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あたし、左の耳たぶがないの…恐怖が渦巻く戦慄のホラーミステリ! #3 寄生リピート

中学二年生の白石颯太は、スナックを営む母と二人暮らし。嫌な目にあった時、いつも右手が疼いていた。ある晩、なじみの客を家に連れ込む母を目撃して、強烈な嫉妬を覚える。数日後、その客が溺死体で見つかった。さらに、死んだと聞かされていた父の生存が発覚するが、実父は颯太を化け物でも見るように拒絶して……。いま注目の新鋭ホラー作家、清水カルマさんの二作目となる『寄生リピート』。恐怖の幕が開ける冒頭部分を、特別にご紹介します。

*  *  *

川沿いの道をまっすぐに進むと、車通りの激しい道と交差する。そこを右に行くと颯太たちが通っている中学校があり、左に行くとすぐ近くに地下鉄の駅があるため、電車を利用するサラリーマンと通学中の生徒たちで道はいっぱいだ。

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その人混みを縫うようにして、朱里は軽快に自転車を走らせる。

風が身体の中を擦り抜けていき、母親の情事を目撃したことと、その妖艶な姿態を思い浮かべながら自慰をしたことに対する罪悪感が背後に吹き飛ばされていく。

「今日は新記録を出しちゃおうかな」

颯太の気持ちの変化が伝わったのだろうか、朱里はサドルから尻を上げ、立ち漕ぎでさらにスピードを上げようとする。

目の前で左右に揺れる朱里の小さな尻がまぶしい。思わず背けた颯太の目が、通行人の中のひとりの女性の視線と重なった。

「ちょっと、そこのふたり、止まりなさい!」

その女性は反射的に大声を出した。

まわりの通行人が一斉に注目し、朱里はペダルの上に立ったままブレーキをかけた。タイヤがアスファルトの上を滑った。

停止した自転車はゆっくりと左に傾いていき、朱里と颯太は同時に地面に足をついた。

「秋山先生かぁ、タイミング悪いな」

朱里がそっぽを向いたまま言った。

「二人乗りは道路交通法違反よ。それにあんなに飛ばしたりして、あぶないじゃないの。他の人にぶつかったりしたらどうするつもりなの」

秋山美穂が駆け寄り、朱里に注意した。

ベージュ色のロングスカートに白いブラウス。黒い革製のトートバッグを肩から下げている。美穂は颯太と朱里のクラスを担任している女教師だ。

担当科目は国語で、年齢は三十歳ちょうど。一年前、今年は二十代最後の年だとさんざん自分で言いふらしていたので、生徒たちはみんな美穂の年齢を知っていた。知性的な見た目とは裏腹のそんな飾らない性格が、生徒たちから好かれる要因のひとつだ。

「ほら、白石君もいつまで荷台に乗ってるつもり? あなたは荷物じゃないでしょ。さっさと降りて、ちゃんと自分の足で歩きなさい」

そう言われて颯太は自分が朱里の後ろに座ったままだったことにようやく気がつき、慌てて飛び降りた。反動で朱里が少しぐらついた。

頬にかかった長いストレートの黒髪を手で軽く払いのけ、美穂が颯太を睨みつけた。眉間に皺が寄せられているが、本気で怒っているのではないということはわかる。案の定、すぐに曖昧な笑顔になった。

「それに普通、逆じゃないのかしら。男の子が運転して女の子が後ろに乗せてもらうものでしょ」

「いいんです。私たちは、そういう軟派な関係じゃないですから。それにこの人は自転車に乗れないんです。だから毎日、片道二十分も歩いて学校に行き来しているかわいそうな人なんです」

「自転車に乗れないの?」

美穂が不思議そうな顔をした。

もちろん小さいころに自転車に乗る練習はしたが、ハンドルを握るとなぜだか身体が硬直してしまい、一メートルも前に進むことができなくて結局あきらめてしまったのだ。

そのことが恥ずかしくて、颯太は顔を背けた。美穂が慌てて場を繕うように言った。

「まあねえ、仲がいいのはいいことだけど」

「別に仲はよくないですから」

朱里の言い方はいちいち棘がある。

「ま、いいわ。とにかく、二人乗りはだめよ。わかったわね」

苦笑しながらそう言うと、美穂は学校に向かって歩き始めた。

「なんかいやな感じ。秋山先生は絶対に颯太君に気があるよ」

もう声が聞こえないだろうというぐらい離れてから、美穂の後ろ姿を睨みつけながら朱里がふてくされた口調で言った。

「なに言ってんだよ。そんなわけないだろ」

想像力豊かな幼なじみの推測を、颯太は笑い飛ばした。

秋山美穂は教師であり、同時に大人の女性なのだ。朱里は知らないだろうが、男子生徒たちはみんな美穂のクラスに入りたがっている。そんな美穂が中学二年生で、まだ声変わりもしきっていない颯太のことを好きになるわけがない。

