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ぼくだけが今もここにいる…難病の少女との心震えるラブストーリー #3 ぼくときみの半径にだけ届く魔法

売れないカメラマンの仁はある日、窓辺に立つ美しい少女・陽を偶然撮影する。難病で家から出られない陽は、日々部屋の中で風景写真を眺めていた。「外の写真を撮ってきて頂けませんか?」という陽の依頼を受け、仁は様々な景色を届けることに。写真を通して少しずつ距離を縮めるふたり。しかしある出来事がきっかけで、陽が失踪してしまい……。ミリオンセラー『ぼくは明日、昨日のきみとデートする』の七月隆文さんが贈る『ぼくときみの半径にだけ届く魔法』。一部を抜粋してご紹介します。

*  *  *

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範囲を指定してマスク、トーンカーブで色味を調整。

夜、ぼくはアパートの部屋で撮った写真の加工をしていた。

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『いま世の中に出回っている写真で、加工していないものは一つもありません』

専門学校のレタッチの授業で最初に言われたことが印象に残っている。

写真のデータをパソコンに取り込み、フォトショップとかの編集ソフトで修正したり、色や影を変える。ぼかす、消す、付け加える。実際に授業でその便利さに圧倒され、それが今の標準なんだと納得させられた。

でも、この写真は。

ディスプレイに表示された、彼女の写真。

ヒストリー機能を使い、加工前の状態に戻してみた。

――やっぱり。

このままの方がいい気がする。

デジタルがない頃の写真家は、レタッチができないから撮影は一発勝負で命懸けだったと年配の先生が言っていた。

そういうものが、撮れたんじゃないか。

座椅子に座りながら、ディスプレイに向き合っている。ふつふつと湧き上がるものを感じながら、印刷ボタンをクリックした。

プリンターが写真を細切れに出力していくのを眺めていたとき、スマホが鳴る。

表示された名前に、胃がく、とわずかに締まった。

『加瀬』

専門学校時代の同級生、いつもつるんでいたグループの一人だった。

「……もしもし?」

『うぃーっす! 元気かー?』

抜けのいい声が、スピーカーから六畳間に洩れる。

「久しぶりだな。……どうした?」

自分の声のぎこちなさに奥歯を嚙む。最後に話したのは一昨年だったろうか。

『もしかして寝てた?』

「いや、そういうわけじゃ」

かつては感じなかった緊張。

加瀬はぜんぜん変わらない。でもその声に勢いがあるというか余裕を感じるのは、ぼくの主観だろうか。

『同窓会やることになったから、来いよ』

「え?」

『オレが幹事で。花木も来るっつってる』

「……花木も」

『久しぶりに三人で話そうぜ! な?』

――行きたくない。

「わかった。いつ?」

でも、それを言うのはいやだった。

日取りを聞いたあと、加瀬がなにげない調子で、

『ところでお前、今どこに住んでんの?』

「日吉のままだよ」

『おー、あの部屋! めっちゃ懐かしいなあ。今度、久しぶりに行かせてくれよ』

「……いいけど」

『よっしゃ! じゃあとりあえず同窓会の件はよろしく! じゃあな!』

通話が切れた。暴風が過ぎたような余韻が残る。

ぼくはスマホを下ろし、自分の部屋を振り返る。

築二〇年、軽量鉄骨、1Kアパートの風景。

渋谷から東横線で二〇分の日吉駅。そこから歩いて五分の場所にあるここは、通っていた専門学校に近くて、はりきって下宿したところ。

かつては、ぼくと加瀬と花木、三人の溜まり場だった。

あの万年床になっている布団をどけて、よく飲んでいた。写真の話はほとんどせず、ゲームをやったり鍋作ったりして、今となってはまるで思い出せないようなどうでもいいことを朝まで話していた。

でも。

加瀬は、趣味のダイビングが高じ「カメラマンになったらタダで潜れそうだから」という理由で勤めていた会社を辞めて入学してきた変わり種で、そのアクティブさを活かして今は広告業界でバリバリ稼いでいる。

花木は、在学中に新人の登竜門といわれる二つのコンクールをダブル受賞した天才で、近所の子供をシリーズで撮った写真集がヒット。女子を中心に、今や世間で最も有名な若手写真家の一人になった。

