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ディオゴ・ド・コウト~大航海時代の忘れられた歴史家~

私の専門は歴史学です。研究はおもにポルトガル語圏の歴史を対象としたものになっています。なかでも、いま(2023年2月現在)もっとも関心を寄せているのが、ディオゴ・ド・コウト(1542年~1616年)という歴史家です。

ディオゴ・ド・コウト

ディオゴ・ド・コウトは、ポルトガル文学やポルトガル史で重要な人物ですが、日本語の文献で紹介されることはかなり少なかったと思います。

日本語の一般書でコウトについてそれなりに解説しているのは、ボイス・ペンローズ著『大航海時代―旅と発見の二世紀』(ちくま学芸文庫)くらいだと思います。ポルトガル史の概説書でも紹介はないと思います。

ちなみに、ペンローズの『大航海時代』は大航海時代に関しては古典といえるでしょう。原著が1950年代に、邦訳が1985年に出版されています。したがって、同書が扱う15世紀から17世紀までの二世紀に関する歴史的記述は古めかしく感じられることもあります。

もっとも、大航海時代についてまとまった記述を簡潔に読めるのはなかなかありませんし、第17章の大航海時代に関する文献解題は研究に興味がある人なら一度は読んでいていい部分だと思います。ポルトガル語、スペイン語、英語、フランス語、ヨーロッパの様々な言語による旅行記や年代記の世界に触れることができます。

さて、その『大航海時代』のなかで、ペンローズは、コウトを「17世紀になってから世に問うべき古典的な年代記作者・史家型に属する一人の大作家」と書いています。

コウトの著作でもっとも重要なのは、『アジア史(十年記ともいう)』です。『アジア史』は、15世紀にはじまるポルトガルの海外進出、とくにアジアに進出する過程を年代ごとに記した歴史書で、全13巻になります。

この『アジア史』、現代の歴史家にとっても重要な著作物なのですが、当時においても権威の高いものであったに違いありません。というのも、『アジア史』は王室からの許可を受けて編纂された歴史書で、さらにコウトの場合はゴアの文書館長の座にあって編んだものなのです。

ところで、『アジア史』の執筆者としては、ジョアン・デ・バロスが有名です。バロスは、コウトの前任者にあたる人物で、1420年から1538年までのポルトガルによる海外進出の歴史を執筆しました。

バロスは偉大な歴史家のひとりと目され、ペンローズは「総ての面でバロスの『十年記』は壮大な傑作であり、これまで(短い数節を除いては)英語に翻訳されたことがないのは、まったく理解苦しむ不幸と言わねばらならない」とまで言っています。

コウトはそのバロスの後継者でした。コウトは『アジア史』の第4巻から12巻までとその大部分を完成させています(このあたりもう少し複雑な状況がありますが、今回は割愛しておきます)。第4巻から12巻まではおおむね1520年代から17世紀はじめまでをカバーしています。

また、コウトは、『アジア史』以外にも、ヴァスコ・ダ・ガマやパウロ・デ・リマ・ペレイラなどの伝記、そして『老兵の対話』など、いくつもの著作を生み出しています。

こうした著作のうち、私がコウトに関心を持つきっかけとなったのは、『アジア史』と『老兵の対話』でした。これらは同じ著者の作品なのですが、立ち位置がまるでちがっています。前者は正式な歴史書、いわば正史の体裁をとり、後者はその内幕を暴くような裏面史を扱っているのです。

そのちがいはコウトの反骨精神というか、かれのキャリアと大きく重なってくるものなのだと思っています。ですから、いずれの著作を読む際も、当たり前のことですが、コウトのことをよく知る必要があるわけです。

今回はこれくらいにして、いずれコウトについてわかっていることを少し書いてみたいと考えています。




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