「秋山先生に叱られたから、いい子の颯太君はもう二人乗りはしないんでしょ? じゃあ、私は先に行くね。あなたはひとりでとぼとぼ歩いてきなさい」

皮肉っぽく言うと、朱里は颯太の返事も待たずに自転車で走り去ってしまった。

「なに怒ってるんだよッ」

痴話喧嘩みたいなやりとりでまわりの注目を浴びていたことに気がついた颯太は、照れ隠しに、誰に向かってというわけでもなくそう吐き捨てた。

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カウンターの一番奥の席に座った園部は、恨めしげな気分で大久保秀男の横顔を睨みつけた。

無意味に太った大久保がいるだけで、それでなくても狭い店内がとても窮屈に感じられる。太りすぎて身体の隅々まで神経が行き届いていないのではないかと思える大久保は、当然のことながら園部のそんな視線には気がつかない。

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「実は今日はママにプレゼントがあるんだ。商店街の親睦を兼ねたゴルフコンペの賞品なんだけどね」

大久保が上機嫌で言いながら、ポケットから小さな箱を取り出してカウンターの上に置いた。悠紀子がちらっと園部に視線を向ける。受け取っても妬かないかと問いかけているのだ。

園部は大久保に気づかれないように唇の端をわずかに下げて、そっぽを向いた。好きにすればいいという意思表示だ。

少しほっとした表情を浮かべた悠紀子が、いつもの百戦錬磨の女主人に戻って軽口を叩く。

「あたしなんかよりも、奥さんにあげたほうがいいんじゃないの」

「俺は釣った魚には餌をやらない主義なんだよ」

「じゃあ、今度は私を釣ろうって魂胆なのね」

悠紀子が鼻で笑うと、大久保はむきになって身を乗り出し、プレゼントを悠紀子の手に握らせた。

「そうだよ。俺だって、ママのことを狙ったっていいだろう。俺はチャレンジ精神旺盛なんだよ。さあ、開けてみてよ。実は俺も中身がなんなのか知らないんだ。ただ女性向けってこと以外はさ。だけど、けっこう値の張る物らしいよ」

小さな箱だ。おそらくアクセサリーだろう。さっきまでアルコールの酔いで濁っていた悠紀子の目がきらきら輝いている。

女はいくつになってもプレゼントをもらうのが大好きだ。園部もこの店に通い始めのころは、香水やバッグなど、いろいろ貢いだが、男女の関係になってからはプレゼントをするどころか、ちょっとした食事代でも悠紀子に払わせていた。

そのことに対する抗議の気持ちもあるのか、悠紀子は大袈裟によろこんで包みを開け始めた。リボンを外して箱を開けると、ブランド名が書かれた小さな緑色の巾着袋が現れた。ネックレスだろうか?

「さあ、なにが出るかしら」

大久保に向かってにっこりと微笑んでから、悠紀子は巾着袋の中身を手のひらの上に出した。とたんに悠紀子の顔が強張った。

その反応に焦った大久保が悠紀子の手元をのぞき込んだ。園部も首を伸ばした。小さなハートがふたつ、銀色に輝いている。

園部にはそれの価値はわからないが、どっちにしろ悠紀子にとっては必要のないものだ。

「お、いいじゃん。ママに似合いそうだよ、そのピアス」

馴染みの客はみんな悠紀子がピアスをしないことを知っていると思っていたが、大久保は心底、間の抜けた男だ。そんなことでは悠紀子を落とすことなど、百年かかっても無理だろう。

「そんなのもらったって、ママがよろこぶわけないだろうが」

園部が言うと、大久保は針でつつかれたように勢いよく振り返った。

「どういう意味だよ?」

思い切ってプレゼントしたというのに予想と違う反応があって、気分を害したらしい大久保は顔を真っ赤にして立ち上がった。

「ちょっとちょっと。大久保さん、落ち着いてよ」

「だけど、この野郎がさあ」

「そう興奮しないで。園部さんも悪気があって言ったわけじゃないんだから」

悠紀子は苦笑しながら長い髪を搔き上げてみせた。大久保が身を乗り出して悠紀子の左耳をじっと見た。

美人は身体のどのパーツも美しいというのが、園部の持論だ。しかし、悠紀子の耳に限っては、それに当てはまらなかった。左の耳たぶがあるはずの部分が、動物に嚙みちぎられたようなグロテスクな痕跡を残して、なくなっているのだ。

「あたし、左の耳たぶがないの。片方だけつけるのも変だから、ピアスはつけないことにしてるのよ」

さっきまでの上機嫌が嘘のように、悠紀子の声は陰気に響いた。「おお」と曖昧な言葉を発して大久保が椅子に腰を下ろした。

「それに、このデザインはちょっと若すぎるし、他の娘にあげたほうがよろこんでもらえるはずよ」

悠紀子が柄にもなく気を遣って言葉をつづけた。

「うん、そうか」と納得したようなしないような大久保だが、なぜ左の耳たぶがないのか訊こうとはしない。悠紀子の全身から漂う気配が質問を拒否しているのだ。

何度もベッドをともにしている園部でさえも訊ねたことはなかった。耳たぶの話題はタブーだった。

店の中が急に湿っぽくなった。有線の曲が、女の悲しみを歌ったバラードに変わったからでもないだろうが、このままだと悪酔いしてしまいそうだ。今夜はそろそろ潮時かもしれない。

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寄生リピート

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