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死についての思索(31)---芸術的人間は生命の逸脱者である

今日も私は正直に語らねばならぬ。
正直に語ることは、本当にむつかしいことだ。
「私は、どうやって、いつ、どこで、だれと、死ぬのだろうか?」
ということは、私にとって一番重要な問題である。

そして、もちろん、死の問題は、あなたにとっても重要な問題であるはずだ。なぜなら『あなたも、いつの日か、どこかで、だれかと、どうにかして、その、死、を跨ぎこさなければならない』からである。

私は、死についての問題を過去の文章を引用しながら、加筆的に思索する。
そうして、いわば意図的に、過去の自分を否定的に批評しながら、更なる思索の深みへと向かって、その、在っている、を更新させてゆく。

『加筆とは、人生の方法である。加筆的人生とは、われわれの大半が所有するであろう。われわれは更新をやめられぬ存在者である。われわれは我々自身に対して常に批判を行う主体である。われわれは我々自身を非難はできぬが批判を行うであろう。非難は自己に対する占領であるという点において不可能である。批判は自らにおいて道を切り開く意欲を発見するという点において合理的な視線である』

『死は現実の消滅ではなく、現実の生産であるといわねばならぬ。一つの死が行為されるとは一つの形態の生産でなければならぬ』

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