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裏金隠しは楽園で…橘玲さんが描く驚愕の金融情報小説! #4 永遠の旅行者

元弁護士・真鍋に、見知らぬ老人麻生から手紙が届く。「二十億の資産を息子ではなく孫に相続させたい。ただし一円も納税せずに」。重態の麻生は余命わずか、息子悠介は百五十億の負債で失踪中、十六歳の孫まゆは朽ちた家に引きこもり、不審人物が跋扈する。そのとき、かつてシベリア抑留者だった麻生に殺人疑惑が浮上した……。

今、巷で話題沸騰の『バカと無知』やベストセラー『お金持ちになれる黄金の羽根の拾い方』などで知られる橘玲さん。『永遠の旅行者』は、そんな橘さんによる驚愕の金融情報小説。姉妹作品『マネーロンダリング』『タックスヘイヴン』とあわせて、お楽しみください!

*  *  *

市バスはハイウェイを使わず、空港からホノルル市街まで一般道を走る。道路の両側には自動車修理工場や倉庫、なにに使われていたかわからない打ち捨てられた建物が点在している。鉄条網で囲われた空き地は廃物置き場だ。ほとんどの旅行者がハイウェイを利用するので、楽園の島のこの荒んだ風景を目にする人は多くない。アメリカの田舎町でも同じような光景を見ることがあるが、世界一豊かなこの国は、その内側にとてつもない貧しさを抱えている。

20番線のバスに乗って、ダウンタウンのすこし手前で降りる。ホノルルはハワイ州の州都だが、人口四十万人足らずの小さな街だ。アメリカ唯一の宮殿である旧ハワイ王朝イオラニパレスの西側に官庁街とビジネス街が身を寄せ合い、車なら五分もあれば一周できる。
 
ダウンタウンの西、ヌウアヌ川沿いの一角がチャイナタウンだ。ハワイへの中国移民は十九世紀半ばから盛んになり、一八七〇年代にチャイナタウンの原形が生まれたという。彼らの先祖は広東や福建の出身で、街には広東料理の店や乾物屋、骨董屋が軒を連ねる。
 
チャイナタウンの中心を走るホテル・ストリートは、ホノルルがまだ港町だった一九二〇年代に船乗りたちの歓楽街として栄え、いまでもポルノショップやヌード劇場が集まっている。夜になると、カラオケやナイトクラブの周辺にドラッグの売人が出没する。
 
ホテル・ストリートから一ブロックほど離れたベトナム料理店で、堀山健二と待ち合わせていた。
 
ハワイの中華料理はアメリカ人の粗雑な味覚に合わせて砂糖と化学調味料を大量に使っているため、日本人の舌には合わない。それに対してエスニック系のレストランは、オリジナルに近い味を残している。タイ料理なら、マウイ島のラハイナに最高のレストランがある。ベトナム料理なら、チャイナタウンのこの店だ。
 
店内は満席で、入口には五、六人の行列ができていた。なかを覗くと、奥のテーブルで生春巻きをツマミにビールを飲んでいた堀山が、大声で「真鍋先生、こっちこっち」と手招きした。体重一〇〇キロを超える巨漢で、黄色い花柄のド派手なアロハに短パンとビーチサンダルという格好だから、どこにいてもすぐにわかる。苦笑しながらテーブルにつくと、「お願いだから、先生はよしてよ」と恭一は言った。
 
「先生、なにしはります? ここはなんでもいけまっせ」堀山はかまわず話をつづけると、新しいグラスにビールを注いだ。もともとは恭一が教えた店だが、いまではすっかり常連気取りだ。
 
フォー(ベトナムうどん)は後にして、パパイヤのサラダとニガウリの炒め物、空芯菜の和え物を頼んだ。
 
「なんや、先生は菜食主義でっか」堀山は特徴のあるダミ声を張り上げ、腸詰めとエビ団子、バインセオというベトナム風お好み焼きを次々と頼んでいく。世話好きというよりも、かなり押しつけがましい。
 
堀山健二は四十代半ばで、東京と関西で何軒かの風俗店を経営し、そこそこの成功を収めた。ファッションヘルスやピンサロと呼ばれる、合法と非合法の境界線上にある業態だ。ワイキキの真ん中に二ベッドルームのコンドミニアムを持っており、引退したらハワイでゴルフをしながら暮らすのだと、何年か前に日本料理のレストランを購入した。今回は二日前に到着し、二週間ほど滞在するらしい。
 
「先生もコナみたいな田舎に引き籠もってんと、ワイキキに豪勢なマンション買いはったらええのに。カネならなんぼでも融通しまっさかい」
 
「今回はなにしにきたの?」堀山のお愛想は無視して、恭一は訊ねた。
 
「殺生やなあ、その言い草。先生にご挨拶しにきたに決まってますやろ」
 
それも相手にせず生春巻きをつまむ。茹でたエビや豚肉を野菜といっしょにライスペーパーで巻いたベトナム料理の定番だ。
 
「実は、ハワイで新しい商売できひんかなと思うとるんです」パパイヤのサラダを取り分けながら、堀山が言った。「ご案内のように、日本人相手の商売は景気ようありまへんやろ」
 
堀山の経営する店はワイキキの外れにあり、日系人のスタッフが見よう見まねで蕎麦やうどん、寿司などをつくっている。料理は不味く値段も高いので常連客がいるわけもなく、金を落としてくれるのはなにも知らない日本からの旅行者だけだ。

