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詮索好きのお隣さんと、コーヒー片手に今日もおしゃべり。 #3 鎌倉駅徒歩8分、空室あり

 父の旅立ちは母の出奔とは違い、準備が見事だった。自分にもしものことがあったときのことは、年の離れた父の弟、忠人(ただひと)宛ての遺書にすべて記してあった。そうして、あたしはこの家の借地権と今後二十年間、月々の地代四万円を払い続けても、まだ余裕がある残高の通帳を受け取った。

 新聞社で働いていた父は文化部に所属していた頃、中南米に取材旅行に行った。グァテマラ、コスタリカ、パナマ……。各地で飲んだコーヒーに魅せられ、帰国後もその世界にのめり込んでいった。十五年ほど前に早期退職し、この家でカフェを始めた。名付けて、尾内カフェ。当初父は看板に書道六段の流れるような字で「尾内カフェ」と書いた。少しもオシャレじゃなかったので、あたしが水色の脱力した字で「おうちカフェ」と書き直した。

(写真:iStock.com/Yune Hanna)

 テラスに六席。庭の奥の大きなケヤキの木の下にパラソルつきのテーブルがひとつ。メニューは基本的にコーヒーのみ。たまにクッキーやコンポートを作って黒板のメニューに加えた。
 カフェの入り口脇の椎(しい)の木の葉が揺れた。カサッという音とともにリスが下りてきて、目の前を横切った。

「おはよう」
 青い木戸から丸い顔がのぞいている。
「開いてますよ」
 声をかけると同時にお隣の倉林(くらばやし)さんがこちらにやってきた。
「今年も裏庭でイチジクが、ほら、こんなに。だからお裾分けしようと思って」

 市場カゴを掲げてニッと笑った。
 倉林さんのことを父は「グラディスさん」と呼んでいた。「奥さまは魔女」に出てくる詮索好きのお隣さんの名前だ。本家と違って眼鏡をかけているが、その奥のくるくるとよく動く丸い目、甲高い声がよく似ていて、グラディスさん同様、三日に一度はうちに来る。

「ほら、去年、あーたがうちのイチジクでコンポート作ってくれたじゃない。あれ美味しかったわー」
 勝手知ったる我が家のごとく、テラス席に腰をおろす。
「きょうは何を飲まれます?」
 いつも庭でとれた果物やいただきもののお裾分けを持ってきてくれるので「物々交換だよ」と言ってコーヒーを出していた父の習慣をあたしもそのまま受け継いだ。

「ありがと。どうしようかな」
 倉林さんはいわし雲が浮かぶ空を見上げた。
「今の気分は……っと、そうね、きょうの空みたいなやつをお願い」
「かしこまりました。すっきりした酸味のコロンビアベースのブレンドにしますね」
 キッチンに戻ってコーヒーを淹れた。倉林さん専用の抹茶色のカップにコーヒーを注ぎ、テラスに戻る。ぷっくりとした手が伸びてきて、カップの持ち手を握った。
「これこれ、これを飲まないと、あたしの朝は終わらない」
 倉林さんは大変な早起きだ。なんでも夜八時に寝て、朝三時には起きているらしい。

「あ〜、美味しい。だけどねぇ」
 ワインレッドの眼鏡をはずすと、ニットの袖口でレンズを拭き、ちらりとこちらを見た。
「もうちょっとお客さんが欲しいところよねぇ。最近どうなの?」
 向かいに腰をおろした途端、アップで迫ってきた。
「ええ、ぼちぼち」
 普通は何人くらいを想像するのだろう。自分の中での「ぼちぼち」は日に五組だ。
「一杯六百円でぼちぼちねぇ。あーたも、この先、ひとりで生きていかなきゃいけないでしょ。そりゃ、お父さんが困らないだけのものは遺してくれたかもしんないけど……」

 詮索好きでお節介なお隣さんではあるが、結婚しろとまで言わないのはありがたい。父もよく言っていた。「あの性格からすると、『再婚しろ』とか言って見合い相手を探してきそうだけど、なぜか、そうは言わないんだな」
 もしかしたら、倉林さんは結婚生活に何の期待もしていないのかもしれないと、こちらはひそかに邪推している。
「あーた、ねぇ、わかってる? お金って、いくらあっても足りないもんよ。この広い家を維持していくんだって大変なわけだし。年寄りと同じで古い家っていうのは、あちこちガタがくる。そのたんびに何十万単位でお金が羽つけて飛んでいくんだから」

「そうですよね。わかってはいるんですけど……」
 倉林さんはカップを置き、首を傾げる。
「こんなに美味しいのにねぇ。どうして流行らないんだか。ねぇ、なんだったら、おうちカフェは土日だけにして、また眼鏡屋さんで働いてみたらどう?」
 ワインレッドの眼鏡のツルには鯖江(さばえ)のブランド名が金色で刻印されている。昔、横浜の店で働いていたときに、わざわざ買いに来てくれたものだ。

「あーた、この眼鏡、ほんと評判いいのよぉ。知的に見えるだけじゃなくて、とってもオシャレだって。かけはじめた途端、会う人会う人に褒められたもんよ。正直ね、あーたがこれ選んでくれたときは『赤い眼鏡なんてやりすぎ』って思ったんだけど、全然、まわりの反応が違ったのよ。だから、あたし、あーた、とってもセンスあると思ったんだけど」

 大学を出てから二十年間、横浜に本社がある眼鏡屋で働いていた。自分では陰気な性格だと思っていたが、接客は向いていた。でも、直属の上司も、そのまた上の店長も苦手だった。客の好みよりも利益優先。とにかく利益、利益。常連客に安くていいものを薦めると罵倒されることもしょっちゅうだった。それでも、就職氷河期になんとか入れた会社だった。石の上にも二十年。がんばりきってから辞めようと心に決め、四十二歳で退職した。もうじゅうぶん働いた。

「そうですねぇ……」
 あとの言葉が続かない。黙ってコーヒーを飲んだ。

◇  ◇  ◇

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