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外に出られないきみのために…難病の少女との心震えるラブストーリー #1 ぼくときみの半径にだけ届く魔法

売れないカメラマンの仁はある日、窓辺に立つ美しい少女・陽を偶然撮影する。難病で家から出られない陽は、日々部屋の中で風景写真を眺めていた。「外の写真を撮ってきて頂けませんか?」という陽の依頼を受け、仁は様々な景色を届けることに。写真を通して少しずつ距離を縮めるふたり。しかしある出来事がきっかけで、陽が失踪してしまい……。ミリオンセラー『ぼくは明日、昨日のきみとデートする』の七月隆文さんが贈る『ぼくときみの半径にだけ届く魔法』。一部を抜粋してご紹介します。

*  *  *

陽(はる)。

冬の木洩れ陽のような、きみの名前だ。

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自分は醜いとかなしげに言い、人にできるだけ笑みを見せようとがんばって口の端を窪ませる。

ぼくを濡らさないため、差しかける傘の角度を懸命に模索する。

茶碗蒸しと、お笑いが好き。

ここには、そんなきみの記録がある。

ぼくたちの涙が溶け合い、夜の雲からあたたかく降り注いだ日のことも。

雪の中で一緒に花火をした日のことも。

挨拶みたいに愛を伝えたあの日の奇跡のことだって。

みんな、ここに残っている。

「1 彼女の出会い」

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初めて訪れた高級住宅街は、やっぱり違う。

まず、道がおそろしくまっすぐだ。

東京のど真ん中で、幅広いアスファルトが見たことのない長さで一直線に伸び、両わきには風格の漂う家々が整然と並んでいる。それはかなりの非日常を感じさせる風景だった。

ぼくは専門学校時代から愛用しているカメラ、キヤノン7Dを構え、絞りを調整してシャッターを切っていく。

遠くまで貫かれた道路の遠近感、

広い庭を持つ日本邸宅、

アフリカのどこかの国の大使館。

洒落た静けさに足が浮くような居心地の悪さを感じつつ、撮ったものを液晶で確認する。

うん、いくつか使えそうだ。

達成感にうなずき、さらに進んでいくと――

ひときわ大きな豪邸が見えた。

正確にはそれを囲う外塀。細いレンガの土台と宮殿のような黒い鉄柵、緑の生け垣。この住宅街の中でも、格の違いを感じる豪邸だった。

外塀の向こうに見える家の二階部分に、印象的な大きな窓がある。

枠の形、ライン一本に設計者のセンスが感じられた。その一本の差が驚くほど正確に値段に反映されるのがデザインの世界だ。あれも相応の額がかかっているだろう。

ぼくは立ち止まり、あの窓を主題にいい構図で撮れる場所を探す。

――ここだ。

ファインダーを覗きながらシャッターを切ろうとした直前――閉じていた窓のカーテンが動いた。

閉じた隙間に指がかかる。白くて細い女性の指。それが左に滑っていき、カーテンが開いていく。とっさにズームした。

まず目に飛び込んできたのは、溢れるような長い黒髪。

それから華奢な曲線を描く顎。ふわりとそよ風みたいに持ち上がり、彼女の貌が薄曇りの光にあたる。

ぼくは自分の上瞼がぴくりと上がったのを感じた。

お姫様。

窓から外を眺める彼女の姿に、その単語が素直に浮かぶ。月明かりを受ける、白い雪割草。

自分の指がほぼ自動的にカメラのF値を設定し、シャッターボタンを押す。

カタッ

という駆動音で、我に返った。

なんだろう。

何万回と聞いてきたはずのその音が、まったく違う響き方をした。それがなんであるのかわからないまま皮膚の内側を澄んだ冷たさが駆け抜け、ぶるりと震えた。

カメラを構えたまま、茫然と立ちつくす。

そのとき彼女がなにげなく視線を移し――ぼくの姿に気づいた。

レンズ越しに目が合う。

どうやらまだ状況がわかっていない。「なんだろう?」という無垢さを帯びた瞳が、光をまぶした印象できらめいている。

ぼくは帽子を取る作法に似た気持ちでカメラを下ろす。レンズから肉眼になり、彼女の姿が遠くになった。

瞬間、わかったのだろう。彼女が後ろに下がり、さっとカーテンを閉じた。

申し訳ない気持ちになりながらも、すぐ確かめずにはいられなかった。

いま撮った写真を。

言い知れない、けれどはっきりとした予感と期待があった。息することも忘れて、液晶を見た。

体の中に激しいストロボが飛んだ衝撃。

完璧。

モデル、背景、構図、光線、カメラの設定。すべてが奇跡のようにかみ合っていた。

たとえばシャッターのタイミングがコンマ秒でもずれていたら彼女の動作は変わっていたし、光だって、今日が薄曇りでなければ。春で、日本で、この瞬間、この場所でなければ――その光を彼女に照り返すレフ板代わりになった白いカーテンが違う色なら、白でも違う白だったら……この陰影にはならなかった。

完璧だった。

「……」

寸と息を吸い、ぼくは家の入口をみつけ、そこに向かって早足で歩きだす。

黒い鉄柵の門。

正面で立ち止まったとき、かすかな風が吹いて道路に散り敷かれた桜の花びらが滑っていく。

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建物のくぼんだ奥に、花や観葉植物の鉢で飾られた重厚な木の扉があった。

