鍵の掛かった男 #2
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「お待ちしておりました」一礼して「当ホテル支配人の桂木鷹史です」
見たところ三十歳前後。古いホテルだということで錯覚してしまったのか、こんなに若いとは思っていなかった。経営手腕がどれほどのものか知らないが、色白でおっとりとした若殿風である。
「梨田稔さんの件を調べるために伺いました。ご迷惑にはならないように気をつけますので、ご協力をお願いします」
新入社員の飛び込みセールスよりぎこちない頼み方だったが、若い支配人は畏まって一礼する。
「お世話になります。私以下従業員一同、できる限りのお手伝いをいたしますので、何なりとお申しつけください。有栖川先生がいらっしゃることは影浦先生からお電話でお聞きしています」
職業柄、物書きというだけで私の名前に先生をつけてくれるだろうと思っていた。先生はやめて有栖川さんにしてください、とこちらからリクエストしたらかえって困らせそうだし、それもまた生意気に響いて口にしにくい。修正を求める機会を探りながら、しばらくは先生扱いに耐えるとしよう。
フロントの奥から、支配人とお揃いのジャケットに身を包んだ女性が現われた。長い黒髪を銀色のリボンで括っている。胸の名札には、支配人と同じく〈かつらぎ〉とあった。
「妻の美菜絵です。──ご連絡をいただいていた有栖川先生だよ。梨田様のことをお調べにいらっしゃった」
夫の言葉を受けて、彼女は深々と頭を下げた。こちらも痩身で、清楚な感じの美人だ。潤んだような目とうっすらとできる涙袋に、大事な任務を忘れて心が惹かれそうになる。
「美菜絵と申します。どうぞよろしくお願いいたします。──影浦先生から伺っております。梨田様が亡くなられた事情について、有栖川先生がしっかり推理してくださるので最大限のご協力をするように、と」
しっかり推理してくださる、ときた。あの先生も妙な言葉遣いをするんだな、とおかしくなった。
「梨田様がご自身の意思であのようなことをなさった、と警察は考えていますが」美菜絵は言う。「私どもの見方は違います。先生のご明察をもって、どうか真実を見つけ出してください。そうでなければ、梨田様がお気の毒すぎます」
「やってみます」としか言えなかった。空約束はできない質だ。
「事務所でお話しさせてください。こちらにどうぞ」
桂木鷹史が導き、フロントの奥へと通される。事務机が二つのオフィスの片側が応接スペースになっていた。いつもここで業者らと話すのだろう。支配人と向かい合って座ると美菜絵が香りのいい紅茶を運んできて、夫の隣に掛けた。
「ここにくる前に、天満署の繁岡巡査部長に会って一応のお話を聞いてきました。やはり警察は、自殺ということで決着させるようです」
私が切りだすと、鷹史は「そうですか」とだけ残念そうに言う。美菜絵は黙っていなかった。
「警察はいくら言っても判ってくれないのですね。梨田様には自殺をする素振りなんてありませんでした。どんな想いで日々を過ごしていたのか、頭の中を覗き込むことはできなくても、人間は気配というものを発散させます。そんなものが出ていれば、ちょうど五年も同じ屋根の下で生活してきた私たちには感じられたはずなんです」
桂木夫妻は、最上階のペントハウスに居住しているそうだから、言っていることは判る。ホテルだと「同じ屋根の下」という表現が今一つしっくりこないが。
「まず、梨田さんについて聞かせていただきましょうか。ちょうど五年というと……二〇一〇年の一月から滞在していたわけですね。何がきっかけで投宿なさったんでしょう?」
鷹史はここから答えを美菜絵に譲る。
「当ホテルにお越しになったのは、その時が初めてではありません。最初にお泊まりになったのは二〇〇九年九月一日で、この時は一泊。『ここはいいところですね』とお褒めいただいたそうで、その年の暮れにもお見えになり、三度目が二〇一〇年一月二十日。『しばらくご厄介になります』とおっしゃって、今年の一月十三日まで。いや、十四日までと言うべきでしょうか……」
彼女が関連する日付をすらすらと答えられるのは、警察の捜査に応えるために記録を参照したからだろう。そう何でも覚えていられるはずがない。私は、出てきた日付をすべてノートに書く。
「『しばらくご厄介になります』とチェックインして五年ですか。そんなことになるとは夢にも思っていなかったでしょうね」
「もちろんです。一週間分の室料を先にお出しになったので、それだけでも長いな、と思ったほどです。お支払いはどなた様もチェックアウトなさる時でかまわないのですが、『どうしても払います』とおっしゃるもので、固辞しかねて受け取りました」
「現金で?」
