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便利屋修行1年生 ⒕厳戒態勢 連載恋愛小説

「本上には、しばらく消えてもらう」
3日ぶりに顔を出した朝ミーティングで所長に告げられたのは、ドッキリか推理ドラマのような、ものものしく芝居がかったセリフだった。

意味がわからず、綾は口を閉じ忘れそうになる。
「え…と。それは、マジックショーのサポートかなにかで?」
なんでも屋だから、なんでもありえる。それにしては、空気が重いような…

「綾ちゃん、狙われてんのよ。田代映美えいみの元ストーカーに」
秋葉に目を向けると、彼は真面目な顔でうなずいてみせた。
「冗談ですよね?だって、美女に乗りかえたんじゃ…」

「単純に、映美よりも好みだったんだろ」
沢口は、感情のない一本調子で分析する。
「一過性かもしれないから様子を見てたけど、現に住所が割れた」
そういえば、届くはずだった郵便物が紛失したことがあった。
「あの…虫の死骸も届いたことあって」
「は?なんでなにも言わない」
「実害はないかなと」

証拠は破棄せず保管することや、あやしいできごとは逐一報告することなど、指導を受ける。
映美の件で、犯人の名前や住所を特定できていたから油断していたと、所長は嘆く。

***

最近は現地集合が多かったおかげで、調査員だとはバレていないようだった。ホテルに避難しろと言われても、綾にそんな余裕はない。
「俺が預かってもいいけど。ミイラ」
表情も変えず沢口がそう言って、全員が彼を見た。
ミイラ取りがミイラになった、ってことか。ブラックすぎて、笑えない。

「こらこら、こわがらせてどうする。よっしゃ、ここは雇用主がいっちょポケットマネーで…」
困ります、と綾は丁重に断った。
これ以上、迷惑をかけたくないし、長引けばお金を返せなくなる。
苦肉の策で、事務所の2階にお世話になることが決まった。

***

今回の件で、履歴書に書いた実家の電話番号がデタラメだと知れてしまった。せめて、市外局番くらいは本物にすべきだったか。
「すみません。母とケンカしてて。居場所知られたくなくて、つい」

「信用できないわけ?ほかにも隠してることあるだろ」
「まーまー、絡むな絡むな」
だれでも事情のひとつやふたつあるものだと所長にたしなめられても、沢口からは苛立ちの波長が伝わってきて、ヒリヒリした。

有給期間中は尾行されていたこと、さらに護衛に人員を割くと聞かされて、綾は驚愕きょうがくする。
「仕事回らないんじゃ…」
「あー、ウチ予備兵いんの」
ホットドッグをかじりながら、秋葉がのんびり言う。

実動部隊は目に見える3倍は在籍しているとか。
バーベキューのときだけ人数が増えるカラクリが、これでわかった。
「今どきスマホで事足りるしね。事務所来る必要、とくにないし」
もはや感覚がマヒしてきた。
なぜ自分が採用されたのか、ますます不可解に思えてくる。

***

久々に部屋に戻ると、あれこれしたくなった。
まず、窓辺でひとり、主人の帰りをじっと待っていた彼に話しかける。
「多肉ちゃんのお世話していいですか。あ、換気も。あと、シャワー…」

目が合って、気まずくなる。仕事中の沢口に出ていけとも言いづらい。
「どうぞご勝手に」
彼はベランダに出てあくびをし、柵に寄りかかる。
綾はとりあえず冷蔵庫からペットボトルのお茶を出してきて、押しつけた。

業務外のわずらわしい任務に巻き込んでしまった。
沢口の時間を、これ以上奪うわけにはいかない。
普段より短めにシャワーを切り上げ、素肌でもOKのファンデですっぴんをごまかす。そのへんのワンピースをかぶり、着替えを詰め込んで完了。

「できました」
黙って観察されること、数秒。
「濡れてるけど。髪」
さらにテンパってしまい、ドライヤーを床にゴトリと落っことした。
よく足の上に落ちなかったなと、しばらく放心する。

ため息とともに室内に戻ってきた沢口が、ソファを指差す。
なんの気まぐれか、髪を乾かしてもらう流れに。
「……弟とか妹います?」
「世話の焼ける後輩ならいる」
「面目ない」「武士か」
乾いた笑い声が、好きだなと思う。

(つづく)

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