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居眠り猫と主治医 ⒑自覚する猫 連載恋愛小説

あのときと同じように向かいあっているのに、感情が180度変わってしまい動揺が抑えられない。
「自分にエサはやらないのに、鳥の世話はていねいですね」
問題はないとのことで、いくぶん肩の力は抜けたものの気後れし、文乃は祐と目を合わせることすらできない。

「よかったです。…あの、その節はお世話になりました。先生はその後、
お風邪など召されていませんでしょうか」
ブッと吹いた彼は、すぐさま無表情に戻す。
拾ったはずの猫が脱走した。抱き枕も消えたから、睡眠の質がガタ落ちだと恨み節。

「脱走て…そのうち、ふらっと帰ってくるんじゃないですか?」
「早くして、つっといて」
これはどういうことだろうと混乱しつつ、検査の合間に仮眠室に呼び出される。

***

何も言わず軽く両腕を広げるので、操られたように文乃は一歩踏み出した。
大切なものを扱うみたいに、そっと抱きしめられる。
ゆったりと呼吸ができて、今すぐにでも眠りに落ちることができそう。
この安心感は異常だ。逆に不安が募ってくるレベルだった。

そうしてしばらくじっとしていたが、さすがに切り上げないと見つかってしまうと、ひとりで焦る。
「え…と。今晩おじゃましても…」
返事のかわりに、すくいあげるようなキスをされた。
正式な初めてのそれが、彼の勤務時間中とは想定外すぎた。

***

その後、緊急手術が入り約束はキャンセルになった。
連絡を受けたとき、自分のペットだったらと連想して文乃は軽いパニックに陥った。
がんばってはちがう気がするし、どう声をかけていいかわからずグルグル考えた末に、私も祈ってますとだけ伝えた。

動物が好きで救いたいと就く職業だが、逆説的に死をさけては通れない。
獣医学部では解剖が必修だったり、苦痛軽減のため安楽死を選択せざるを得ないこともあったりと、想像を絶する葛藤があるのだろう。

飼い主に対しては安心させる口調を貫き淡々と処置をこなせるのは、日頃から感情移入しすぎないよう努めているからなのかもしれない。

***

患者を代表し、文乃は心を込めて感謝の辞を述べる。
「お疲れさまです。というより、ありがとう。頼りにしてます、夏目先生」
交通事故に遭ったワンちゃんが近々家族のもとに戻れそうだと聞いて、安堵あんどのあまり力が抜けてしまった。

「なんか今、スマホ落とした?」
「いえ、まったく。ぜんぜん大丈夫です」
音が途切れたので、壊したのかとひやりとする。
「会って顔が見たい」

(つづく)

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