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ナビの闘病日記 その1


63歳で役職退職になるのを機に、今年度をもって退職することにした。年度終わりは3月31日なのだが、3月10日をもって全ての業務を終了した。いわゆる有給消化なのである。それほど単純なものではないにしろ、モーニャン(妻)とナビと過ごす楽しい時間が、少なからず増えることは間違いないと、心がはずんだ。

休暇に入ると、まずはオデッセイを車中泊仕様にするために、ホームセンターで材料を買い込んで、一日中、ノコギリと電動ドライバーを片手に加工作業に没頭した。

完成後の初車中泊は昨年から気に入っている淡路ハイウェイオアシスに決めていた。近隣に温泉もあるし、食事や買い物の施設も充実している。何といっても家から近い。

そして、その後は少し遠出をして、富山県の氷見に行く。富山湾の向こうに見える立山連峰と、充実した施設が隣接する道の駅「氷見」での一泊である。翌朝は、近くの氷見港にある食堂で海鮮丼を食べる。この一杯の海鮮丼のために氷見まで車を走らせているといっても過言ではない旨さなのだ。

<この場をお借りして、今回の能登半島地震で被害を受けた方々が一日も早く平穏な日々を取り戻すことができますように、心よりお祈りいたします。>

2020年9月 比美乃江公園にて

2023年4月8日(土)

ナビの診察に動物病院を訪れた。彼女は皮膚が弱く、中でも耳の炎症を頻繁に発症するために、定期的に病院で診察を受けている。いつもの通り、一通りの触診をしていた獣医師が右の首のリンパ腺の異常に気づき、すぐに生検に出すことになった。

■最初の闘病

ナビは、今年12歳になった雌のラブラドール・レトリーバである。彼女が我が家に来る前に我が家にはバディーという名の14歳7ヶ月で他界した雄のラブラドール・レトリーバがいた。彼は2012年6月22日にこの世を去った。

そして、その約1年前の2011年3月18日にナビは生まれた。ある事情があり、彼女は誕生から2年半後の2013年7月27日に我が家にやってきたのだった。

ナビの性格は、活発で男気の強かったバディーと違って、大人しくて衝動的に行動を起こすこともなく、危険な場所でなければ、ノーリードで散歩をすることもできる。しかし、反面気難しく、好き嫌いがはっきりしており、私たちにもどこまで心を許しているのかわからないところがある。

ただ、おとなしそうな見た目に反してフリスビーが得意で、近くの公園での散歩では毎回展望台まで上がり、展望台広場でフリスビーを楽しんだ。お馴染みの散歩仲間を観客にして、何度もナイスキャッチを披露した。

我が家に来てから約1年半経った2014年の11月の朝、ナビが嘔吐した。お世話になっている獣医師に診察してもらうと、内視鏡での消化器検査をすることになる。そして、診察の結果は、炎症性腸疾患の可能性があるとのことだった。

自己免疫異常により、自らの消化器を攻撃してしまう難病である。確定診断のために行なった生検で疾患を裏付ける組織が認められ、彼女の最初の闘病が始まった。

投薬による治療で、投与するのは免疫抑制剤「シクロスポリン」とステロイド系薬剤「プレドニゾロン」である。いずれも人用の薬剤であり、それを体重割合で投与するのだが、このシクロスポリンが曲者で、カプセルが大きい上に、水気ですぐに溶けてしまう。

さらに(舐めたモーニャンによると)その内容物は非常に苦いらしい。したがって、飲み損なうと再度飲ますのは難解この上ない。大きさとその溶けやすい特性からフードと一緒に与えることができないために、投与は、直接、口の奥に入れて飲ませるのだが、ナビの口は非常に器用で、上手にその薬を吐き出してしまう。

一度唾液に触れると溶けてしまうために、吐き出した薬は、ほとんどの場合はもう与えることはできない。さらに悪いことにこの薬が高価なのである。ナビが吐き出した後には、「なんでやねん!」という苛立ちの声を出さずにはいられなかった。

そして、悩んだ末にモーニャンが思いついたのが、「凍結」だった。薬を事前に凍結させておくのである。そうすると少々唾液に触れても溶けないので、もしも失敗してもリトライすることができる。結局、投与を中止するまで、なんとか「凍結」法で投与し続けた。

それにしても、口の奥に大きなカプセルを押し込む時の苦しそうなナビの顔が可哀想で仕方がなかった。

ナビの炎症性腸疾患の投薬治療の効果ははっきりしないまま、発症から約1年間続いた。最も辛かたのは、「食べない」ことだった。それまでは旺盛な食欲が激減した際には、泣きそうだった。(モーニャンは泣いていた) 何とか食べてもらうために、いろいろなドッグフードを試してみたが、食べる時は食べるのに飽きると全く食べなくなる。

そんな中、モーニャンがアレルギー検査をしようと言った。その時はそれほど深く考えなかったのだが、彼女のその後の思惑を後で知る。

■覚悟

2015年11月
炎症性腸疾患が判明した1年後の再度内視鏡検査を行う。その結果、消化器系の炎症は、前回からの大きな改善は見られないとの所見だった。やはり、この病気は一生付き合わないといけないのだと腹を括った。そして、彼女の今後の治療費として1千万円を覚悟した。貯金の中で、これだけは彼女のために使うと決めた。

内視鏡検査の数日後にタール状の便をする。血便である。今までこれだけ治療をしていたのに何故なんだという思いで気持ちが萎える。その日の内に主治医を訪ねて、状況を報告した後に今後の投薬治療を中止する旨を伝える。

彼からは、「わかりました。何かあればおっしゃってください」との返事だった。「何か」とは「安楽死」であることは今までの病状説明から理解した。

どうせ死ぬならと、彼女が欲しそうなものを与えることにした。そして、その際の選択条件が、先日のアレルギー検査の結果だった。つまり、モーニャンがアレルギー検査を行った理由の一つはこの日が来ることを予想していたのである。脱帽である。

欲しそうなものとは言っても、結局は手作りである。この日から、ナビのための手作り食が始まる。野菜、肉、魚などをバランスよく取り混ぜて、食べやすいように与える。すると、ナビの食欲はみるみる増進し、それに伴って便の状態も日々改善された。

その実はわからないが、状況だけから判断するとナビは無駄な治療を受けて、その治療、つまり投薬で体調を壊していたと言わざるを得ない。しかし、検査機関での生検の結果は「炎症性腸疾患」であることに間違いはない。

そして、「炎症性腸疾患」完治しない。一体、ナビの体に何が起こっていたのかは今でもわからない。奇跡が起こったのか、あるいは誤診だったのか。

いずれにしても、彼女は命を吹き返し、覚悟した1千万円は不要になったのである、この時は。


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