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事件の風化を手助けする法律に何の意味があるのか。

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テレビの画面では、スペインリーグの『リーガ・エスパニョーラ』の試合が流れていた。

「よし、行け!」

深夜、大山正紀は贔屓(ひいき)のバルセロナを応援しながら、自室で盛り上がっていた。

時代と共にサッカーの放送は地上波から衛星放送に移っている。将来的にはネット配信になるのでは、という声もあった。だが、パソコン画面だと迫力に欠けるから、試合はテレビで観たいと思う。

選手のスーパープレイのたび、正紀は興奮した。

中学生のころは、クライフターン、ヒールリフト、エラシコ、マルセイユルーレットなど、スーパースターの必殺技のような大技ばかり練習し、試合で挑戦しては監督に怒られたものだ。

実力をつけ、不動の地位を確立すれば、遊び心のあるプレイも観客を魅了する武器になる。

いつか、大舞台で大勢の度肝を抜いてみたい。

目を閉じ、イメージトレーニングという名の妄想に浸(ひた)った。日の丸を背負ったワールドカップの大一番。相手は強豪ブラジル。ロナウジーニョやネイマールのようなプレイで相手国の観客にも感嘆のため息をつかせる。そして──ゴール!

妄想の中では常に大歓声が聞こえていた。

『オオヤマ、オオヤマ!』

『マサノリ、マサノリ!』

大舞台での活躍で全世界に『Masanori Oyama』の名前が知れ渡り、ヨーロッパ四大リーグの名門クラブチームからオファーが殺到するシンデレラストーリー。

妄想の世界から帰還すると、スマートフォンでニュースサイトにアクセスした。スポーツの項目を見る。欧州サッカーの速報や、試合の記事が上がっている。

読んで他の試合の動向を知ってから、ブラウザバックした。国内ニュースの項目が目に入る。

『「愛美ちゃん殺害事件」で浮き彫りになる少年法の限界』

サッカーの興奮に冷や水を浴びせられるようなニュースだ。母がワイドショーを好んで観るから、嫌でも目に入る。クラスメイトと話題にするうち、普段から記事が気になるようになった。

不快になりそうだから読まずにおこうと思ったものの、好奇心に負けて記事を開いてしまった。

目を通してみる。

六歳の愛美ちゃんがめった刺しにされた経緯に触れた後、少年犯罪の問題点について語っている。

家庭裁判所は、十四歳以上で罪を犯した犯罪少年のうち、死刑、懲役、または禁錮に当たる罪の事件について、刑事処分が相当と認めるときは、検察官に送致することになっている。それを逆送と呼ぶ。

検察官に逆送された犯罪少年は、起訴されると、家庭裁判所ではなく、成人と同じ刑事裁判で裁かれる。

また、十六歳以上の少年が被害者を死亡させた場合は、原則として逆送される。

『愛美ちゃん殺害事件』の容疑者である少年Aは、十六歳だ。精神疾患などがないかぎり、逆送され、成人として裁かれるであろう。だが、全てにおいて成人として扱われるわけではない。

少年の実名報道を禁じた少年法第六十一条が立ちはだかり、本名も明かされず、守られている。少年法は、少年の更生の機会を守ることが趣旨ではあるが、残虐な殺人事件を起こした少年が世に戻った後、反省も更生もなく、また非道な犯罪に手を染めているケースもあり、そこに少年法の限界がある。

少年A──。

少年B──。

少年C──。

実に記号的な響きではないか。

窃盗を犯した少年も、強制わいせつを犯した少年も、子供を連れ回した少年も、殺人を犯した少年も、全員が全員、報道では少年Aと呼ばれる。複数犯なら、B、C、D──とアルファベットが増えていく。

逮捕された犯人が少年だと分かった瞬間から、犯人の“顔”はなくなり、単なる記号と化してしまう。世間の記憶に残るのは、残虐な犯行内容だけで、犯人は忘却の彼方に──いや、名前がないのだからそもそも最初から記憶すらされない。

事件の風化を手助けする法律に何の意味があるのか。

一方、被害者の実名や個人情報は、遺族がどれほど傷つこうが、懇願しようが、『実名報道でなければ、その事件が真実かどうか(本当に起きたかどうか)保証できない』『公共性と公益性のため』として実名を出している。

それならば、犯人の実名こそ公表しなければいけないのではないか。

世の人々の大半は、実名報道を求めている。

たとえば、コンビニや飲食店で“悪ふざけ”動画を撮影した中高生や、SNSで差別的な発言をした中高生が炎上したとき、アカウントの過去の発言から個人が特定されるケースは枚挙にいとまがない。本名どころか、学校名、バイト先、時には自宅の住所まで突き止められている。

