見出し画像

コトバの限界

これを見てくれてる君が、どんな人間なのかは分からん。でも君は、国語っていう科目を勉強してるか、勉強したことがあるはず。

んで、受験の時やらテストの時にやらされた読解問題。あれって、どんな狙いがあると思う?


言葉は論理

答えは、論理的思考能力を身につけてもらうこと。あと、行間や背景を読むこと。
主にこの辺なんじゃねーだろうか。

意外かな?

少なくとも、自分はビックリしたよ。国語って科目にも、ちゃんと目的はあったんやなって。
失礼かもしれんがな。

文の要点

主語と述語。
覚えてるかい?

日本語を理解するうえで、この二つの正確な理解が絶対に不可欠なんよ。
まあ、日本語に限らんけど。

主語と述語以外の単語は、二つを補う役割を担う。
例えば、

私の飼い犬がおばあちゃんに噛みついた

・飼い犬=主語
・噛みついた=述語

太字以外の文字は、主語か述語を詳しくしてるんよ。これは余談やけど、主語、述語、修飾語を見つけるコツがあって…。

①述語を見つける
②述語から、主語(誰が、何が)の部分を考える
③主語と述語以外が修飾語

ともあれ、日本語は飾りと具体部分の二つがサンドイッチされてるってわけよ。

リベラルアーツ

自由7科、それは古代ギリシャから始まる教育のことやな。別名、リベラルアーツ。

自由人として生きるうえで欠かせない教育なんやと。現代でも有用性が認められてるのか、海外や日本でも流行ってるらしい。

7科、ってことで7つの分野を勉強しにゃいかんのやけど、うち三つが
・文法
・修辞学
・弁証法(論理学)

と、言語について触れとるんやな。
これってすごい興味深いことやと思わん?

コトバを学ぶことが、今も昔も重要視されてきたってことやで。

リベラルアーツについて詳しく知りたければ、この方のnoteをどうぞ。

コトバの弱点=今の科学の姿

何事もそうやと思うんやけど、物事には弱点がある。

言葉の限界ってのは、論理の限界でもある。つまり、論理を武器として事象を追う科学にも限界があるんよ。

論理ってのはつまるところ、理解のための道具の一つやと思う。
物事を分析して、仮説を立てて、仮説から法則を組み立てる。

それで理解しようとするってのが科学のあり様ではある。仮説や法則を伝えるうえで言葉も欠かせん。

というより、言葉自体が論理なんよ。ロジック、ルールそのものなの。

でも、気をつけないといけないのは、論理にだけ頼るのでは限界がきてしまうってこと。

論理の力に頼る時、どうしても全体という形を別々に分けてしまう。分析っていったら聞こえはいいけど、これは全体って形を壊してるのと変わらんよ。

壊したものを、全く同じ形に戻すことはできない。

だから、かつてと違うものを束ねて、本来と違うナニカができてしまう。

今の時代、科学を盲信する人間は多い。でも、ハッキリいって科学は迷路に迷ってしまってる。
そんな気がしてならん。

君はどう思う?

自分のnote、見てくれてありがとう! もし、「この記事いいなー」って思ったら、スキとかシェアとかしてくれたら泣いて喜ぶよ。いや、まじで。 サポートに入れてくれたお金は、本買うか自己投資に回させてもらうよ。 未熟者やけど、どうぞよろしく!