のソウルフード「甘納豆の赤飯」

このタイトルでピンとくる人は相当の北海道通だろう。

道民には当たり前なのだが、北海道の赤飯には小豆ではなく「甘納豆」が入っている。こう言うと、道外の人はたいてい「え!気持ち悪い」という反応をするのだが、甘納豆といっても緑や白の豆を使った甘納豆ではない! 北海道の赤飯に入れるのは「金時豆」の甘納豆と決まっている。少し大振りの、色は「あずき色」の甘納豆。北海道なら普通にスーパーで買えるが、東京のスーパーでは見たことがない。

だから東京ではなかなか作れない。なかなか食べられないから余計に食べたくなる。東京在住の道産子の中には帰省した折に金時の甘納豆を買いだめし、冷凍保存しておく人もいるくらいだ(私の幼馴染のKちゃん)。

北海道の赤飯のもう一つの特徴はその色だろう。小豆で作る赤飯よりも、あざやかなピンク色をしている。これは「食紅」で色付けされているからだ。食紅を入れる量により濃淡が変わるので、家庭によって微妙に色の濃淡が違うのもなかなか良い。ただし、量をまちがえると大変なことになる。

甘納豆が入っているので、当然、赤飯は甘い。これにゴマ塩をかけていただく。この甘さと塩味のコラボレーションがたまらない。この絶妙なマッチングは食べた人にしか分からない(だから食べてみてほしい)。

別に特別な日でなくても道民は赤飯を炊く。炊いた赤飯をおにぎりにしてお弁当として持っていくこともある。子供のころから食べていると、赤飯とはこういうものだと刷り込まれていく。東京に出てきて何が悲しかったかって、小豆の赤飯だった。甘くもないし、色も地味。日本の赤飯の標準はこの小豆の赤飯だと分かってはいても、正直、美味しいとは思えなかった・・。

この甘い赤飯には苦い思い出がある。父親は私が高校3年のときに再婚したのだが、そのお相手は道産子のはずなのに赤飯の炊き方を知らなかった。もっと言うと、ほとんど料理をしたことがない人だった(父と結婚したときにはもう45歳になっていたのだから、それまでに料理をする機会は十分にあったと思うのだが)。夕飯のおかずに油揚げをフライパンで焼いただけの「つまみ」しか出てこなかったときには驚いた。公平を期すために付け加えると、人柄は申し分ない。ただ料理が下手くそなだけだ。

私は大学進学で東京に出てきた。冬休みに帰省すると電話したとき、継母は何か食べたいものはあるかと聞いてくれた。私は赤飯がどうしても食べたかった。

「甘納豆の赤飯が食べたい」
そう伝えると
「甘納豆の赤飯ね。分かった」
と自信満々に継母は応じた。

楽しみだった。東京では食べられない道民のソウルフード、甘い赤飯。私の頭とお腹は子供のころから慣れ親しんだ赤飯との再会に向けて準備万端だった。

その日の夕飯。わくわくしながら席に着いた。

継母は満足気な笑みを浮かべながら、赤飯の入ったお茶碗を私の前に置いた。

その中身を見て、愕然とした。混乱し、狼狽した。

目の前にあったのは、色とりどりの小粒の甘納豆が混入している、ほとんど真っ白のご飯だった。

何も言わずに私は食べた。継母に笑顔を返すのが精いっぱいだった。美味しいとは言えなかった。これは違う、とも言えなかった。

継母は道民のソウルフードである「甘納豆の赤飯」を食べたこともなかったのだ。私はその事実に衝撃を受けたが、食べたことがないものを作れるわけはない。

あとで分かったことだが、継母の母親は秋田出身で、食卓に甘納豆の赤飯が出てきたことは一度もなかったらしい。それならそうと初めに言ってほしかったと思ったが、継母としては再婚相手の連れ子に「できません」とは言いたくなかったのだろう。その気持ちは分かる。

継母はそのあと近所の奥さん仲間に聞いたりして、甘納豆の赤飯の作り方をマスターしていった。間違った甘納豆を選ぶこともなくなった。食欲をそそるきれいなピンク色が出る食紅の量も覚えていった。

色とりどりの甘納豆が入った赤飯(まがいのご飯)から十五年も過ぎる頃には、継母もちゃんと道民の赤飯が炊けるようになっていた。

この記事が気に入ったらサポートをしてみませんか?