不安と共生することについて② 終
お疲れ様です。
ここまでご一読下さりありがとうございます。
私も真剣に考えてみる事を続けます。
今ある不安は、既存の不安の上書きの結果であり
今の不安も未来の新しく生まれる不安に更新される事で消えていく、その為解決コンテンツは不要というのが私の考えです。
ではどうすればあの不安な時間(ほんと苦しい時間と押しつぶされる絶望感)と共生できるのでしょうか。
答えは、不安がない人間について考えてみることがスピリチュアルに頼らない思考方法だと考えてみました。
すみません。スピリチュアルを嫌いなわけではありません。むしろ安易にハマっていた若い時代がありました。スピリチュアルと私の話は次の機会にして話を戻します。
みなさんまたひとつ問いかけです。
なぜ、お金持ちにも不安はあるのでしょうか。イケメンや美人、人気なインフルエンサーにもなぜか不安はあると私たちが想像できるのはなぜでしょうか。
私は不思議でした。年収が高ければ、今の私の様な将来や転職の悩みは小さくなるはずです、しかし医師や弁護士、タレント、ハリウッドスター、なんでも良いですがお金があるといわれる方々は地位がある事、年収がある事が人生の安心には実は直結ていない様なのです。この不思議な真理に私は不安は生きる為の生物上の生存戦略であり
本能的に真の安定は無いと知っているからではないでしょうか。
人間はその環境において悩む様、不安になる様に
デザインされており、相対的な第三者評価に関係なく、際限なく悩む事ができる。
今生きる私たちにとって不安は悪であり、悩む事にいたっては過剰にコスパを求められる時代だと思います。
そして長くなりましたが、不安がない人間について考えた時、その様な人間はいないという事になります。
じゃあ何も変わらない。ただの言葉遊びかよ、気の持ち様かよーと思われるかと思います。(そこに私も逃げたくありません。)
問題は不安、悩む事の時間的程度のコントロールと、未来の自分との距離感が大切かと思います。
現在は未来は続いているを前提としてみます。
そうすると、
1 未来には新しい更新された不安を抱えた自分が存在している。
2 その自分もまたその先の未来の自分がいた場合、それが続く限り不安の更新は続く。
3 時間が流れた未来には当然全く変わり果てた(老化)自分と周りの人間たちが存在する。
4 そして123の前提条件はあるとしても未来は読めない。予測も確定ではない。
そろそろ答えに近づいてきました。
ここで5つ目の条件を追加します。
それは、
私たちは一見裕福な人たちも同じ様に個人として不安や悩みを持っていると想像でき、またその様に認知している(割と確信的なレベルで本能的に。)という事です。
彼らの持つコンテンツ(所有している物、ルックス、ネットワーク、ステータス)には惹かれますが、彼らの悩みや不安には私たちはそれを享受したいとは全然思いません。
この12345を強く認知する事がスタートであり
ゴールでもあります。
未来の自分もどうせ悩んでいる。しかも更新され続ける不安を頼りに。そしてそれの連続が現在の自分を同じサイクル上にはなりますが、今の時間に存在させている。過去の問題を解決した形を内包してです。
これは(SFっぽくなります)が時間と自我形成構築のシステムの関係性の賜物ではないでしょうか。
生きてるだけで丸儲け。
のほんとの意味でしょうか。
生きてる事だけ、それ自体が、私たちの強い良心的評価があり、あらゆる物語の中で最後のよりどころになるのはなぜでしょうか。
それは不安自体を排除する事をビジネスモデルにした、一連の不安ビジネスになぜか本能的に、きな臭く、嘘と感じるのを土台にして始めて感じる
私たち人間が持っている生存力ではないのでしょうか。
さあここまで書いて解決策は無事ありません。
更新する不安や悩みに共生している事自体が解決であると言う考えです。
努力や能率、そこへの投資がビジネスになり
レベルアップが解決策となるというアイデアは正直苦しい感じがするので考えてみました。
だって私が20代の時にも同じ様なコンテンツが売られていたんです。そして40代になると、その年齢に合わせた不安コンテンツが売られているんです。50代になれば?みなさんもお分かりになるでしょう。
好きな事を頑張る。
仕事を一生懸命する。
それだけでなく、
いやそれを捨てても
新しい更新された不安と共生しながら
楽しい事を見つけて行きませんか。
どうせ死ぬ日まで悩む程度の事です。
悩む事、不安を無くす不安ビジネスから離れて
共生の中にみなさまの小さな安らぎがあります様に。
そっか、じゃああんま悩まなくてもいっか!
ほっとしたとなれば幸いです。
ではでは
また読み直して更新ししますね。
よろしくお願いします。
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