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幸せになるまでに要する時間[奇跡講座]



幸せになるまでに要する時間について


アドラー心理学をほんとうに理解して、生き方まで変わるようになるには「それまで生きてきた年数の半分」が必要になる。

岸見 一郎; 古賀 史健. 嫌われる勇気 (Kindle の位置No.3100-3101). . Kindle 版

何度も読んだことのある、岸見 一郎先生の名著「嫌われる勇気」に出てくる1節である。この文章を初めて読んだとき、大きく落胆したのを覚えている。自分の場合、当時30歳手前だったので、45歳になってようやく生き方が変わるというので、それも当然の話だ。

この著書では、本質的な幸せを追求する方法を紹介している。自己受容や課題の分離など、日々の生活を送る上で、すぐに実践できる内容が多く、多くの方々に影響を与えたのではないかと思う。それだけに、著書を読み進めると、「自分もこれで幸せになれるんだ」という期待も膨らみ…。

最後の章(第五夜)で、上の引用文が出るのである。「生きてきた年数の半分」をかけて取り組まないといけない。え…、そんなにも掛かるの?と。

この著書の読者の大半は、人生に悩みを抱え、より豊かで幸せな人生を求めているのだと思う。つまり、それだけ辛い人生に何かしらの変化を見出したいのではないだろうか。それを、十数年(または数十年)の努力の果てにようやく掴み取ることが出来る、と言われたらその落胆も納得がいくのではないだろうか。

続いて、奇跡講座で述べられている一説を紹介する。

あなたが感じる落胆のごとく知覚されるものの源の一つは、「 これ(生き方が変わる)には時間がかかるので、聖霊の教えの成果が現れるのは遠い将来のことだ」というあなたの信念である。

ヘレン・シャックマン. 奇跡講座 上巻 (p.649). 中央アート出版社. Kindle 版

奇跡講座は、生きてきた年数の半分どころか、時間を要することを否定する。もちろん、それは簡単だという話では無い。なによりも、強い意欲を必要とする。シンプルだが、とても難しい。なぜなら、それは潜在意識に染みついた思い込みや感情を真っ向から見つめるだけの意欲を求められるからである。

しかし、奇跡講座はその強い意欲さえあれば、時間を短縮して、多くの気付きや癒しを得ることが出来るとしている。

※この記事では、アドラー心理学よりも奇跡講座の方が勝っているとか、劣っているという事を述べるのではなく(実際、どちらも私の人生には多大な影響を及ぼした素晴らしい書籍という認識)、単純に作者が「嫌われる勇気」と「奇跡講座」の両方を実践して感じた「時間」の捉え方について述べている。

取り組む主体によって、要する時間は変わる


アドラー心理学と奇跡講座の違いは何なのか。
なぜ、一方は生きてきた半分の年数を必要とし、一方は時間を短縮できるのか。

一言にまとめると、それは取り組む主体の違いだと言えるのではないだろうか。

アドラー心理学で取り組む主体は、あくまで私(自我や肉体としてのわたし)であるのに対し、奇跡講座で取り組む主体は私(同じ私だが、聖霊としてのわたし)なのだ。ここでは、言葉は重要ではないため、聖霊でなくても、ハイヤーセルフや、魂、超自我などでもなんでも構わない。

自我として取り組むのか、聖霊として取り組むのかの違いが、二つの間の決定的な違いだ。自我として取り組むなら、例えば、長時間に及ぶ瞑想を何年も続けた果てに得られる平安のように、血のにじむような努力を要する。それこそ、チベット僧並みの修業が必要になるのだろう。

また、実際に「嫌われる勇気」を読み、例えば課題の分離を実践してみたとする。本を読んでから1,2週間なら実践は可能かもしれないが、それ以降はいつもの自分に戻っているのではないだろうか。ちなみに、わたしの場合はそうだった。

それに対し、奇跡講座は聖霊を通じて体験する聖なる瞬間(平安)は、その意欲さえあれば瞬時に訪れるとしている。ちょっと分かり辛いので、以下を引用する。

聖なる瞬間とは、自我による裁きの「 非神聖な瞬間」が、赦しにより訂正された瞬間のことであり、聖霊に助けてもらいながら自分の罪悪感を取り消す体験のこと。

これはつまり、常識や判断を超えた聖霊という存在によって、物事を見ることによって、自我としての信念は取り消されるということだ、と思う(汗)。

聖霊は時間を超越するので、時間に束縛されることがない。自我でどうにかしようとすることは、途方もない時間がかかるが(上の例のように)、時間を超越する聖霊であれば時間を短縮することが出来る、というのだ。

良く分からないが(良く分からなくても良いんだけど)、私はこれを読んだときにとても勇気付けられた。

自分の心がそれほどすっかり変わるにはどれほどの時間がかかるのだろうと 考えて、気落ちしそうなときは、「 一瞬とは、どれほどの長さだろうか」と自問してみなさい。あなたは自分の救済のために、そのわずかな時間でさえ聖霊に捧げることができないのだろうか。聖霊はそれ以上は求めない。それ以上の必要はないからである。

ヘレン・シャックマン. 奇跡講座 上巻 (p.654). 中央アート出版社. Kindle 版

赦すためにきわめて重要なこと


癒しを実践するうえで、奇跡講座は次の事を言っている。

きわめて重要なことは、自分は何も知らないと学ぶことである

ヘレン・シャックマン. 奇跡講座 上巻 (p.649). 中央アート出版社. Kindle 版

わたしたちは、これがどういった原理で行われているかを知る必要はない。それは、ただ起こるからだ。それを私は言語化出来ないし、もし仮に言語がしている書籍があれば、それは既に話題となり全世界の人々に読まれていると思う。いまだにそれが無いという事は、それは言語という具体化するための道具を超越するからだ。

何事においても学ぶ上で重要なことは、自分の無知を認めることではないだろうか。例えば、中途採用者が入社して、「私はこれもあれも知っているから、学ぶことはない」という姿勢の人が、その職場で新しい知識をえられるだろうか。

ましてや、超時的な現象で科学的に証明できないことを、「私はそれが存在しないと知っている」と、言語化できないが為に、受け容れずにそれを学ぶことが出来るだろうか。

その為、それを知る必要はなく、ただ必要なのは以下のとおりである。

あなたが救済を神の計画に全面的に任せようとする意欲をもち、自分自身 で平安をつかみ取るようなことはしたくないと思うなら、救済はあなたに 与えられるだろう。

ヘレン・シャックマン. 奇跡講座 上巻 (p.666). 中央アート出版社. Kindle 版.

自分は知っていると考えてはいけない。自分の基準で判断してはいけない。物事の本質はそのようにしては見ることが出来ない。それを自分でつかみ取れると考えているのでない限り、癒しは既に達成されているのである。


幸せになる為に、やるべきこと


ただ、静かになりなさい

自分は誰か、神とは何か、といったすべての想念 これまで学んできたこの世界についての一切の概念、自分について抱いているあらゆるイメージを脇 に置きなさい。

あなたの心が、真実だとか偽りだとか、よいとか悪いとか思っているすべて のもの、価値があると判断する想念、あるいは恥じているすべての概念を 取り去り、あなたの心を空にしなさい。

〔 W-pI. 189. 7: 1-8: 4〕

自分で判断し続けたい間は、そうすれば良い。ひとそれぞれ、自由に選択することが出来る。でも、静かにいることの強大さを知れば、誰もがそこに留まりたくなるのだろう。



わたしは、今日も静かにします(周りは車やら、歩行者やらでごたごただけど)。

最後まで読んで頂き、ありがとうございました。

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