「そんで、あの店を改装したらどないやろと思うとるんです」腸詰めを口に放り込み、グラスに残ったビールを飲み干し、堀山は大きなげっぷをした。
 
「ワイキキのヌード劇場いうの、知り合いに連れてってもろうたんやけど、あれはぜんぜんあきまへんわ。女の子は白人いうだけで年寄りやし、肌は染みだらけで、チチなんか垂れ下がってしもうて見とれまへん。そんで、ジャパニーズスタイルの風俗の店にしたらごっつう儲かるんやないか思いまして。もしうまくいったら、ニューヨークやロサンゼルスにも進出できますわ」
 
「やめたほうがいいよ」恭一はそっけなく言った。
 
「あきまへんかあ」堀山が情けない声を出す。
 
「ワイキキのメインストリートじゃ風俗営業の認可が下りないよ。それに、女の子をどうやって集めるの?」
 
「そんなん簡単ですわ。ウチの店の娘で、ガイジンOKなんを送ったらええだけですがな。ハワイの店ゆうたら、タダでも行きたいゆう娘、ぎょうさんおりますさかい」
 
「でも観光目的なら三ヶ月しかこっちにいられないよ」
 
「そんなん考えてます」堀山は胸を張った。「どっかの語学学校に放り込んで、学生ビザ取らせればええんでっしゃろ」
 
「誰に聞いたか知らないけど、そんなことしたらすぐに捕まって、下手したら刑務所行きだよ」
 
同時多発テロ以降、アメリカのビザ制度は大きく変わった。とくにテロ実行犯が学生ビザで国内に滞在していたことから、現在では国土安全保障省が留学生を受け入れる学校を認可し、すべてのビザ申請者に大使館・領事館での面接が義務づけられ、留学後は移民局が学生を監視し、取得単位や出席日数が規定に満たない場合はビザを取り消すなどの厳しい措置が取られている。就労目的で学生ビザを取得させ、風俗店で働かせていたことがわかれば厳罰も覚悟しなければならない。
 
「そうなんでっか。アメリカは自由の国やと思うとったのに、なんかややこしいんでんなあ」
 
「そんな面倒なことするより、さっさと誰かに譲ればいいんじゃないの」空芯菜をつまみながら、恭一は言った。
 
折からの不動産バブルでハワイの景気は悪くはない。ワイキキの店なら、権利を譲り受けたいという人間はいくらでも見つかるだろう。
 
「そない言われてもなあ」とぶつぶつ言っていたが、「まあ、よろしいわ」と、堀山はすぐに話題を変えた。しょせん真面目に考えた話ではないのだ。
 
エビ団子が運ばれてくるのを見て、堀山がすかさずビールを注文する。「先生もどうでっか?」と勧められたが、これから人に会うからと断った。訛りの強い英語を話す若いウェイターが慣れた手つきで料理を運び、空いた皿を片づけ、注文を取り、愛嬌を振りまいていく。
 
「実は、今回こっちに来たんはこれですわ」堀山はそう言って、小指を立てた。「それとこっち」今度は親指と人差し指をこすり合わせる。なんのことはない、女を連れて裏金の入金にやってきたのだ。
 
堀山のような現金商売では、売上を正直に税務署に申告することは稀だ。レジもなければ領収書を発行するわけでもなく、ほとんどの店は満足な帳簿すらつけていない。
 
売上を過少申告すれば、そのぶん裏金が溜まっていく。税務署も当然、そのことに気づいているから、裏金の在り処を徹底的に追及する。
 
飲食店や物販の場合、仕入から売上を推測することができる。だが風俗業では、仕入そのものが存在しない。税務調査官が脱税を摘発し、成績を上げるためには、タマリと呼ばれる裏金を見つけるしかない。
 
脱税とは課税対象となる利益を隠匿する行為だから、最後はすべて裏金をめぐる攻防になる。以前は、甕に隠して自宅の庭に埋めたり、仮名口座をつくって銀行に預けたりしていたが、一九九八年に外為法が改正され、誰でも自由に海外の金融機関を利用できるようになると、スイスや香港の銀行に口座を開設し、そこに裏金を隠す手口が流行した。オフショアやタックスヘイヴンなどと呼ばれるこれらの国や地域はどこの国とも租税条約を締結しておらず、日本の税務当局が口座内容を照会することができないからだ。
 
こうした国境を越えた裏金隠しが目に余るようになると、税務当局も専任の調査官を派遣するなどして監視の目を光らせるようになった。最近では税務調査の際、海外の隠し口座の証拠をいきなり突きつけられ、万事休するケースも出てきているらしい。堀山も最初は香港の銀行を利用していたが、顧問税理士の顧客の一人が香港の隠し口座を突き止められ、延滞税と重加算税で有り金のほとんどを持っていかれてから、入金先をハワイに変えていた。
 
香港には窓口での入出金を日本円で行なえる銀行がある。空港から直接リムジンで乗りつけ、札束の詰まったスーツケースをプライベートバンクに運び込む剛の者もいる。これでは、税務当局の最重点監視地域になるのも無理はない。
 
旅行者や長期滞在者など日本人利用者の多いハワイの銀行でも日本円での入出金は可能だが、交換レートは割高で、そのうえ多額の両替は銀行側が嫌がる。アメリカは現在、テロとの臨戦態勢にあり、どの銀行もマネーロンダリングを疑われるような取引は極力避けたいのだ。

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