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フィールドノート群馬県大泉町の「六月の祭り(フェスタジュニーナ)」の調査報告(2018年7月)

1.はじめに

 「六月の祭り(フェスタジュニーナ)」は、ブラジルの祝祭暦で最も活気あふれる伝統行事のひとつともいう[ニウタ:131]。また、その重要性はクリスマスやそれに関連する諸行事の対になるほどである。起源は夏至を祝う土着の祝祭で、豊穣を祈るものであった。その後、そうした夏至の祭りがキリスト教に取り込まれ、聖人の祝祭日と混じりあった。そのため、六月の祭りは、結婚の聖人とされる聖アントニオ(6月13日)、祝祭の聖人である聖ジョアン(6月24日)、そして雨の聖人である聖ペドロと結びついて、6月中続く。六月の祭りは一日で終息する祭りというより、正月やお盆のように一定の期間にわたり祝われるものである。ただし、現在は聖人に結び付けられるような宗教的な意味合いはほとんどないという。ブラジルではとくに都市部の大イベント化しているとされる。

 こうした六月の祭りは日本各地でも祝われている。とくに、盛んなのは群馬県南部で、邑楽郡大泉町や太田市ではこの時期、毎週のようにそれぞれの集団で六月の祭りが催される。2018年では6月24日(日)に大泉町のいずみの森公園でAフットサルクラブが、29日(日)には太田市のブラジル人学校B校が、7月15日には大泉町のブラジル人学校Cと、やはり太田市のブラジル人学校D校が六月の祭りを催した。

 本稿は、このように日本で催される六月の祭りの具体的諸相について報告し、特徴を述べる。言い換えれば、群馬県南部のブラジル国籍をもつ住民がどのように六月の祭りを催し、そこで何が行われているかを描写している。

 今回は、大泉町に本校舎があるC校で、2018年7月15日(日)に行われた六月の祭りについて報告する。

2.調査対象

 調査対象となるC校は、2002年に設立されたブラジル人学校である。ブラジル人学校とは、ブラジルの教育プログラムに基づき、日本で教育を行う施設である。基本的にはブラジル国籍児童を対象としている。託児所から日本の高等学校までの教育を担う場合もある。現在、多くの学校がブラジル教育省の認可を受けている。その場合、ブラジル国内での進学などでは十分な資格として通用する。そのため、日本での大学進学の入学資格としても利用される。また、近年では、日本で各種学校の認可を受ける学校も増えており、ブラジルと日本のどちらでも進学できるようなシステムを作っている。

 C校の場合、託児所施設も含め、日本の幼稚園、小学校、中学校、高等学校にあたる教育を担っている。資格を持つブラジル人教員がクラス、授業を担当し、ブラジルから輸入した認定を受けた教科書で教育を行っている。在学者数は80名程度と考えられるが、日本の学校に比べて学校間、地域間、国家間の移動が比較的激しいため、正確な数はわからない。

 なお、今回の調査では、意識的なインタビューなどを行っていない。参加者として祭りに参加した。ただし、生徒たちの出し物などはビデオに収めている。

 また、筆者は2006年から2016年まで同校で日本語担当者としてフルタイムで勤務し、日本語教育のみならず、学校行事に逐一参加してきた。そのうえで、インタビューのない、調査が行われていることを付記する。

3.会場

 13時45分ごろ、C校に到着した。C校の校舎の入り口にフェスタジュニーナの開催の看板があった(看板の写真を撮り忘れる)。敷地に入って駐車場に入って、車を停めた。この時間になっても駐車場には10台ほどしか、車がない。しかも多くの人がエンジンをかけたまま、車の中にいる。調査地は、北関東でも夏の気温が高い、熊谷市や館林市に隣接している。当日も40度近くになる暑さだった。車の中にいる人は、祭りが始まるまで涼んでいるつもりのようだ。

写真1.生徒が作成した地図(著者撮影)
写真2.舞台の様子(著者撮影)

 駐車場を抜けて、敷地に入る。敷地内で最初に向かうのは学校事務所である。事務所には誰もいないようだ。やがて事務所とつながるレクリエーションルームの外壁に大きな地図が見えてくる。地図は生徒たちが描いたものである。地図には国旗と説明書きがある。facebookのページで今回の六月の祭りにはテーマがあるとあった。それによれば、「五大陸os continents」とある。地図はこのテーマに沿ったものである。

 さらに進むと、正面には舞台が見える。舞台の右には屋台がある。屋台といっても、C校に通う生徒や保護者が手伝うものだ。生徒が中心となる屋台では、飲み物と軽食を売っていた。飲み物は、ミネラルウォーターやガラナ、レモナードがある。食べ物はホットドッグとジュースを冷凍してつくった氷菓子がある。氷菓子はマラクジャ、ココナッツなどがあった。それとは別に、保護者がソーセージ、漬け込んだ牛肉などの串焼き、そして焼き鳥を焼いて、売っている。


写真3.屋台の一部 


写真4.文化祭のタイトル画

 一方、舞台の左手には、今回の六月の祭りを示すデザイン画が置かれている(図4)。ところが、そこには六月の祭りとない。タイトルは「第二回C校文化祭」となっている。Facebook上では、六月の祭りとあったが、少し異なっている。ここには学校側の意図があるようだ。第二回とあるように、昨年度からC校は六月の祭りではなく、「文化祭」という名前でこの期間に祭りを行っている。昨年度の調査によれば、教育的効果を考えた結果だと言われている。具体的に言えば、すでに日本生まれのブラジル人生徒、しかもブラジルを訪れたことすらない生徒が増えているなかで、ブラジルの伝統文化といえる六月の祭りだけでなく、より広い視野から自分たちを見直してほしいという考えからのようだ。昨年は、自分たちの文化的起源としてのブラジル各地の芸能を披露している。今年は、加えて世界全体に目を向けることをテーマにしている。そのため、いわゆる六月の祭りとは異なった印象を受ける。

 というのも、六月の祭りは夏至を祝うもので、火を焚くことが伝統としてある。C校でもかつては火を焚くことはしなかったが、代わりに紙で作った焚火の模型をおいていた。前回以降、そうした焚火は全く置かれていない。ここでは六月の祭りの主要な要素を失っているようにみえる。それは服装にもみえる。六月の祭りは農村の祭りともされ、数年前にC校で行われた際には、格子模様のシャツに短パン、そして麦わら帽子、それから顔にはひげを書き入れるなどしていた。しかし、現在は仮装する生徒がいない。

 ところが、六月の祭りらしさが全くないわけではない。たとえば、図4にはデザイン画の上空に旗がたなびいている。旗は赤、青、黄、緑で、先が三角に切られている。この旗もまた六月祭り特有の飾りとなる。

 また、デザイン画の向かいにある普段教室として利用されている建物も六月の祭りの影響が反映されている。ここはこどもたちのためのゲームコーナーとなる。入口のほうから、魚釣り(ぺスカリア)、ピンボール、ピエロの口(ボッカ・ド・パリャッソ)、輪投げと並ぶ。

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