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鍵の掛かった男 #4

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彼が差し出した名刺は、肩書が副支配人・レストラン長になっていた。それについて支配人が説明をする。

「うちの純利益の七割以上はレストラン部門が稼いでくれています。だから重責を担ってもらっているんですよ。それに」顔を丹羽に向けて「実質的には営業部長も兼務してもらっているようなものですよね」

丹羽は控えめに頷く。

「マルチ・ジョブで、フロントに立ってご予約を受け、お客様の応対や精算業務もいたしますし、小さな所帯ですから外回りの営業も施設管理もこなします」

会って一分と経たないうちに、この人に仕事を任せれば何でも如才なくこなしてくれるだろうな、と思った。どこまで有能なのかは判らないまま人を安心させられるのも一つの能力で、ホテリエにとっては武器だろう。

サイドから後ろに流したヘアスタイルは鷹史よりもよほどお洒落で、太めの眉も形がきれいに整えられている。物腰はあくまでも親しみやすく、歯を見せて微笑むと、にっこり、と効果音が入りそうだった。実際どうなのかは別にして、若い頃はプレイボーイで今もまだまだお盛ん、というのが第一印象だった。

見るからに頼もしげで、支配人の片腕として活躍しているのだろうけれど、見場がよすぎるのでは、とも思う。お客の目には、丹羽の方がずっと支配人らしく見えそうなのだ。そうであっても、鷹史はいっこうにかまわないのかもしれないが。

事務用の椅子を移動させて、丹羽も応接スペースに加わった。美菜絵が彼についての紹介を付け加える。

「私がここを受け継ぐ前、死んだ父が先代オーナーだった頃から丹羽はこのホテルを切り回してくれています」

江戸っ子風に言うと、なんてこったい。影浦や繁岡は「支配人夫妻」「支配人の奥様」と言っていたが、美菜絵は現在のオーナーなのだ。知っていながらうっかり説明を抜かしたのだろう。若い鷹史がここの支配人を務めているのは、オーナーの婿だからか。このホテルのことを一番よく知っているのは、二十年にわたって働いてきた丹羽靖章なのだろう。

「創設者は桂木銀次ぎんじと申しました。自分の名前と妻の星美ほしみの名前から一字ずつ採って銀星ホテルになったわけです」

ホテル名の由来も、ひょっこり明かされた。

「ご主人は入り婿なんですか?」

「はい。ホテル学校で知り合いました」美菜絵は口許を押えて、「私たちのことはどうでもいいですね。梨田さんのことをお話ししなくては」

レストラン長にも語ってもらう。

「梨田さんには、どこか謎めいたところがありました」丹羽は言う。「突き放した言い方に聞こえるかもしれませんけれど、何を求めて日々を過ごしているのかが判らなかったからです。長年おそばにいたので砕けたおしゃべりをすることもありました。昔話が出たりもしましたが、ご自分が何者であるかは語りたがらないご様子でした」

彼の梨田観も、桂木夫妻と変わらない。その謎こそが、影浦浪子を──そして私も──惹きつけているのだ。

故人の謎については棚上げして、一月十四日の朝の話を聞くことにする。遺体を発見した美菜絵は込み上げてくるであろう感情を抑え、事実だけを淡々と語ってくれたが、中身は繁岡から聞いていたままだ。朝食に下りてこないので心配になり、ドアチャイムを鳴らしても返事がなかったのでマスターキーで解錠した。手前の居間にいないので寝室を覗いてみると、梨田がタッセルで首を吊っていた。

彼女は、ぎゅっと拳を握って自分の胸に押し当てる。

「私は寝室に飛び込んで、梨田さんの首からタッセルをはずすべきでした。結果としてはとっくにお亡くなりになっていたんですけれど、それは後になって知ったこと。まだ息があるかどうか、見ただけでは判らなかったのに……部屋に一歩も踏み込めませんでした。パニックみたいになって、エレベーターを呼ぶ間も惜しんで階段を駈け下りていたんです」

梨田の異変を聞いて、鷹史が丹羽を伴って部屋に急行した。二人は梨田がすでに冷たくなっているのを知ると、遺体を動かさない方がよいと判断してこの事務所の電話から警察に通報したという。

「その際、梨田さんの遺体以外に触れたものはありますか?」

問うと、揃って「いいえ」と答える。

「他の泊まり客は、騒ぎに気がついたんでしょうか?」

「はい」と鷹史。「ホテルの人間にあるまじきことに三人がバタバタと走り回りましたから、ラウンジで新聞を読んでいた影浦先生をびっくりさせてしまいました。梨田さんの身に何かあったことはたちまち知れ渡り、パトカーが到着するに及んでホテル中の人間が事件だと気づきました」

「警察は、どんな措置を取りましたか?」

「現場保存のために、まず部屋を封鎖。それからお客様も従業員も一階に集められ、臨時休業したレストランで事情聴取を受けました」

死体発見は九時十五分。最初の警察官がホテルに着いたのは九時半になる前だったようだ。

「すでにチェックアウトや外出をした人はいなかったんですか?」

鷹史が答える。

「五名様いらっしゃいました。チェックアウトしたのはお二人で、金婚式の記念のご旅行でタイからお越しだったご夫婦です」

「外国人のお客さんも多いんですか?」

「大阪にも海外からのお客様が増えてホテルが不足気味ですから、うちにもよくお越しになります。そのタイ人のご夫婦は、小さなホテルがお好みということで当ホテルをお選びになったそうです」

「警察は、その方にも連絡を取ったんでしょうか?」

「翌日に泊まる京都のホテルを私どもが聞いていましたので、そちらを訪ねてお話を伺ったと聞いています。たいそう驚いていらしたとか」

語るほどのことがなかったためか、タイ人夫妻のことも繁岡は話してくれなかった。金婚式というから七十歳を超えているだろうし、異国で行きずりに殺人を犯すとはおよそ考えにくい。梨田とは顔も合わせていなかったはずだ、と鷹史たちは言った。

「チェックアウトではなく、外出なさっていた方が三名いらっしゃいました。皆様日本人で、よくご利用いただくお客様ばかりです。そのうちのお一人はロングステイの女性のお客様でして──」

「ロングステイ。その人とお話しすることは難しいでしょうか?」

やめてください、と止められるかと思いきや支配人は拒まない。

「私からお願いしてみます。梨田さんをよくご存じでしたから、応じていただけそうに思います。今日は夜の八時ぐらいにお戻りと伺っていますが」

「お会いしたいですね」

◇  ◇  ◇

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