個人情報は恐るべき速さで拡散される。誰もが実名を明らかにすべきだと考えている証左である。

目を覆うばかりの凶悪な少年犯罪が相次ぐ昨今、加害者を守る少年法第六十一条は時代遅れと言わざるを得ない。法もアップデートが必要であろう。

市民団体により、加害者少年の実名公表を求める署名運動が行われ、現在、一万二千人が署名しているという。

少年法は変わらなくてはいけない。

文章から怒りが滲(にじ)み出ている。

サッカーの興奮は鎮火してしまったものの、クラスで事件がまた話題になったときに話す材料が手に入った。サッカーの試合同様、自分が主役になることが好きだ。

正紀は部屋の電気を消すと、そのままベッドに入った。

昼休みになり、正紀は六人グループの中で喋っていた。机を椅子代わりにし、サッカーの話で盛り上がる。東京予選でハットトリックをした試合の思い出話だ。

「大山君、チョー恰好(かっこう)良かった」当時、応援に来てくれていたギャル系女子の一人が興奮気味に言った。「マジ、泣いちゃったもん。試合後にインタビューも受けてて、凄いよね」

「ま、格下だったし、あれくらいはな。俺が目指してんのは、もっと上だったし」

「でも、めっちゃ感動した。周りの人も、みんな、大山君の名前を呼んで興奮してたし」

「俺としては、二回戦の逆転アシストのほうが印象に残ってるな。ロスタイムの高速カウンター」

「だよね、だよね。私も感動した」

彼女があのアシストの妙を理解しているようには思えなかったが、褒められて悪い気はしない。

しばらくはサッカーの話を楽しんだ。

そのうち、友人の一人が『愛美ちゃん殺害事件』の話を持ち出し、自然と話題が事件に移った。

「愛美ちゃんのためにも死刑にしなきゃ駄目だろ」

野球部の友人が義憤に駆られたように言った。天然パーマの友人が「でもさ──」と反論する。

「十六歳じゃ、死刑は無理だろ。殺したのも一人だし」

「それは法律が甘すぎだって。あんなむごい殺し方して、すぐ世に戻ってくるとか、ありえねえだろ。許せねえよ。正紀もそう思うよな?」

他人事ではあるものの、許せない事件だと思う。何の罪もない六歳の女の子が二十八カ所もナイフでめった刺しにされ、首の皮一枚で頭部が繋がっているようなありさまで公衆トイレに放置されていたのだ。誰でも犯人に怒りを感じるだろう。被害者は夢も希望も、将来味わえるあらゆる楽しみも、理不尽に奪われた。

「思う思う」

正紀はすぐ同意した。サッカー部のエースの10番で、正義感にあふれるキャラで売っているのだ。

「でもさ、実際は死刑どころか、名前も顔も明かされないんだぜ。女の子を惨殺しておきながら、“少年A”だってさ。こんなの記号だし、事件の風化を手助けするだけだろ」

一昨日の記事の受け売りだった。だが、クラスメイトたちは感心したようにうなずいている。

野球部の友人が声を荒らげた。

「名前公表しろよなあ、マジで」

「それな」正紀はうなずいた。「被害者ばっかプライバシーを公開されるの、不公平じゃん」

「お姉ちゃんと一緒に仲良く飼い犬の散歩をしてたとか、子供向けの雑誌で読者モデルをしてたとか、将来の夢はお花屋さんだったとか、どうでもよくね?」

そんな被害者の情報は、ニュースで何度も報じられていた。母もテレビを観ながら犯人に対して憤っていた。

クラスメイトたちが言い合う。

「そのほうが被害者が同情されやすいからかもな。こんなふうに加害者の名前も顔も出ない事件だと、その差が際立つよな」

「犯人はクソだよ、クソ。人を殺しておきながら、十六歳って年齢の陰に隠れやがって」

「──犯人の部屋から漫画やアニメグッズが見つかったってさ」

「俺なんかさ、母ちゃんから『あんたは大丈夫?』とか真顔で言われちゃったよ」

「今時、漫画やアニメくらい誰でも見るじゃん」

「分かる分かる。でもさ、親の世代とか偏見あるし、漫画やアニメも色々だって分からないんだよな。ゲーム機は全部ファミコンだって言うしさ」

陰惨な事件の話題は常にヒートアップする。

結局、サッカーの話題は『愛美ちゃん殺害事件』の犯人の話題に取って代わられた。

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