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大人とは見えないものを想像できる人のこと

「大人になっても挨拶をしても仕返さない、年相応の身だしなみをしないなどの社会の風紀の乱れが昨今目立つ。これについてあなたの意見を書きなさい。」

という課題の小論文に答える夢を見た。夢だったけどもやもやした。「大人」ってなんだろう?「年相応」ってなんだろう?

特別支援学校の中学部で働き始めた頃、こんなことがあった。音楽のピアノに合わせて体を動かす活動で「大きな栗の木の下で」を題材に扱った先生が学年主任の先生から注意を受けた。相手は中学生なんだからもう少し年相応の選曲をしなさいと。それを聞いたまた別の先生は、自分の学級の生徒の食への関心を高めるために当該生徒の好きなアンパンマンの食器を使っていたのをやめてしまった。まだ若かった私は人権尊重の観点から年相応のものを与えることは大事なことだと肝に命じた。

大人であるということは人の見えない事情を想像する力のある人のことだと思う。挨拶をしても返してくれないのであれば相手を非難する前に、自分に言われてると思わなかったんじゃないかとか、聞こえ方に不自由のある人だったんじゃないかとか考えられること。社会から求められる身なりをすることで苦しむ人もいる。着たくない類の衣類のために自分の着たいものを買うお金がなくなる人、本当は女子の制服が着たい男子。服装に「らしさ」を設定すること自体が人権尊重に反する。

人を変えようとする前に自分が想像しようとする大人がいっぱいの社会になれば良い。「らしさ」のレールを歩ける人だけが成功する社会じゃなくなれば良い。


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