――なんの仕事をしてる人なんだろう。

どうやったらこの一等地にこんな家を建てられるのだろうか。

門の威圧感に怯みそうになったけど、ぼくはそれ以上の意思と勢いでインターホンを鳴らした。

『はい』

待ち構えていたような早さ。低く上品な男性の声。

「あの」

自分の声がかすれたのがわかって、つい顔をしかめる。

「すいません、私、写真家の須和仁という者なんですが……」

写真家と名乗るときはいつも苦い気持ちになる。たしかにそうなのだけど、プロカメラマンという肩書きは実は誰にだって名乗ることができる。ぼくみたいになんの実績もなく、ひとつも仕事を取れていない底辺でも。

『……写真家の方?』

「はい。撮った写真の公開許可を頂きたくて」

モデルに許可を得るのは、カメラマンとして必要な手続きだった。

「今、外で偶然こちらのお嬢さんを――お嬢さんが窓に立ったところを撮って、それがすごくいい写真なんです」

いい写真、と言う声に自然と熱が乗った。

「だからそれをぼくのSNSに載せたり、コンクールに応募する作品にしたり、ポートフォリオ……作品の見本帳ってことなんですけど、そういうのに使わせて頂きたいんです。その許可を、お願いしたくて」

少しの沈黙があった。

『須和様』

「はい」

『そのお写真を拝見することは可能でしょうか?』

「あ――はい」

『では、そちらにまいりますので少々お待ちください』

インターホンが切れた気配。

意識にじわじわと陽差しが肌に当たる感触とまわりの空気の揺らぎが戻ってくる。

木の扉から鍵が外れる音。そして、開いた。

出てきたのは、初老の男性だった。

グレーの髪を短く整え、伸びた背筋に品がある。ワイシャツと落ち着いた色のベストとスラックス。一流のホテルマン、昔なら執事――そんな印象だった。

「初めまして。私、江藤と申します。この家で働かせて頂いている者です」

――使用人。

「は、初めまして」

会ったことのない人種に、ついかたくなってしまう。

「不躾ですが、撮ったお写真を拝見できますか?」

「ええ、はい」

画像を呼び出し、カメラを渡した。

「ありがとうございます」

丁寧に受け取り、慣れない手つきで液晶を覗く。

ぼくはふいに喉の渇きを感じながら、その様子をみつめた。

いつだって最初に人に見せるときは緊張する。人にどう評価されるかで、自分の気持ちも変わるからだ。自分でいいと思っていたものも、人によくないと言われると、とたんに色あせたように感じてしまう。そういうものだからだ。

どうだ。これは、どうなんだ。

写真を見た彼の目が、はっきりと瞠られた。最高の感触。

――よし!

心の中で叫ぶ。血がぐるぐると加速する。やっぱりそれは、奇跡の一枚だ。

彼は短く息を吐いたあと、こちらを見てきた。

「少しお預かりしてもよろしいでしょうか? 本人に見せてまいります」

カメラが見えない場所に行くことに少しの不安は覚えたが、うなずいた。けっしておかしなことはしない人だと思えたからだ。

彼が中に戻ったあと、ぼくは建物の二階を仰ぐ。あの写真を、あの子が見る。それを想像して足がむずがゆくなり、重心を何度も変えた。

許可は出るだろうか。もし出なかったらどうしよう。だってあれは、絶対いけるんだ。

門の前で待つぼくの背後を宅配のトラックが過ぎた。どこかの家からウグイスの鳴き声がする。

扉が開いて、江藤さんが出てきた。

カメラを持っていない。いやな予感がして、それを質そうとしたとき、

「お嬢様がお会いになりたいそうです」

……え?

彼の表情は平静なようでいて、それが想定外の事態なのだということを隠しきれていなかった。彼がこんなふうになることは、たぶんかなり珍しいんじゃないかという気がした。

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靴を脱ぐ土間の広さが、部屋ぐらいあった。

正面の壁には、現代アーティストのものらしき鮮やかで幾何学的な絵画が重厚な額縁に入って飾られている。

玄関にいるだけで、建物全体の広さと堅牢さが伝わってきた。

「どうぞ。お履き物はそのままで」

ぎこちなく靴を脱いで上がり、後について廊下を歩く。

開放的なリビングが目に入った。雑誌の写真みたいに空間が抜けていて、高級そうな調度品が塵ひとつない清潔感で佇んでいる。圧倒されつつ、少し気になったのは……

生活のにおいが、まるで感じられない。

平べったい螺旋階段を上っていくと、二階の廊下に出た。白いカーテン越しの陽光に空間がやわらかく浮かんでいる。

あの窓だ。

ここがさっき、彼女がいた場所だ。

江藤さんがその少し奥にあるドアの前で立ち止まり、恭しく声をかける。

「陽様。お連れいたしました」

はる、というのが彼女の名前らしい。

ドアの向こうから返事はない。でも彼は、ぼくには聞こえない何かを拾ったふうにノブに手をかけ、ドアを引いた。

同時に自分の体も引いて、ぼくに先に入るよう促す姿勢になる。

「……」

少し躊躇ったあと、前に進む。心臓が肋骨の裏で存在を主張しはじめる。つい面接みたいに目を伏せてドアをくぐり、顔を――上げた。

白に包まれた。

壁や天井すべてが真白で、そこに綺麗な風景写真や動画がプロジェクターで淡く映し出されている。まるで光に透かせたステンドグラスを思わせる幻想的な色彩だった。

仕事柄そういう要素に真っ先に目を奪われつつ、視界はきちんと、奥にあるそれを捉えている。

白いベッド。

重ねた枕に上体をもたれさせながら、彼女がぼくを迎えていた。

◇  ◇  ◇

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ぼくときみの半径にだけ届く魔法

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