そして、ぼくだけが今もここにいる。

学校を卒業して、ただ四年、歳を取った。

部屋から目を逸らし、またディスプレイに向き直る。

そこに映る彼女の写真を、再びレタッチしていく。

「……っ」

倒れるように、座椅子の背にもたれかかった。

「くそっ!」

気持ちが、口から爆ぜた。

見慣れた天井の木目。輪っかの蛍光灯。

さまよわせた視界の隅に、印刷を終えた写真が入る。

指先でつまみ、手元に寄せた。

じっと見る。

写真をキーボードの脇に置き、それからヒストリーでまた画像を元に戻した。

緩いため息が、深夜のアパートの壁に染みていく。

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「歩いて」

戸根さんがカメラを構えつつ、二人並んだモデルに指示する。

「はいせーの、トーントーントーーーン」

横断歩道を渡るモデルを、戸根さんが後ろ歩きしながら撮っていく。まるで格闘家のように上体がまったくぶれない。

「車、曲がりまーす」

ぼくは交差点を左折してくる乗用車の存在をしらせ、歩道に引き返していく戸根さんたちを庇う位置取りをしつつ、ドライバーにぺこりと頭を下げる。

バイト中だった。

学生時代から続けている個人スタジオのバイト。仕事は撮影機材の出し入れや掃除、ロケのときは歩行者の見張りとか。まあ雑用全般だ。

「風びゅんびゅん入れて」

アシスタントがハンディタイプの送風機を両手で抱え、モデルに風を当てる。

そして車が過ぎたあと、何度か同じように横断歩道を往復した。

「ちょっと見ます」

戸根さんが台に置いたノートパソコンで撮ったものをチェックする。色をきちんと見るため黒いシェードで囲ってあるので、そこに頭を突っ込む形になる。新人バイトのなつきちゃんが折りたたみのレフをかざして戸根さんの日よけをした。

モデル二人にも、ロケバスの人がすぐ大きな日傘を差し掛けた。

原宿にあるスタジオから近い、神宮前三丁目の交差点。

早朝ながら車や歩行者がすでに行き交う中、ロケのスペースはほわりと現実から半分浮かんだような空間に映る。

モデルたちが、戸根さんの後ろから画面をのぞきこむ。やっぱり自分の写りが気になるんだろう。ほぼ全員がああする。

その後ろにはクライアントである雑誌の編集さん、ハムスターに似てるなじみのヘアメイクさん、ぼくも合わせて一〇人が歩道の隅にへばりついていた。

「一〇〇〇円のトップスには見えないねー」

画面から目を離したモデルが雑談をしている。彼女たちが着ているのはファストファッションで固めたコーデ。最近はこういう特集が増えた。

そういうものにぼんやり目を移しているふりをしつつ、ぼくは彼女をみつめる。

なつきちゃん。

先月入ってきた彼女が、真剣な顔で戸根さんの日よけを続けている。

少し癖のある明るく染めた髪。小さい猫にメガネをかけさせたような雰囲気の子だった。

と、なつきちゃんがぼくの視線に気づく。あわててごまかそうとしたとき、彼女がにこりと笑って小さく手を振ってくる。

ぼくの胸が弾むようなしあわせに満たされた。

「オッケー。はいロケ終わりー」

戸根さんの宣言と同時に、ぼくたちバイトとアシスタントは素早く撤収に取りかかる。ぼくは大きいバッグを二つ肩にかけ、スタジオに向け緩い坂道を下り始めた。

手ぶらのなつきちゃんが居心地悪そうに歩いている。ここは「自分で仕事をみつけること」が方針で、いつもやることの取り合いになる。

結果、ぼくみたいに長くいる人間ほど多く荷物を持つし、逆にどう動けばいいのかわからない新人は出遅れ、手ぶらになる。ぼくも最初はそうだったけど、あれはなかなかつらい。

「なつきちゃん、これ持つ?」

「え」

気を遣われたとわかった彼女が遠慮しようとする。

「この重い方、なつきちゃんにはきついと思うけど、だから持ってよ」

「ひどくないですか!」

いじられたリアクションをするなつきちゃんが、すごくかわいい。

こういう会話をしているうち、彼女を好きになってしまっていた。


予定よりだいぶ早く撮影が終わり、次までの隙間の時間ができた。

昼飯は食べれるときに食べないといけない。ぼくはコンビニのサンドイッチを手早く平らげ、

「戸根さん」

スタジオのラウンジスペースでスマホをいじっていた戸根さんに声をかけた。

「ブック、見て頂けませんか?」

ブックというのはポートフォリオの別の言い方だ。

「ん」

戸根さんはスマホを置き、太い腕を伸ばしてぼくからポートフォリオを受け取る。

開く動作を見守りながら、ぼくは緊張した。

これまで見てもらったことは何度かあるけど、今回は特に緊張する。なぜなら、最後のページにあの写真を入れてるからだ。

広告の第一線でずっとやってきた戸根さんがあれを見てなんと言うのか。期待と、それを砕かれる恐怖があった。

最初の数ページを開いてすぐ、戸根さんの眉間に皺が寄る。ただでさえ速いめくるスピードがさらに上がる。よくないサインだ。胸がチクリとする。

でも最後のページ。まだ最後のページがある……。

けれど――

「……ん~」

半分くらいのところで、戸根さんの手が止まった。染めた髪をがりがりと搔き、ぼくを見てくる。

◇  ◇  ◇

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ぼくときみの半径にだけ届く魔法

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