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登場人物がまるで違うんだから、同じ話になるわけがない


 こんにちは。九州はもうだいぶ暑い。まだ5月なのに⁇これ、大丈夫⁇夏大丈夫⁇と不安になっているアラフォー妊婦(食べ過ぎ、太り過ぎ)の私です。

 暑いから、早くも犬にはクールネックを巻いている。クールネックを巻くと一気に眠くなるようで、秒で寝る。これを我が家では『クールネックネムネム』と呼んでいる。

 さて、本題だが、仮に100%同じ状況に置かれたとしても、登場人物が違えばその後の展開は180度変わる。というか、同じ展開になるはずがない。だって人物が違うから。

 例えば、ルフィの性格が臆病で内向的だったら。ゴムゴムの実を食べてしまったとしても、海賊王を目指す展開にはならないだろう。だって臆病だから。そして内向的だから。海賊王になるだなんて、頼まれても引き受けないはずだ。

 例えば、虎に翼の主人公虎子が、『愛する人の子を産み育てることこそが女の幸せ』と強く思う人物だったら、大学に進学して法律を学び弁護士になる道を選ぶことは決してなかっただろう。仮に全ての条件、環境が同じであったとしてもだ。考え方がまるで違うんだから、行動が違うのは当然すぎるほどに当然だ。

 私は、子育てに専念して専業主婦になること、自分の所得がない状態が続くことがとてもとても怖い。このままでは良くない、なんとかして働かなければとつい考えてしまう。

 が、なぜそうなのか。なぜそう考えるのか。そこをじっくり考え紐解いていくと、自分の中の潜在意識というか強迫観念というか、そういうものに気付く。

 『職がない、所得がないと結婚生活が地獄でも逃げられなくなるから』


 これに尽きる。私が自分の足で立っていたい、経済的に自立していたいと考える所以はこれだ。そしてこの一種の強迫観念は自分の両親の(私からみて母の)結婚生活が到底幸せには見えなかったことに起因している。

 父はモラハラだ。母を奴隷のように扱い、見下し、蔑む。そしてその自覚がない。父の母(母の義母、私の祖母)が母をイビる時、一緒に母をイビる。そういう人間だった。母はそんな地獄に耐えて耐えて私達兄弟を育てていた。

 私は幼い頃既に気付いていた。母がこの環境から逃げない、逃げられないのは彼女に経済力がないからだと。そしてなぜ経済力がないかと言えば、時代的な背景はあるにしろ、彼女自身が経済力をつけるべくして学ばなかったからだと。学生の頃、経済的な自立を勝ち取るためにという視点で学ばなかったからだと。

 だから私は机にかじりついて勉強した。同じクラスのバカな女を見下して軽蔑していた。『女は一生働くわけじゃないし、別に勉強なんか適当でいいじゃん』と平気で言うようなバカな女が大嫌いだった。『就職しても結婚したら辞めるし、別に就職なんてなんでもいいじゃん』と平気で言うような女が一番嫌いだった。

 が、結果、私も今そうなっている。頑張って勉強して女が1人で生きていくのに困らない資格と仕事を手に入れた。私が軽蔑していたバカな女が時給1000円で死ぬ気で働いても到底稼げない額の年収を手に入れた。銀行で融資してもらえないとか、奨学金が返せないとか、そんな惨めな思いとは無縁の仕事を手にした。


 が、今は仕事もない。続けられなかった。無職の専業主婦。おまけに40まで大手。なかなかに崖っぷちだ。

 ここで、本題に戻る。『職がない、経済力がない女は地獄の結婚生活から逃げられない』私が幼少期からずっと抱えてきた価値観、強迫観念だが、果たしてこれが今の私にもあてはまるのだろうか?

 まず私の結婚生活は地獄ではない。モラハラ旦那もいないし、人格が壊れた義母もいない。現在の私は確かに経済力はない。が、仮に働きたいなら資格を使って仕事に就くことはおそらく容易である。そして、何かの拍子に私達の結婚生活が地獄に変わったとしても、その状態から逃げないという選択を私は多分しない。秒で逃げる。というか戦うだろう。人権を無視されるようなことになれば、一文無しであれ離婚するだろう。


 そう、登場人物がまるで違うのである。私が恐れている事態は起きない。仮に全ての条件が同じになったとしても、私は母のような選択は絶対にしない。

 だから、この強迫観念はもう捨てていい。そんなことに気付いた39歳の5月。

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