今日、「あ、あの人、僕のことをバカにしたような嗤い方をした」と思い、嫌なきぶんになった。真実はどうかはわからない。でも、「バカにされた」と思ったのは事実だ。バカにされるようなことをしたかどうか。人間の行動は解釈一つでどうにでもなる。心当たりはいくらでもある。ただ、嫌な気分になった。
では、私自身が人を馬鹿にするような嗤い方をしたことがあるか、というとあるし、むしろ人より多いと思う。だから、人に馬鹿にされたくないという思いがたくましいのだろう。ブーメランだ。人に嫌な思いをさせている報いだ。
 では、このような嫌な思いを減らすためにはどうすればいいのか。
 方法は二つ。
 一つは、バカにされてもいいように、強靭な精神を持つことだ。バカにされても「なにくそ、今に見ていろ」と仕事に励み、成果をもって見返すことだ。これには欠点がある。体力の消耗が激しいということだ。相手の感情に一喜一憂して働くことは、仕事にむらが出てしまい、エネルギー効率が極めて悪い、圧倒的な成果が出るかもしれない反面、下振れもまた大きくなる。しんどい。
 もう一つは、人を人と見ないことだ。言葉は悪いかもしれない。ただ、所詮、職場での人間関係、何かを期待する方が間違いだ。仕事に集中し、うるさい外野をシャットダウンするのだ。もちろん、私自身、人を馬鹿にすることはない。どうなってもいい人間がバカなことをしようが何しようが、苦しむのはそいつだ。相手にするだけ無駄だ。そういう腹積もりであれば、イラつくことも減るだろう。相手に少しでも良くなってほしいと思うからこそ、感情がぶれる。「どうなろうが知ったことではない」と割り切れば、無関心になれ、仕事にも集中できる。

 結論は、人への関心をなくすこととなった。人によって態度をかえることは、人から嫌われる態度あるあるだ。
 誰に何を言われようが何をしようが、徹底的に無関心となることを、ここに決める。

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