「はい。梨田様のご精算はいつもキャッシュでした。『クレジットカードは持っていない』とのことで」
クレジットカードを持っていない億万長者がいるとは、常識が揺さぶられる。
「カードを持たない理由を聞いたことがありますか?」
「いいえ。性に合わないのかな、と思っていました」
自身の主義信条によったのかもしれないが、何か事情があってカードが作れなかったとも考えられる。しかし、二億を超す預金の持ち主だから自己破産が原因とも思えず、腑に落ちない。
「一週間の滞在の六日目だったでしょうか、あらたまった口調でご相談を受けました。『期限を決めずに、こちらに住まわせてもらえますか?』と。びっくりするようなお話ではありません。当ホテルをそのようにお使いいただくお客様が、昔はちょくちょくいらしたそうですから。昔とは、創設して間もない頃です。私などが生まれるずっと前のことですね」
since 1952。終戦の年=一九四五年=昭和二十年なのは頭に入っているから、昭和二十七年だとすぐ変換できる。サンフランシスコ講和条約が発効し、GHQ(連合国軍最高司令官総司令部)が廃止されて、日本が独立を取り戻した年だ。
銀星ホテルの来歴について興味があったが、後回しにしよう。
「梨田様がお使いになっていたスイートルームを後でご覧いただきますが、流しや調理設備があって自炊ができるようになっています。長期滞在なさるお客様に対応したものです」
夫の説明を美菜絵が補足する。
「創設当初のオーナーの友人が、その部屋に長期滞在することが判っていました。それで、あらかじめ自炊もできるようにしたのだそうです」
なるほど。この小さなホテルでもスイートルームならそれなりの広さがあるだろうし、自炊が可能ならば自分の家の感覚で住むこともできただろう。想像していたほど窮屈な暮らしではなかったかもしれない。
「その後、梨田さんは滞在を延長し続けたわけですね」
「はい」鷹史は頷く。「室料のお支払いについては、月初めに翌々月の分まで前払いする、というルールができました。私どもがお願いしたわけではなく、梨田様が『ぜひ、そうしてください』とおっしゃったからです。期限を決めないといっても、せいぜい二、三ヵ月のことだと思っていたのに、まるで違いました。そこで、今度は私どもの方からお願いするようにして、梨田様には特別の料金でお部屋を提供することになったのです」
朝食付きで月三十万円。どの程度の食事と部屋なのかを知らないから判断しかねるが、相当なサービス価格に思えた。しかし、支配人は弁解がましく付け加える。
「稼働率があまりよくない部屋なので、私どもとしてはもっと低い金額でもよかったのですけれど、梨田様が『それ以上は値引きしていただくわけにはいきません』と強くおっしゃるものですから、三十万円になりました」
「朝食は、ここのレストランでとっていたんですね。昼と夜は?」
「食事は一日二回で足りるから、たいてい昼食は抜く、とのことでした。夜は自炊をなさったり、当ホテルのレストランで召し上がったり、外に出られたりと様々でした」
いかにして食事に変化をつけるか、というのはホテル暮らしをする上で小さからぬ課題だったと推察する。
「滞在して、どんなことをしていたんですか?」
「私どもが知っている範囲のことしか答えられませんが……」
「もちろん、それで結構です」
ホテル従業員として常にお客のプライバシーに配慮しているせいか、鷹史はこんな場面でも言いにくそうにしている。美菜絵が先に口を開いた。
「ボランティア活動をいくつか掛け持ちなさっていました。月曜日は公園の清掃。火曜日と金曜日は悩みの電話相談、水曜日はお休みで、木曜日は病院へ」
「病院?」
「大きな病院のエントランスにいらっしゃいますね。『初診の受付はあちらです』とか『お会計はあの窓口です』と案内してくださったり、患者さんの車椅子を押したりするボランティアさんが」
「ああ、そんなこともなさっていたんですか」
「はい。月、火、木、金曜日にお出になるのが基本パターンで、一日だけの清掃など単発のボランティアに参加なさることもありました」
週のうち四日はボランティア活動に勤しんでいたというのを、どう捉えるべきか? 仕事を退いた老人が、あり余る時間を有効に使うべく社会奉仕に精を出していた、と解すればいいようだが、何か引っ掛かる。ホテルで部屋にいても仕方がないので、金のかからない方法で無聊を慰めていたようにも感じられるのだ。暇潰しが目的で、他人を喜ばせたり感謝されたりするのは、ほんのついでだったかのようだ。はたして本当はどうだったのか、真意を本人に訊くことはもうできない。
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