ヴィクトール・フランクル 夜と霧⑤
夜と霧の続きです。
書きたい事はもっとたくさんありますが、とりあえず今回で終わりにしたいと思います。
比較的最近、惹かれた部分です。
➀で、フランクルは奇跡の連続で生き残ったと書きました。
収容所では生き残るためにすぐさま決断を下ださなくてはならない場面が多々あったそうです。それは予告もなくやってきて、ほんの数分で生死を分けることもあったそうです。数分が運命の分かれ目です。
「ふつう五年、十年たってはじめて、人生なにが幸いするか禍(わざわい)するかがわかるものだーーわたしはつねにそう考え、また口にしてもきた。ところが、収容所で学んだことは、それに訂正をせまった。禍福が十分、あるいは五分もたたないうちに判明する経験を、わたしたちはいやというほどしたのだ」
そうなると、人は
「自分は運命に弄ばれる存在であり、みずから運命の主役を演じるのではなく、運命のなすがままになっているという圧倒的な感情」に支配されるようです。
「運命」があるかどうかなんてわかりませんが、時々その存在を近くに感じることありますよね。
若い頃は誰でも「人生は自分で決めるんだ!自分の力で切り拓いていくんだ!努力すれば報われる!」と思うじゃないですか。
でも、思い通りにいくこともあれば、努力してもどうにも叶わないこともあります。それは、叶わない方が結果的に自分にとって良い流れになるのかもしれません。
そういうのは、自分の「運命」の仕業なのではないかと、薄々感じることもあります。
自分が思っている以上に、自分の人生は人智を超えた何かの存在に干渉されているのではないかと思うことがあります。
未来は誰にもわかりませんが、壁にぶち当たったときは、力をぬいて、なすがままになった方が、自然と良い流れになることがある気がします。
上手くいかない時は、「今は何もしなくていいよ」と神様に言われているのかもしれません。そんな時は下手に抵抗せずに頭を空っぽにすると、神様が良い方向へと導いてくれるのかもしれません。
長々と夜と霧について書かせていただきましたが、ぜひとも読んでいただきたい名書です。相変わらず関係ないこともいっぱい書いてごめんなさい。笑
なげぇ〜え文章を読んでいただきありがとうございました。
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